日本語での擬音と擬態語

英訳が本当に難しいのが擬音と擬態語. こればっかりは作品やその内容によって調整するしかない. 以前に指摘したかもしれないが, 日本語の擬音・擬態語にはその豊かさ故にに高度な論理性が構築されている. すこし長い話になるかもしれませんが, 非常に興味深いのでちょっとだけ言及します.

言語学では言語はシニフィアン「記号表現」とシニフィエ「記号内容」で構成されているとしています. 最初にこの関係を提唱したソシュールは基本的にこの関係は一方的だとしました. 「木」記号と「自然界に溢れる植物」という概念を結びつける理由は特にありません. これを「記号の恣意性」といいます. つまり「き (木) 」という音には特に意味がなく, 「自然界に溢れる植物」という概念を共有するための単なる記号であり, 代替がいくらでも効くということです. ソシュールは言語を構成している単語は全てこのようになっているとしていました. シニフィアン (音や文字などの記号) 独自には独立した意味がないというのはその後の議論で「どのような記号を使うかでその意味に影響を与える」という曲面にも発展しますが, 主に概念の区分の重複という側面が強調されます. つまり植物の木は群生するから「木」で「森」を連想するという具合です.

問題は擬音と擬態語です. 例えば「むにゅ」 (柔らかい) と「ぐちゃ」 (液体音) ですが, 前者は擬態語 (柔らかには音はありません) ですが, 後者は擬音 (「液体が生む音を連想させている」) なので語源がことなります. しかし日本の擬音・擬態語のすごいのはこれらを組み合わせることができるのです. 「むにゅ」 (柔らかい) + 「ぐちゃ」 (液体音) で「ぬちゃ」 (粘性の高い接触音) が出来ました. 「むにゅ」 (柔らかい) と「にゃー」 (ねこの鳴き声) を結びつけるものは特にありません. しかし女子が「にゅ」と可愛らしく言うと「温和に感じで反応している」となります. 「たわわ」という単語も面白いです. たわわは元々「たわむ (撓む) 」から来たのですが, 「果物が大きく実り, 枝が曲がった状態」なのが「果実が大きい」となり, これを巨乳になぞらえていますが, 比村さんの努力結果, 「ふくよかさ」という擬態語に進化しています. このように「たわわ」なるシニフィアン (記号表現) は「枝がしなるくらい重さ」なるシニフィエ「記号内容」を描くだけではなく, 「やわらかい」「大きい」「魅力的」という意味合いも含むようになりました. 記号表現と記号内容の一方性がある意味, 双方向で働くようになったのがわかるでしょうか. この双方向性についてはその後のボードリヤールは「受け手側にとって記号自体に実態を見出して, 虚像が真実となる (要約) 」とかバルトは「記号自体により記号内容を押し広げる含意や連想, 暗示を内包できる (要約) 」としました. 記号は凝り固まったものではなく絶えず変容・再構築されているのです.

さて豊かなに広がる擬態語と擬音の世界 (日本のマンガ) を原則として擬態語が存在せず, 擬音のバリエーションが少ない言語 (英語) に翻訳するとなるどうなるか. これは本当に大変. 取り組み方は色々ありますが, まずマンガの擬音・擬態語は独自の言語を形成しているのを理解するのが大事だと思います.