2022¶
2022-03-26 理系の人が研究室や実験、といいますが、そこらの学生がやる意味があるんですか?¶
見事な回答を見た。 質問「理系の人が研究室や実験、といいますが、そこらの学生がやる意味があるんですか?二流三流大学の研究とは、すでに発表されていることの単なる確認やトレースではないのですか?」
どうも!三流四流大学で研究をしていたものです。
学ぶ気のある学生なら皆そうですが、私も修士号を取るまでの研究生活三年間、それは一生懸命実験をしていました。
しかし精神と健康、そして多額の奨学金を生贄に捧げて得た私の可愛い研究成果達が、この世界にどの程度のインパクトを与えたかと聞かれれば…それは皆無だと言わざるを得ません。少なくとも、今のところは。
質問者様の「一流大学」の定義は不明ですが、きっと世界大学ランキングで100以内に入る大学なら一流大学に該当するはずですね(国内なら東大京大)。確かに一流と呼ばれる大学でインパクトの大きい研究が成されがちなのは客観的事実です。
また現代において研究結果は予算でほぼ決まりますから、予算のある大学で大きな結果が出るのは当たり前ではあります。しかし学力優秀な学生の研究活動が、そうでない学生の研究活動に勝る傾向があるのも同様に当たり前です。
その上で、です。恐らく質問者様は「研究活動」を行なったことが実際にはないのだと思います。一度でも何か研究をしたことがあれば、あるいは何か科学論文や特許を読んだことがあれば、多分この質問は浮かばないんですよね。もちろん責めているつもりはありません、この質問は多くの方が考える至極良くある疑問なのだと思います。
実例で説明させて下さい。なお結論から話すつもりはありません。
「インジナビル」という抗AIDS薬をご存知でしょうか。この薬は発売された当時、それまであったどの薬よりもAIDSに対して効果を発揮しました。事実、この薬によってAIDSは不治の病ではなくなったのです。
そもそも創薬研究は人類の叡智の集大成の一形態ですが、AIDSのような難病を解決する研究がその中でも超高難易度の案件であったのはいうまでもありません。この薬を作ったのはメルク社ですが、もちろん当時から泣く子も黙る製薬の老舗、一流の研究者が揃っていたはずです。
ところでインジナビルは、工業レベルで大量生産するには非常に難しい化合物として知られます。ある書籍ではインジナビルは有機合成によって大量生産された化合物の中で、最も複雑なものの一つであるとまで言及されているほどです。
メルクは20工程あまりの合成経路でインジナビルを作りますが、その1工程ずつに効率化の試行錯誤が詰まっています。これは工業的薬品合成の教科書的お手本の一つでもあるのです。
この一連の工程をざっと見ると、各所にノーベル賞をとった反応や一流大学の高名な研究が用いられているのをいくつも見て取れます。この偉業は天才達によって成されたと言わんばかりです。
しかしもう少し丁寧に合成戦略を追っていくと、違った側面が見えてきます。この大仕事に利用されている化学は、自分の研究がインジナビル合成に利用されるとは考えもしなかったその他大勢の「二流三流」な研究者の仕事の上に立脚していることが分かるのです。
イタリアのパルマ大学に勤める無名の化学者 Giuliana Casiraghi は1980年に論文[1] を発表しました。そこそこの雑誌に掲載されたこの研究はハッキリ言ってかなり地味なもので、お世辞にも大発見ではありません。
しかしこの仕事はインジナビル合成全体の基盤となる極めて重要な鍵反応[2] に用いられることになります。パルマ大学は残念ながら世界ランク100位には掠りもしていませんから、Casiraghi の研究を実際に行なったであろう学生達も、少なくとも平均的には最も優秀な部類ではなかったと予想できます。そしてその予想が確実に正しい事を、三流四流大学に在籍した者として保証するにやぶさかでありません。
この話から得られる教訓は2つ。
研究の行く末や将来の応用事項について、完全に予測するのは本質的に困難である。何しろ研究している本人達にすら自身の仕事が抗AIDS薬の開発に使われ、見知らぬ誰かの生死に関わることになるとは考えていなかったはずである。そしてこれはインジナビルだけの話ではない。何しろ科学の対象とする世界は広過ぎるのである、予想し切れというのは無茶な話だ。 メディアの中にだけある”科学”と異なり、科学とは限られた天才のゲームではない。実際にはその他大多数の凡人による知識の累積に関する営みである。全ての研究は、過去の無数の研究に必ず由来している。その大部分は確かに大した進歩ではないが、それ等が無数にあることに意味がある。研究とは屍の山に登り、頂の景色を見にいく行為のようなものである。(そして自身も屍となる)
一流大学であろうと二流大学であろうと、実際の現場で研究者と学生達が取り組んでいる仕事は半端無く詳細で、限定的で、具体的な事柄です。科学の対象とする世界はあり得ないくらい広いのに、大抵の研究結果はあまりにも細か過ぎるので、外野から見ると他の研究のトレースに見えてしまうのかもしれません。
またその研究が一体他の仕事の何に関係しているのか、良く分からないことも往々にあります。しかし、科学とは蓄積の営みですから、たとえ僅かであっても新規性だけが重要であり、誰もそれに意味が無いなんていうことは出来ません。これは綺麗事ではなく、研究活動の在り方の現実です。
現代科学はかつて無いほど複雑になってしまっており、研究者は大きな仕事のためにはチームを組む必要があります。そこに大学の一流も二流も、スタッフも学生もありません。専門家と専門家がいるだけです。
試しにScienceやNatureのような一流雑誌に載っている研究論文について、著者欄と引用文献をいくつかご覧になってみて下さい。関わっている人間の数に驚くはずです。またどんな「二流三流」大学の研究者と学生が関わっているか良く分かります。
あるいは各国色々な官学協同・産学協同のプロジェクトを調べてみて下さい。「一流大学」だけが意義のある仕事をしているかどうか、簡単に確認することが出来ますよ。
以上、参考になれば良いのですが。
脚注
2022-08-01 ゆきみPDFのページ¶
はじめに追記: 2022/8時点ではここにサイトがある.
このページ. PDF のラインナップは次の通り.
- デルタ関数と超関数
- Hilbert 空間概要
- 不動点定理とかんたんな応用
- Sobolev の埋蔵定理
- 固有値問題いくつか
- n 次元球の体積と表面積
- 関数解析
- シュレディンガー方程式入門
- 量子力学で使う線型代数
- Poisson 方程式
- 水素原子の安定性
- ねこでもわかる解析
とりあえず記録.