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はじめて逆上がりが出来た女の子:成功後の一言が指導者を撃ち抜く という記事があった.
体育関係者はこんなに脳天気なの, と衝撃を受けたのでいくつか引用しておきたい.
あるところに逆上がりの出来ない女の子が居ました。
中略
ついに彼女は逆上がりを成功させました。初めての成功に女の子は大喜びです。先生も我が事のように一緒に喜びます。
次の瞬間、女の子は喜びながらこうつぶやきました。
「もうこれで、逆上がりの練習しなくて良いんだね!!」
技を教えるより大切だったこと
この先生の例は極端でしたが、似たようなケースが運動指導・スポーツ指導の現場でも見られると思います。
たとえば縄跳びでも「難しい跳べたら嬉しいに違いない!」という教える側の勝手な思い込みにより、子どもが望んでいないのに無理矢理に難易度の高い技を教えようとするコーチがいました。それは粕尾将一、縄のまっちゃんです。
新しい技や初めての動きを修得するためには、反復練習が必要です。しかし地味な練習を繰り返し、しかも失敗ばかりする練習のどこが楽しいでしょうか。子どもたちの集中力はみるみる削がれていき、その場にしゃがみ込む子も出てくる始末です。
失敗の原因は順番を間違えたこと。技を教えるより、まず初めに運動そのものの楽しさを伝えなければいけなかったのです。縄跳びって楽しいね!!この遊び楽しいね!!と思ってもらうことが最優先でした。
最後の記述が病的だ.
数学でも時々【数学の楽しさを伝えたい派】と
【数学が役に立つことを伝えたい派】の争いになることがあるが,
楽しいかどうかというのは最悪手だと思っている.
ならどうするのか, と言われても困るのだが,
数学, 体育, 国語や社会に限らず嫌いになられると
いろいろ話が通じなくなって困ることがあるので,
学校の教員は多様な考えを持つ児童・生徒に対して各科目を
嫌いにさせないようにするにはどうするかという無限の撤退戦を
迫られていると思っている.
塾やら何やらだとまた別の対応が必要というか,
別の対応をしてもいいという感じはある.
広い意味では私もこちらの界隈なので,
私は私なりの考えで頑張る.
あと, 【数学が何の役に立つというのはよく聞くがそれはそれとして,
体育の逆上がりは何の役に立つのかいまだにわからない】というツイートも見かけた.
病理の根は深いと思うのだが, この辺については
数学でも何でも同じで逆上がりだけ局地的に見ていたら駄目だ.
震災だとかの非常時, 体力勝負になることはある.
そういう場合の基礎体力の涵養とか体育にも大事な役割はある.
むしろそれを逆上がりなり鬼ごっこなり球技なり
いろいろな形で実現しているだけだ.
局地戦というか極地戦というか,
私の活動もその辺なのでこういろいろな思いが
胸の中を渦巻いている.
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