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2020

2020-12-20 $p$-進ゲルファント-マズールの定理は成り立たない (否定が常に成り立つ: 常に拡大できる)

結論に関わるp進大好きbotさんからのコメント

以下の Twitter でのやりとりによる.

上で教えてもらったのは次の本.

覚えておこう.

事の発端と関連ツイート

次のやりとりを見て, そもそも位相体の議論はゲルファント-マズールの定理しか知らず, $p$-進ならもっといろいろあるだろうと思ったことによる. まずは事の発端に関するやりとりをまとめよう.

事の発端ツイートまとめ

割り算と言わなくても物理ではスピノルにまつわる話もあり, 回転まわりには面倒な話がいろいろある. それだけ面白いとも言える.

位相体, 特にゲルファント-マズールの定理に関する話

2020-12-14 結城浩さんの『「何でわかるの?」と聞かれたときに』

元ツイートへのリンク

自分用覚書・感想

丁寧に説明されていて内容も面白かったし参考になる. それ以上に気になるのは, このページをどうやって作っているのか. こういうのをさらっと作れるようになりたい気分がある.

自分のまとめとしてシンプルなテキストでまとめられたページを引用しておく.

引用

質問(「何でわかるの?」と聞かれたときに)

ご質問ありがとうございます。あなたの質問に対する直接的な回答ではありませんが、質問を読んで私の思ったことを書きますね。(続く)

結城浩に聞いてみよう https://ask.hyuki.net/q/20201214193853 https://t.co/6dOgNzrh0S

お友達から「何でわかるの?」のように聞かれたときには、あなたがやっていることをできるだけ言語化して伝える努力をしてみることをお勧めします。それは、必ずしもそのお友達のためではなく、むしろあなたのためです。

あなたは特別なことをしているわけではなく「自然にわかる」のかもしれませんし、もちろん「一晩寝ていたら解けている」ということもあるでしょう。それでも、あなたが普段から何をどのように見ているか、ある特定の問題に触れたときに何をどのように考えたかを言語化してみるのです。

もしもそのようなことの言語化が難しいとしたならば、ぜひ「それ」をあなたに与えられた問題として解いてみてください。私はそれが、あなたの能力をさらに高める助けになると想像します。

ここから、もしかしたらあなたにはあてはまらない話になるかもしれません。こういっちゃなんですけれど、そこそこ利発な方ならば、たとえば高校三年までに学校などで出会う問題を自然に解いちゃうのは珍しくありません。

(ちょっと言い過ぎたかもしれないけど……まあ続けます)

でも、どんな人でも無限に難しくなっていく問題は解けませんから、どこかでは壁にぶつかることになります。そして、ある意味の「勝負」はそこから始まります。そのときに、他の人には難しい問題で自分には易しい問題を「どのように」解いてきたのかは重要な武器となります。

私があなたに「言語化」を勧めるのは、主にその「武器」をいまのうちから整備しておくのは決して無駄ではないと思うからです。(と言いつつも、私自身は凡人ですから、的外れなことを言っている可能性も高いのですが……)

小学校時代、非常に多くの子が「神童」や「天才」扱いされます。学校で教えることなんか話半分に聞いていても(へたしたら聞かなくても)理解できるし、試験も申し分ない状態で進み……中学・高校で失速します。

でもなかなか失速に気がつかず、段階を踏んで学ぶことの大事さに気がつかず、結果的にいつのまにか同学年の人たちから大幅に遅れてしまうことがあります。

いま書いたのは小学校から中学・高校ですが、それは学びのどの段階でも起きうることです。あなたがそうだと決めつけるわけではありませんし、私には判断ができませんが、ちょっとそれが引っかかったのでした。

高校くらいまでの問題は、うまく解けるように段取りがなされている問題がほとんどです。ですから、身も蓋もない言い方をすれば、解けても不思議ではありません。そのような問題に向かっている間に、ぜひ「自分は何をどのように考えて解いているのか」というreflectiveな発想も身につけてほしいです。

そのための活動として非常にいいのは、友達の質問に答えることです。自分の思考の方法を答えるだけではなく、友達がそれを理解できるように伝えることを試みてください。それはあなたの能力を広く、深くしてくれるはずです。

あなたの質問を読んで、私はそんなことを考えていました。的外れな回答だったらごめんなさい。あなたの学びがますます豊かなものになることを願っています。

ご質問ありがとうございました。

「何でわかるの?」と聞かれたときに https://rentwi.hyuki.net/?1338433669145317377

学ぶこと。教えること。伝えること。楽しく読めて元気が出る結城浩のメールマガジン「結城メルマガ」は毎週火曜日配信。単体の記事購入もできますし、定期購読もできます。登録初月は無料です。 https://link.hyuki.net/mm

(余談)考えてみますと「数学ガール」に出てくる「僕」は、「教える」ことを通して多大な学びをしていることになりますね。 https://note12.hyuki.net/

2020-05-10 確率論: テイラーの定理による初等的な中心極限定理の証明

はじめに

次のツイートからなるツリーを勝手に TeX 化・PDF 化した.

ツイートにもあるように, 中心極限定理の証明を, モーメント母函数や特性函数を経由する方法でやっていることが多いです. そうすると証明の本質的部分が Fourier 解析に当たる事柄になってしまいます. 少し仮定を強めた上でその辺をカバーした議論です.

ちなみにウィリアムズの『マルチンゲールによる確率論』 P.74, 7.2 強大数の法則は 4 次のモーメントの存在を仮定するかわりに iid を仮定していません. 仮定を強める代わりに初等的に示すという意味で PDF の議論と似ています. このあたりを工夫できるようになると数学の地力がついてきたと思ってもいいでしょう. 数学が楽しくなってくるとも思います.

