手話研究における親の存在

面白いというのも厳しい話ですが, 「手話研究における親の存在」という記事が流れてきたのでシェアしておきます. いくつか語学的な記述を抜いておきます.

学齢期になってはじめて聾学校に入り,6歳をすぎてから手話に触れることになったろう者たちは30年経ってもネイティブとは異なる文法で手話を使っている,第二言語である英語もまた伸び悩む。ネイティブサイナー (手話を母語とする人) であれば,第二言語である英語は伸びる人もいればそうでない人もいる(日本語話者の英語がそうであるように)。

もうひとつ,重要な研究が,心の理論の研究である。Schick et al.(2007)の規模の大きめの調査(N=176)で,ネイティブサイナー(親がろう者のろう児)は定型発達と同等の心の理論の発達を見せるが,親が聞こえる,手話で育ったろう児はそれよりも劣り,音声英語で育つろう児はさらに遅い,というものである。

ニカラグアの手話の話は,「子育ての大誤解」の下巻に載っている。わからない人は読んでほしい。大雑把にいうと,ろう児を集めたら手話言語ができたよ,って話だ。1世代目の子どもたちは完全に「言語」といえるものではなかったが,2世代目になると,しっかり複雑な構造を持つ言語になった。

親から引き離して,聾学校にいれたほうが,子どもは生き生きと自分たちの言語を「創り出して」身につけてしまう,という話は強烈だし,たぶん手話を導入したいというときに越えなければならない壁として存在する。

この辺, 私が気になるのは, 私自身吃音という言語障害があるからです. 聞き取れはしますが, 発話が割と厳しいのです. (YouTube で実験的に喋る動画も出しているのですが, 「話し方が気持ち悪い」というコメントがつくこともあります.) 英会話に興味が持ち切れないのも実はこの辺に理由があります. 英語に限らず, そもそも話すこと自体に強烈な忌避感があるので. 視覚障害だと逆に文章が読めないわけで, コミュニケーションは手法のレベルでいつも本当に難しいです.