このサイトは学部では早稲田で物理を, 修士では東大で数学を専攻し, 今も非アカデミックの立場で数学や物理と向き合っている一市民の奮闘の記録です. 運営者情報および運営理念についてはこちらをご覧ください.
理系のための総合語学・リベラルアーツの視点から数学・物理・プログラミング・語学 (特に英語) の情報を発信しています. コンテンツアーカイブに見やすくまとめているのでぜひご覧ください.
ある私立大学が二年前に法学部を新設し、そこに赴任し た大学院仲間の話によれば、大学の収益が法学部ができたことで大幅な黒字になったという。文系学部は機材要らないし、教員一人がさばける学生数も多いし、 敷地も小さくていいしでとにかく金がかからない。大学で文系学部を叩くなど天に唾する行為。
— オッカム (@oxomckoe) 2014, 8月 30
ある古典文学の教授がいたとして、彼にかかる金は俸給 と雀の涙の研究費くらい。一年間にこの一人の教授にかかる金を全て足しても、工学部の機材一つにもならない。むしろこの教授一人が稼ぎ出す収益で実験機材 一つ分以上はあるだろう。さらに学生たちもたらす知的付加価値は社会にとって計り知れない。
— オッカム (@oxomckoe) 2014, 8月 30
例えば、僕の研究費の使い道なんだけど、もうことごと く本代なわけだね。新書のような短期的な知識ではなく、長期的に国民なり人類なりの知恵に資するが、しかし短期的には市場では厳しい書物を買うわけです。 そうすることで学術出版を守り、国民全体がバカになるのをかろうじて防いでいる。
— オッカム (@oxomckoe) 2014, 8月 30
例えば、僕の研究はアメリカ革命史なんだけど、こうい うのを大学でやらないでどこがやるのかという話です。連邦制、大統領制、代表制民主主義、政党政治、憲法理論とか絶対に必要でしょう。もちろん本書いても 売れないが絶対に要るわけです。僕が書く場合は、給料はたいて買い取って献本するんだよ。
— オッカム (@oxomckoe) 2014, 8月 30
古典語が読めなくなったら人類はサルからやり直しです よ。政治理論が研究されなかったら人類は部族社会からやり直しですよ。確かに短期的には市場に乗らないが、しかし絶対に必要なものを、もっとも効率的に維 持発展させる機関は大学に教員雇うことだよ。国家にとってこんなに安いインフラはない。
— オッカム (@oxomckoe) 2014, 8月 30
国民のほとんどにとって古典語など読める必要はない が、誰かが読めるだけで、その国民は古典語を解する国民でありえるわけだね。ちょうど国民のほとんどが数学憶えてなくても、今日のテクノロジーを享受でき ているのと同じことです。大学に文系学部を置いておくことは、物凄くリーズナブルなのです。
— オッカム (@oxomckoe) 2014, 8月 30
ほとんどの人にとっては、「新書読んでれば十分」なわ けだが、その700円程度の新書が生み出されるためには、背景に一冊6000円とかの研究書が100点生み出される文化基盤が必要なわけだね。ここは大学 が担っている。だから、ここが枯渇すると、700円の新書がゴミ屑になる。
— オッカム (@oxomckoe) 2014, 8月 30
僕はそもそも人文社会系の学問は役に立つという前提で 主張している。真理が役に立たないなど矛盾なんだから。哲学、歴史学、文学、古典語を学ぶことのどこが役に立たないのだろうか。逆に不思議だ。例えば学部 で金属工学勉強した学生が商社に入ったとして、「金属工学は役に立たない」というか?
— オッカム (@oxomckoe) 2014, 8月 31
工学部出た人間がすぐにその専門知識を役立てられるわ けではない。そもそも学部4年間で専門家になどなれない。実際に働いている間にだんだん専門的知識が必要になる。しかしそういう立場になった頃には学部で 習った知識は古くなっている。結局、理系文系関係なく必要に応じて研究者の書いた本を読む。
— オッカム (@oxomckoe) 2014, 8月 31
最近特に, 高校の頃, 古文の先生が「最近は景気が悪くお金がないからといって
美術館や博物館の予算を真っ先に切ろうとする.
そういうときこそそうした施設が与えてくれる心の余裕が必要なのに」と
言っていたことを思い出す.
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