マルチンゲールによる確率論

何をどうゆさぶってみるかという具体的でもあるので, 紹介しておきました.

PDF

PDF が読み込まれない場合はリロードしてください.

2020-09-24 「わかりやすい」全射・単射の定義とは何か: ある定義とそれへの応答

最初にまとめ

結局そもそも「わかりやすい」の定義が問題になってくる話だと思っている.

発端は次のツイート.

元の記事の引用と批判

いくつか引用する.

普通の全射の定義はわかりやすいのに対し、単射の定義は初心者には不自然に見えます。また、全射と単射は互いに密接な関係があるのですが、定義を眺めているだけではそのように感じれられません。今回提案する方法はこれらを解消する利点があるような気がします。

まず全射の定義が本当にわかりやすいのかという気分がある. 単射が (初心者にとって?) 不自然かどうかもわからない. 少なくともはじめて触れたときに私はそうした違和感は感じなかった.

[今回思いついた定義] (写像fが)全射:任意のBの要素yに対し,f(x)=yとなるAの要素xの個数は1以上 つまり, ∀y∈B, *({x∈A|f(x)=y})≧1. ただし,「*( )」は集合の濃度(個数)を表しています.

(写像fが)単射:任意のBの要素yに対し,f(x)=yとなるAの要素xの個数は1以下.

つまり,

∀y∈B, *({x∈A|f(x)=y})≦1.

この定義を思いつくまではこれらの関連性にもやもやしていましたが、今は

・全射 ~ (定義域の要素の個数が)1以上 ~ 「存在」

・単射 ~ (定義域の要素の個数が)1以下 ~ 「一意」

と明快なイメージを持てるようになりました。

全射との比較でいうなら単射は非存在または一意だろうから, これだとおかしいのではないだろうか. 当人はわかっているかもしれないが, 少なくともこう書いてしまった時点でミスリーディングを誘発するような表現という意味であとで引用する私のリプライにもあるように, わかりにくく教育的でもないのではないかという気分がある.

改めて「証明」とやらを見てみたが, そこでもこの非存在ケースを書いていないから, この人, 本当にそれに気付いていないようだ.

*追記・注意: ここについて私の指摘が不当であるという指摘が入り, もっともな指摘だったので上のコメントは撤回する. ただしかえってこの記事がよけいに気に入らないという感を深めるやり取りになった. そのやりとりはリプライツリーに追加している.

思いついた定義⇒一般的な定義 x1≠x2 とおく。このときf(x1)=f(x2)とであると仮定すると

#( { x∈A| f(x)=f(x1) } ) ≧ *( { x1 , x2 } ) = 2

となって前提条件と矛盾する. (∵集合S, TがS⊃Tならば*(S)≧*(T).) ゆえにf(x1)≠f(x2)といえる.

こう思うと全射の定義のシンプルさは場合分けがいらないことによっていて, 単射の定義の難しさは本質的に場合分けが必要な点で, それを回避していて, しかも意識さえさせない点が優れていて教育的と言えるだろう. ふつうの単射の定義で「全射から見た定義域に対応する元がない場合の対処」が書かれていたら上記の証明のミスもないはずだ.

*追記・注意: ここについて私の指摘が不当であるという指摘が入り, もっともな指摘だったので上のコメントは撤回する. ただしかえってこの記事がよけいに気に入らないという感を深めるやり取りになった. そのやりとりはリプライツリーに追加している.

(おそらく)証明で使い辛いという欠点はありますが、初学者用にいかがでしょうか。

あとのリプライツリーにあるように, むしろ入念な注意をしないと初学者殺しになるのではないか. 「非存在または一意」のような場合分けを見逃していくような不注意さは後々, 真綿で首を絞めるように効いてくる.

リプライツリー

大元

私のコメント

川井新さんのコメント

空集合とシングルトンについては次の嘉田さんのコメントを見よう.

嘉田勝さんのコメント

これ, 自由なのか?

追記

追記: 私のコメントに対するぼんてんぴょんさんのコメント

本筋ではないがこの「0 個または 1 個で一意を表す」というの, 用例あるだろうか. いまだに気になっているが思い浮かばない. ぼんてんぴょんさんは細かい用語の定義にうるさい人なので, そういう人が言っているということは何かしらそういう用例なりそう書いてある本があるのではないかと思っている. 何か情報を持っている方は教えてほしい.

2020-09-22 専門家による素朴集合論の定義をはじめて知ったので

結論

鴨浩靖さんによる次のツイート.

ツイートでのやりとりメモ

鴨さんによる補足

雑感

この手の指摘をもらうためにはコンテンツをオープンにした方がいいというのはある. 先日の記事, 「理論物理学者に数学を教えようの会」の内容や開催にいたる経緯でも書いたように, そのうち「コンテンツは無料, コミュニティ参加が有料」というタイプの「オンラインサロン」をやってみたいと思っているので, そこを目指してコンテンツを公開する方向で進めたい気持ちはある. もちろん高いお金を出して買ってもらった人達への適当な保証も必要だろう. 既に買った人は月額課金の金額を安くするとか, そもそも無料にするとか. 「オンラインサロン」内で適当な有料イベントなどを開催する前提で, そこでまた必要なら課金することにすれば, コンテンツを購入した人はサロン参加自体は完全無料でも問題ない. あとは金額設定と規模がどこまで出せるかだ. この辺, できればこのモデルを改めて出版社などに持ち込んだりもできる.

もちろん既に完全に一般化したモデルだとも思うので出版社などは勝手にやってほしいのだが, 成功事例などがないと現在の学術系出版社は動けないだろうから, その辺の実験はこちらでやる必要があるのだろう. 様子を見ながら少しずつ進めたい.

2020-09-09 gejiqmqさんの情報幾何ツイートまとめ: 自分用備忘録

メモ

全く理解できていないが自分用備忘録として残しておく. このツリーをまとめた.

ツイートまとめ

今後, きちんと勉強したい

情報幾何も勉強の記録として YouTube 動画を投稿していきたい. 他にもやりたいことがあるので優先度低めになってしまうが.

追記

2021 年, 藤岡さんによる数学向けの情報幾何の本が出た. これを読みたい.

2020-09-01 「文系」への理系科目教育は知的虐待なのでやめてあげてほしい

全さんのツイート

STEM抜きの純粋文系で生きていける人なんて、中長期で見たら極小になっちゃうと予想できますもんね。

「純粋文系で生きていける」の定義があまりよくわかっていないが, それ本当? というのを真っ先に思う. 社会はそんなにやわなのかという気分がある. まずは全さんのツイート周辺を載せてから少し私の考えを書く.

ちょっと別の流れ.

とりあえず私の結論

まず「文系」の人に数学・理科をやらせるのは知的虐待なのでやめてあげてほしい. むしろほんやくコンニャクのように蒟蒻を食べると数学・理科がわかるとかいうような食品を開発できていない懦弱な理工系に猛省を促すべきだろう. 私はふだんこれを「工学は本当に使えない」と工学に対する不当な暴言という認識のもとで発言している. 理学の人間はどうにもならないので, 役に立つことが大好きらしい工学関係者に全てを押しつけている.

以下でおおもとの小町さんのツイートとリプライ集を載せるが, 上の umedam さんのコメントにもあるように, 理系の人間が「文系の知識・教養がない」と言われるのは文系と全く同水準の知識・知見がないことを罵倒されているわけで, 講義や世になるコンテンツなどでも配慮されている気配はない. 特に気にせず中高大では理系と同じようにやればいいだろう. 理系と違って「文系のための」みたいなコンテンツは世にたくさんあるし, 学校以外の部分での補填に任せればいい.

ちなみに理系のための語学みたいなのがないのはそれはそれで腹立たしいので, 一市民として浅学非才の身をかえりみず, 次のようなコンテンツを作るべく勉強会をしている.

市民なので気に入らないなら自作するまでだ.

小町さんのツイートとリプライ集

発端

観測範囲では人文・社会学系教員がどう考えても知らないようなことだと思うので, そういう内容を学生に教えるのもどうなのかという気がする. 勉強しなければならないこと, 専門としてカリキュラムに組み込まないといけないことが多いなかで全く役に立っていない知識・知見を教育する意味がどの程度あるのだろうか. 理系の場合, 技術倫理や関連法規などは社会によって課されていて役に立つというか知らない者・使いこなせない者は反社会的存在として様々な形の罰を与えられるため勉強する必要があり, さっさと諦める必要がある.

本質とは何か

中高の数学と理科, むしろガチガチの本質しかないせいで死ぬほど難しくてわかりにくいという印象がある. 「よくわからないがこのような事実がある」という剥き出しの博物学とでもいうか, お前の興味関心やどうすれば理解できるかといった話は知らない. 車は急には止まれないので諦めろという問答無用感はどうしようもなく自然科学理解の本質だろう.

よくわからないがとにかく知識を集積しておくというのもかなり人間の本質のようだし, とにかく知識を叩き込むという方向性もそれはそれで十二分に本質という気分もある. 何にせよ本質がきちんと定義されていないので具体的な話は何もできないし通じなさそう感にあふれる. 安っぽいといってもいいだろう.

文系科目, 理工系人の興味関心に沿って話してもらった記憶がないが, なぜ「文系」にはこの手の「甘え」が許されるのだろうか?

抽象的?

こういう大人, 知らなくても・わからなくても困っていないということを全力で訴えていて, この状況下で子ども達に数学・理科を勉強しろといっても絶対にやる気など出ないとしか思えない.

本質と楽しさ

楽しさは主観的で, 誰にとってどう楽しいかがそもそも難しい. あと上の本質の問題. メビウスの輪の議論がどんな本質につながって, さらなる勉強を円滑に進められるかという問題もあり, それは解決策なのかという気分がある. そして「わかった (気になった)」から何なのか問題がある. 先程のようにメビウスの輪は本質的 (未定義語) なのか, 役に立てられるのかと問うてくる人間もいるので講義計画がどんどん難しくなり, 対応できる人類がいなくなっていく.

本格的に知る

勉強する量がどんどん増やされていくの, 高校生も教員も大変だという気分がある.

大学受験に絞ると遠回り

黒木さんなど数学者のコメントを聞く限りむしろ急がば回れだそうだが, いまだに数学はよくわからないし, 受験の数学は思い出したくないくらい嫌な記憶しかないほどに苦手だったので何も言えない.

文系プログラマー?

プログラマー, 数学が必要な人はどのくらいいるのだろうか? そういうごく一部のエリートのことを考えるよりももっといろいろやることあると思う.

現実大好き人間

こういう現実大好き人間こそ理科をやるといいと思う.

文理分け

大学教員, よく学問的な訓練によって得られる思考力や問題解決力が社会に役立つというし, それを実践してもらえればいいと思うのだが, こういう方面で大学教員自身がその力を発揮しているのを見たことがないとも良く思う.

好き嫌い

社会科系で文系理系みたいな配慮があった記憶もないので, さっさと諦めたらいいのという気分がある. 結果苦労しているというが, 多少苦労する程度で, それできちんと生きていけるのだろうし, こういう大人の発言はむしろ学習意欲を減退させる原因ではないだろうか. 何かそういう社会学的・教育学的な調査がないだろうか.

あと小林俊行先生など教員の説明がクリアですごいと思ったことはあるが, だからといって内容がわかったわけでもなく, わかりやすい授業とかいうのがいまだにわからない.

単位取得?

知的好奇心を別の分野に向けるべきかどうかという問題がある.

よくある例外つき一般論らしき何か

文系よりも人が死んだ事件もあったからアート系の必修に組み込んでほしい

本来の専攻を学ぶ上でプラスになるとかいうの, よく聞くがどういう根拠があるのだろうか.

とりあえず坂本龍一には工学をやらせた方がよかったと思う.

科学哲学

単位

単位が取れたところで理解とは一切の関係がなく, 生兵法は怪我のもとと昔から言われているので, 逆に問題になるのではないかという気しかしない.

データサイエンス

データサイエンスとかいうの, やっていることはどう見てもエンジニアリングだしもっと誇りを持ってエンジニアリングを名乗ってほしい.

雑多な反応らしきもの

理系の倫理, むしろ社会で 1 番必要な科目だ.

2020-08-22 現代数学探険隊でのセルフコンテインドネス: 「現代数学が難しいnつの理由 - はじまりはKan拡張」へのコメント

infinity_topoiさんによる次のような記事が出た.

項目だけ挙げておこう. 詳しくは上記リンクから記事を見に行ってほしい.

  • その1:まず、そもそも数学の厳密さは難しい
  • その2:高校数学とはスタイルが大きく異なる
  • その3:実はSelf-Containedな教科書は少ない
  • その4:勉強することが膨大な一方で全体の見通しが悪い
  • その5:大学コミュニティと外部の間の情報格差が大きい
  • その6:現代数学を学ぶことがなかなか仕事にならない

このうちその 3 は特に現代数学探険隊で, その 4 はここにある無料講座をはじめとした各種コンテンツとしてまさに対応するコンテンツを作っている. その 5 に関しては例えばここで参考文献集を公開している.

私自身, 幾何の勉強で日々死ぬ程苦労している. 特にその 3, 現代数学探険隊に関する思いのようなものを改めていろいろ書いたのでまとめておく.

ツイートまとめ

これ、幾何の話があったのでこれまで幾何で苦労した話を書くと、ホイットニーの埋め込みやらサードの定理やらホッジやら、幾何は基本的な定理が示されないケースがやたら多い印象があり、幾何の人はどう勉強しているのか不思議でならない。名著と名高いミルナーのモース理論もちょっと面倒そうな命題は全部当時の文献にぶん投げられていてあの本は読めたものではないと思うのだが、読める人今いるの?微分幾何に関してまたセルフコンテインドなやつを作ろうと思っていて、今作っている力学・微分幾何の計算コンテンツもその一環であった。

全く知らないので適当な話だが、何となく代数幾何は準備が膨大な分、証明抜きで紹介されるだけの定理なさそうな気がするが、微分多様体・微分幾何はとにかく証明抜きで認める感じの定理が多く、何でああなったのか全くわからない。調和積分論の証明が書かれた、多様体の基本から書いてある幾何の本、ドラームの本とワーナーの本しか知らない。調和積分自体がテーマの本はあるが、ベクトル束の議論を突っ込んでいたり、ちょっとレベルが上がる印象がある。もちろん解析学上の議論のレベル・ハードルがかなり上がるから、それ相応のバックグラウンドが仮定されるのはわからないではない。多様体上のソボレフ空間またはカレントの議論がいるわけだが、多様体上のソボレフ自体がまた難しい。解析学専攻でも学部三から四年の内容をさらに面倒にしていて、非コンパクトの場合はソボレフ空間が一の分割に依存するとかいう話もある。

何故(物理の色彩が強く近似の議論などもある)力学?と思う人がいるかもしれないので書いておくと、解析力学はシンプレクティック幾何の母体とよく言われるし、それ以前に力学で出てくる常微分方程式の解法それ自体が多様体論の母体だったりもする(少なくともそういわれている)からだ。数学サイドで何らかの形で物理に触れたいという場合、解析力学は1つの軸になるという気分があるが、その前段のふつうの力学がどれだけカバーされているのかよく知らない。そういった部分も意識して、近似も何をどうやっているのか多少なりとも埋める目的で力学をやっている。もちろん他のもっと面倒な物理の前哨戦でもある。運動学に関して言えばそのまま古典的な、3次元空間内の曲線論で、フルネー-セレなども途上で出てくる。具体的な常微分方程式の処理もあるし、幾何学的変分問題と測地線なども当然物理、力学と関係がある。

ちょっとしたやりとり

  • 全く知らないので適当な話だが、何となく代数幾何は準備が膨大な分、証明抜きで紹介されるだけの定理なさそうな気がするが、微分多様体・微分幾何はとにかく証明抜きで認める感じの定理が多く、何でああなったのか全くわからない。調和積分論の証明が書かれた、多様体の基本から書いてある幾何の本、

いや、多いと思いますよ。記事にも書きましたが、Mitchellの埋め込み定理とかも志保先生の本が出るまではロストテクノロジー扱いだったと思います。あとは「これはEGA/SGAに書いてる」みたいなのも多いです。やっぱり一時代前の「基礎数学」の整理は完全に欠如してるんだと思うんですよね。

幾何の人、ブラックボックスをどう処理しているのか不思議でなりません。

実際のところ、ブラックボックスを丁寧にフォローしている人も少ない気がします。僕もその辺のブラックボックスを綺麗にしたいという思いはありますね。現代的に整備すれば、意外とそんなに難しくないこともあると思います。

ちなみに私なりに数学の勉強がつらい理由、https://phasetr.com/mtexpdf1/https://phasetr.com/mtex1/https://phasetr.com/mrlp1/https://phasetr.com/mthlp1/などに書いていて、それぞれその問題を解決することを意図してコンテンツを作っています。

微妙に関連する話題

井ノ口さんの本, 『リッカチのひ・み・つ』と『曲面と可積分系』を持っていて, 2 冊とも非常に教育的でしかも面白かった. 後者は献本して頂いてここに書評も書いた. この記事をご覧になった方はぜひ買って読んでみてほしい. 2 冊とも上の「その4:勉強することが膨大な一方で全体の見通しが悪い」の気分で書かれた本で, 全体の見通しという点に関して書評の形でさらにいろいろコメントした. 私もこんなコンテンツを作ってみたいものだ. 専門家・研究者としての知見を活かした非常によい教科書だった. 今回の『初学者のための偏微分』もきっといい本だと思う. 買う.

やりとり追加

この件なのですが、P氏の知見では結局調和積分論を学ぶのに最も良い本は何なのでしょう。結局学生時代は北原などをパラパラ見て深追いしなかったのですが、de Rhamは(入手困難ですが!)読み応えのある非常に良い本だろうなという印象を受けました。

そもそも多様体上の解析にまで踏み込めるほど幾何を理解できていないのでわかりません。調和積分論と微分幾何は憧れがあるので今まさにそのための基礎固めを兼ねてコンテンツを作っている状態です。PDE自体も専門ではないので、そこも適宜補う必要がある状況です。解析系を基準にするなら、ドラームの本のカレント方向よりも素直にソボレフ空間の定式化を使いたいのですが、幾何の人々に定評があるWarnerはソボレフの一般論ではなくフーリエ級数を経由してソボレフの議論をやっています。

あと気になるのは普通の幾何の本だとコンパクト多様体に限定してシャープな結果を出す形ですが、解析からするとごく単純に非コンパクトのときにどうするかも気になります。非コンパクトな場合は少なくとも2000年代レベルで論文がいくつかあります。熱核方向、そしてそれを前提にした確率論応用など。解析的には(非コンパクト)多様体上のソボレフ空間論にいろいろ難しいことがあり、それ自体が興味関心の対象です。純粋な幾何の人ならとりあえずコンパクトだけでも十二分に楽しめるのでしょうが、解析方面からするともう少し突っ込みたかったりします。

その塩梅まで考えて解析サイドから見たときのいい本・いいコンテンツというのが私が求める対象です。当面、ユークリッド空間上のソボレフ空間論は前提にしていいので、Warnerのようなフーリエ級数論を経由しない解析的にダイレクトなアプローチ、多様体の初歩からきちんとカバーしたコンテンツがほしい

今気になっているのは Nicolaescu の本(の著者無料公開版です。多様体の基礎からコンパクト多様体上のホッジ、ディラック作用素の議論まで入っているので、項目のラインナップとしては私が理想としている内容という印象です。あとは私の幾何耐性を強化して読みこなしたいという状況。

2020-07-10 実数論やフーリエ変換に関わる基礎数理のモチベーション・歴史的経緯

はじめに

次のツイートを受けて, 実数論やフーリエ解析に関わる歴史的な経緯や数学的なモチベーションの話をした.

発端

参考になる人もいるだろうから連続ツイートをまとめておく. 発端は次のツイート.

以下, 自分のツイートを中心に編集して転載. たりちぱさんのツイートは引用系にしておく.

本論

教科書を下手に改変したせいで、かえってわかりにくくなっている講義は、それによってわかりやすくなっている講義よりもきっと多いと思われる。それはそれとして、数学の教科書のわかりにくさは異常。あれはきっと数学科では異常者のみを選別するためにやっているのだと思う。

数学の教科書を書く人は、なんらかの定義を導入する際に、なんのためにその定義を導入する必要があるのかという動機を説明したら死ぬ病に罹っている。後の方まで学習が進めば自然とその定義を導入する意味が理解できるらしいのだが、その内容は絶対に教科書に書かれることがない。本当に意味わからん。

動機のような「夾雑物」を混ぜるとわからなくなるタイプが本当にいるらしいのと、前書きなり何なりに書いてある範囲で大丈夫タイプもいるようです。あと、こんな定理が成り立つような定義はとても嬉しいので、成り立つ定理を見れば動機は自明にわかる派もいる模様です。 他にもパッと見で(当人から見て)意味不明な近似などもなく「きちんと論理的に話が進んで嬉しい」派もいるようですし、気に入る点が根底から違うのはそうで、非数学関係者から見てそれが好きなのは異常者と認識されるのもそれはそうなのでしょう。本当に単純に向き不向きその一点で諸々決まる気分です.

おそらく「~のため」という概念自体が数学界にとっては夾雑物なんでしょうね。物理や生物に限らずすべての自然科学にとって教科書の記述はすべて「自然を理解するために」記述されているので、なんらかの動機が必ずあることが前提になっているし、それを知ってからのほうが学習しやすい。

多分大事なところなのであえて書くのですが、「(やっている当人にとって嬉しい数学に対する)数学のため」以外が各数学者にとって夾雑物っぽいです。数学科向けの本は数学科の学生が読むためのものなのでそれ以外を求めること自体が初めから間違いでしょう。物理の本がわからないと嘆く数学科学生的な.

私が知りたい数学の動機ってのは、「実数を理解するためにコーシー列を導入する」だとか、「フーリエ変換を厳密にするために関数の連続をちゃんと定義する」だとか、そういうレベルの話なので…

「そういう話ではない」のと「鶏が先か卵が先か」的なところもありつつピント外れのことを書くと, 実数の位相的側面 (完備性) の定式化としてコーシー列が必要なのは単に完備性の by definition だとか, フーリエ変換の厳密な定義を知るために普通の関数の連続性の議論していてもほとんど何もわからない (連続性のくびきを外したルベーグ積分または汎関数の空間の汎弱位相での連続性) とかなので, 問題意識の方向性が数学的に噛み合っていません. その動機で数学を見ていても確かに何もわからないし見えないという感じです.

勘所が噛み合っていないので微妙なのですが, 一応いくつか書いておきます. まずコーシー列は距離空間 (たぶん点列とその収束で位相が決められる空間まで一般化できる:一般の位相空間だと点列の一般化であるネット・フィルターの収束の議論が必要で, 最近の普通の位相空間の本にはまず書いていない) の重要な性質, 完備性を定式化するときに出てくる概念です. 実数には代数・測度・位相などの多彩な性質があります. そのうち完備性は実数の位相に関する決定的な条件です:小学校以来の直観的な数体系に「ふつうの距離 (ユークリッド距離) 」を入れた時, 自然数と整数は完備ですが, 有理数は非完備です. 有理数の完備化として実数が立ち現れるというのが数の構成の議論の 1 つのハイライトであり, これが数学的に重要です. そしてフーリエ解析とも関わる議論ですし, コーシーによる極限の $\varepsilon$-$\delta$ による定式化とも関わります.

連続とかいう以前に極限が魔界です. 確かアーベルが反例を出すまで級数周りの議論で今は間違っているとわかっている議論が成り立つと思われていたりしました (詳細忘れた:こういうの とかいろいろあります. アーベルは天才なので). コーシー・アーベル・極限周りではほかにもいろいろなエピソード・登場人物がたくさんあります. こういうの のとか: Analysis by Its History.

何はともあれ極限周りの話をすると, 結局極限周りのいろいろな議論は実数の性質に帰着します. 例えば連続関数の一様収束先が連続というのを示すのに, まず収束先の存在証明のために各点での収束を議論しますが, そこで実数の完備性を使います. 関数の議論をするのにも実数論がないと話になりません. そもそも関数の議論がなぜ必要かというところでフーリエが出てきます. これも有名な話で, フーリエは「任意の関数がフーリエ展開できる」と主張しました. ここで問題になったのは「そもそも関数とは何ぞ? 」というところからです. 関数の定義自体がずるずるだったので議論することさえままならない状況です. 実数の完備性などを議論しなければならなくなったのも関数・関数列の極限処理が 1 つの強い理由です. (この辺の話, 現代数学観光ツアーにも書いたので, 興味があれば読んでみてください).

経緯にあまり詳しくないので大幅にはしょると, 何やかんやで 19 世紀の数学では三角級数論の研究が盛んになったようです. (解析?) 数論関係の話もいろいろあったとか. 実際, 集合論で有名なカントールは (解析?) 数論がらみの三角関数論の収束の挙動の研究から集合論に入ったと聞いています. 集合論の研究の中で「$\mathbb{R}$ と $\mathbb{R}^2$ の間の全単射の発見」という出来事に関してカントールは「これらの間の区別がないことがわかった」と言ったのに対し, デデキントが何か印象的かつ数学的に正しいコメントをしたみたいな話があります. 参考. この辺, デデキントの詳しいコメントを忘れた上にすぐ思い出せませんが, 位相幾何での $\mathbb{R}^n$ と $\mathbb{R}^m$ が同相と $n=m$ は同値とか, 線型空間として同型なのと $n=m$ が同値みたいな話で, 全単射があるだけで「同じ」とみなすのはよくない, とかいうタイプの指摘だったはずです. この辺, 初めの方に書いた「実数は代数・測度・位相に関する多彩な性質がある」という部分の捕捉でもあります. このくらいの知識の射程距離がないと多分実数論の何が面白いのか, 数学関係者がどこに興味を持っているのか見たいなことはおそらく全く分からないはずです. というわけでいろいろ書いてみました.

フーリエに戻ると, フーリエ級数の議論は高木貞二「解析概論」になるような連続関数に関わる議論と, ゴリゴリの関数解析方面のルベーグ積分が絡む議論が初等的な範囲ではよく出てくるように思います. 物理向けだとヒルベルト空間論でルベーグで, だと思うので後者の話をしましょう (前者をよく知らない). そろそろ話が元からだいぶずれてきているような気もするので, せっかくなので適当に. こちらの話も結局完備性の話であり, 関数列の極限であり, 最初の方に書いたアーベルの級数まわりの話 (これも関数列の極限) と似た趣があります. なので連続にフォーカスが行く時点で何か数学的な軸がずれています.

まず多少は数学的に扱いやすい方でのフーリエ変換の定義は, $L^2$ での収束でしょう. 連続からはかけ離れた関数なのでいわゆるふつうの関数の連続性をいくら頑張って勉強してもあまりご利益ありません. そのうえでフーリエ変換の厳密な定義をするにはいくつかのステップがあります. 一番最初に出てくる問題は, フーリエ変換を定義することになっている積分が, $L^2$ の関数に対して $L^2$ の位相でそのまま素直に収束しないことです. $L^1$ なら自明に収束するので, まず $L^1$ で考えます. 次に $L^1 \cap L^2$ の関数に対して収束するという自明な議論にもっていきます. 有理数は実数の中で稠密というのと同じく, $L^1 \cap L^2$ は $L^2$ の中で稠密です. さらに急減少関数はこの共通部分に入っていて $L^2$ のなかで $L^2$ の位相で稠密です. 急減少関数は直観的にフーリエ変換の議論でやるありとあらゆる乱暴な計算が成り立つ空間なのでまず急減少関数の空間でいろいろ議論します. 最後に稠密性で持ち上げます. これは実数論および実数論を基礎にした微分積分学の基本的な議論で出てくる完備性周りの議論, 暗黙の裡に出てくる (連続関数の空間に対する) 関数空間論の議論がキーになっています. あの辺をゴリゴリ数学科でやるのは実際にこういうところで議論のアーキタイプだからです.

あとここでいう関数空間は全て線型空間なので, 線型代数, 特に抽象線型空間論, そしてユニタリ空間論を知っていないと多分何もかもわかりません. その辺の理解があいまいだとその隙を正確無比に突いてきて, 我々の理解を破壊してきます. この辺の話, $L^2$ が実数と同じく完備であることが極めて強く効いてきます. そんなこんなで実数論・コーシー列 (完備性) ・フーリエみたいなのはほぼセットです. 実数の完備性は「実数の連続性」とも呼ぶので, その意味では連続ですが, 関数の連続性と混ぜると何もわからなくなるでしょう. 実数とフーリエ解析は, 線型代数・微分積分・集合・位相・収束処理の技術あたりがキーポイントで, 収束処理の技術以外は知識 (講義されて無理やり知っていることにされるという意味) ベースでは大体数学科の学部一年程度です. ただすべて知っていて収束制御技術を身に着けるとなると相応の苦労があります.

動機という視点からまとめると, 実数・完備性・収束の議論は級数論などで間違いまくった結果, 反省としてきちんと議論しないと駄目なことが分かった, という強烈な動機がないと多分何も気分が取れません. 非数学で収束の議論を頑張ることはないはずで, 他学科で触れられない「聖域」だろうとは思います. この辺, 極微の世界やら何やらで量子力学なり相対論が必要になって物理が反省を迫られた, みたいなところがないとご利益が分からない, みたいな気分で私は見ています. (偶然でしょうが時代的にもいろいろ重なっています).

フーリエの厳密化の動機については, 「そもそも任意の関数とは?」やら「関数列の収束とは (ゴリゴリの位相空間論)」やら「(可算) 無限個を除いた点 (ほとんどいたるところ) で関数列がある関数に収束するのだが」みたいなところに興味関心が持てていないと何もわからないし見えないはずです.

応用を考えるなら超関数のフーリエ変換やら何やらも出てくるのでしょうが, これはごく単純な三角級数が超関数にまでぶっ飛んでいく数学社会の厳しさを意識しないと動機がつかめない感じはあります. 例は簡単で $\sum e^{ikx}$ があります. 単純な三角関数の和がディラックの $\delta$ に収束します. 関数解析やら関数の収束やらその位相やらになぜ面倒な話がいろいろ出てくるかというと, 究極的に筋がいい複素解析関数である $e^{ikx}$ の単純和 (級数・関数列) が超関数という関数ならざる何かにぶっとんでいくからです. 物理や工学でよく出てくるおなじみの関数が地獄なので, 初手地獄です. こういうの, 物理などでは日常的な存在なので誰でも知っている例ですが, この時点ですでに数学的な地獄が顕現していることを明確に意識して数学のモチベーション向上に使っている非数学の人をあまり見かけない気分があります. 私はこの辺, 学部 1 年でいろいろ調べさせられて煮え湯を飲み強烈な動機があります. あと, フーリエでも出てくる解析関数列の極限が (超関数という) 特異な存在になるというのは, 相転移などでも大事な話です. あれも (イジングの) 有限系での解析的な分配関数が極限で特異性を持ち, それが相転移として現れるという話で, 私にとっては同じ構造で, その辺を調べたくなる強烈な動機です.

だいぶ長くなってまとまりもなくなってきたのでこの辺で打ち止めにしますが, 私にとっての実数やらフーリエやらの動機はこの辺です. 現代数学観光ツアーに書いた部分もあります.

いやはや, 勉強になります. あやふやな理解で適当なことを書いてしまって申し訳ないです. そういった, 数学の世界の中での定義や概念の導入された経緯みたいなものが, 少しでも教科書に書いてもらえるとより読み進めやすくなると, やっぱり数学外の人間は思います.

紹介された「現代数学観光ツアー」というのも機会があれば読んでみますね. ありがとうございます

物理やら何やらでもそれ自身の話についたは概念の導入経緯みたいなやつ「自然がそうあるから仕方ない」みたいな感じで経緯の説明ないのはふつうな気分があり, 何で数学だけことさら気になるのか感はあります. あと探せば数学史なり何なりあるので非専門の話に労力割きたくない事案なのはわかりますが.

数学の場合は, 自然科学でいうところの「自然がそうであるから」に対応する目的がないので途方にくれるんですね. 数学の定義や概念はすべて (自然ではなくて) 人間が導入するものなので, 最初にそれを導入した人間にとってはなんらかの意図や目的があったはずです. コーシーのそれのように.

高木貞治の近世数学史談だか何かに「数学は帰納の学問である」という話があり, 群やら何やらの抽象物も大抵何らかの具体例をゴリゴリにすり下ろして抽象化していたり, 物理から生まれていたり何なりするので, 物理をやっていればかなりの程度カバーできるのでは, というのが私の学習履歴でもあります.

それはわかります. ニュートンが運動を考えるために微分を生み出したという逸話を知っているから, 微分を勉強する意味もわかりますが, そうでない人 (たとえば物理に興味のない高校生) にとっては苦行でしかないだろうというのもわかってしまいます. 必要がないといえばそれまでですが.

2020-07-06 偏微分方程式まわりの物理の数理: グリーン関数に関わる数学の難しさ

はじめに

次のツイートにいろいろ反応したのをまとめておく.

以下, まるまるさんのツイートは引用にして私のツイートを適当に編集しつつまとめる.

本文

私の観測範囲だとそういう具体的な話を議論している本を見かけたことがありません.

リプライありがとうございます. デルタ関数等は超関数の意味で微分はできるが, 普通の微分はできないと習ったので超関数が偏微分方程式の特解になることに疑問がありましたが, 具体的に議論しなくても一般論から数学的に正統化できるという感じなのでしょうか.

だいぶ長くなると思いますが, 基本的には全て修羅の道です. 一般的な話をいくつかしたあと多少具体的な話をします. まず物理では解があることを前提にその性質を調べるのが普通なわけですが, 数学的にはその前段階の解の存在と一意性がすでに大問題です. そして物理の研究フェーズのはるか手前です. 例えば, 学部三年くらいでやる連続体の力学, 流体力学でのナビエ-ストークスは解の存在と一意性が言えたらフィールズ賞をあげます事案な訳で, 一事が万事こうだと思ってください. 物理として嬉しいことが何かできている方が珍しい, そういう気分です.

私の学部の頃の教官 (専門は数学としての非線型偏微分方程式) が言っていたのは, マクスウェルのような線型の方程式でも, レイリージーンズ (だったか何か) では境界条件で非線型性が出てきて, そこで問題が一気に難しくなると言っていました. その程度に何もできていません.

一般に超関数の積は定義できません. 関数解析的なシュワルツの超関数はもちろん, 佐藤超関数でもダメだったはずです. 最終的に頑張ればそれっぽいことは数学的にもできるのかもしれませんが, かなり紆余曲折を経た議論になるでしょう. コロンボーの一般化関数という理論があり, これは「超関数の積が取れる」体系だそうで, これを使って一般相対論をやっている人たちがいるようで, 本もあって持っているのですが, 専門違いなのもあって全くわかりませんでした. 超関数の積自体は数学的に正当化できる理論はあるようですが, 具体的な PDE で物理の人が満足するような話は何一つないでしょう. そんなのができたところで物理にとって何の役に立つ, と失望するだけと思います. それこそ今日話題の愚鈍な狂人石井晃事案です. ああ言いたくなる気持ちはわからないではありません. 私はその辺の数学に首を突っ込んで数学科にまでいったくちで, むしろ無力さを噛みしめながらそれでも自分の興味ある「物理」がそこにあると思ってしまったので歯を食いしばってやっていたわけで.

グリーン関数自体は数学でも普通に議論はあります. ふつうの PDE であまり見かけたことはないのですが, 幾何解析の文献では見かけます. グリーン関数というよりはグリーン作用素とかレゾルベントという言葉で出てきます. レゾルベントに関しては, 私の専門の作用素論では基本的な対象です. ただ, PDE の視点からレゾルベントを見た経験があまりなく, PDE 方面での意義や扱いは私はよくわかっていません.

私の知る限りの範囲で数学と物理での扱いの違いを書くとこんな感じです. 物理だと拡散方程式を初期値が点源 (デルタ関数) の場合を解く, みたいな形でグリーン関数が出てきます. あとは畳み込みで重ね合わせて一般的な解を得る, みたいな. これ, 初期値が超関数の超関数方程式で死ぬほど扱いづらいです. 数学では点源の方程式よりも初めから「一般の (可積分な) 初期値関数で考える」みたいな形にして, 初期値が超関数の鬱陶しい形自体を回避します. 数学的にはそれで「一般的』だから構わない, みたいな感じです. ここで物理との意識の違いも出てきます. 物理でのグリーン関数というか初期値が超関数の時の解は, 一般解を得るための道具というだけではなく, 点源のもとでも解というそれなりに物理的な意義を持つ対象で, これはこれで物理として本当に大事です. しかし数学的にはピーキーでやりづらい. こういう意識のギャップもあり, 物理で欲しい状況が数学的にきちんと議論してある本は必ずしも多くありません. 何か合理化はできるかもしれませんがそういう風に書いてある本を見たことがないので専門外なことも手伝って私はよく知らない, という話がいろいろあります. 全空間での拡散方程式の初期値がデルタ関数の解くらいなら簡単なのでいくらでもどうにでもなりますが, 数学でよくやる一般の領域内での初期値・境界値問題が同じ難易度でできるのか, そういうことを書いてくれている本があるかどうかは全く知らない, とかそういう感じです.

PDE とは少し離れますが, 量子力学での摂動はきちんと収束するのかを気にして最終的に数学者として世界をリードした加藤敏夫という人もいます. これは私の専門から見て完全に先達です. 気にし始めたら数学者にならざるを得なかったとかいうレベルで数学マターなので気にしても物理にいいことないという社会の厳しさ. この辺を実体験ともに思い知らされたので「物理をやりたければ物理をやれ, 数学をしたいなら数学科に行け, 半端者はどこにも何にも届かない」みたいなことをいつも言っています. 本当に物理のはるか手前の問題解決で数学的にフィールズ賞, みたいな話がよくあります.

2020-06-04 コーシー-リーマン方程式とヤコビ行列の複素数の行列表現

コーシーリーマン関係式、ヤコビ行列が複素数の行列表現であるための条件って捉えるのが好き (最近知った)

2020-02-19 数学者による数学教師への推薦図書の小リスト

鴨さんのツイートまとめ

黒木さんの批判コメント

市民感覚の無料コンテンツ

せっかくなので私が作ったコンテンツも紹介しておこう. 次のページにまとめてあり, 随時追加している.

特に次の講座を勧めておこう.

2020-01-11 中学での多項式の因数分解の「採点」を巡る問題: 黒木さんのツイートまとめ

次のツイートからなるツリーを勝手にTeX化・PDF化した.

学部は数学科ではなく, 院も解析系だったので極端に代数の素養がない. その懦弱さがこの手の議論で効いてくるのを痛感しているので, あとで見やすく・参照しやすくするために適当に編集して TeX 化した.

これから本格的に中高生に対する数学の教育に関わっていこうと思っているので冗談では済まされない. 粛々とやっていく.