専門家による素朴集合論の定義をはじめて知ったので¶
結論¶
鴨浩靖さんによる次のツイート.
なお、「素朴集合論」を公理化されていない集合論の意味で使うこともお勧めしません。集合論の専門用語としては、内包原理を無条件に認める集合論の意味で使われていますので。
— Hiroyasu Kamo ((φ→ψ)→φ)→φ (@kamo_hiroyasu) September 22, 2020
ツイートでのやりとりメモ¶
一定以上のレベルの記事ばかり注目されていますが、初学者向けの入門コンテンツも取り揃えている事も宣伝しておかないと。 / 集合論 - Mathpedia https://t.co/S1L4z2xZuj
— 数学市民@Mathpedia運営 (@Infinity_topoi) September 22, 2020
集合論は素朴集合論と公理的集合論に大別される主旨のことを書くことはお勧めしません。「極限論は『どんどん近づく』とεδ論法に大別される」と置き換えると何がまずいか理解いただけると思います。
— Hiroyasu Kamo ((φ→ψ)→φ)→φ (@kamo_hiroyasu) September 22, 2020
なお、「素朴集合論」を公理化されていない集合論の意味で使うこともお勧めしません。集合論の専門用語としては、内包原理を無条件に認める集合論の意味で使われていますので。
— Hiroyasu Kamo ((φ→ψ)→φ)→φ (@kamo_hiroyasu) September 22, 2020
代案: 数学の他分野と同様に、集合論も公理化が厳密な議論に役立つ。加えて、集合を対象とした研究では集合論の体系そのものを外から眺める手法が有効である。そのため、集合を研究するには公理化された集合論の体系が必須である。しかし、集合を数学の記述言語として利用するだけならば、→
— Hiroyasu Kamo ((φ→ψ)→φ)→φ (@kamo_hiroyasu) September 22, 2020
→特に公理化を必要とするほどではない。本稿も後者の立場に立ち、特に公理化することなく記述する。
— Hiroyasu Kamo ((φ→ψ)→φ)→φ (@kamo_hiroyasu) September 22, 2020
この代案をMathpediaにそのままあるいは手を加えて取り込んでいただいてもかまいません。ただし、著作権を放棄するものではありません。
— Hiroyasu Kamo ((φ→ψ)→φ)→φ (@kamo_hiroyasu) September 22, 2020
吟味の結果ですが、そもそもこういった表現を削除することにしました。かなり無難な表現にしたため、問題はないと考えます。 https://t.co/LGA8h45EUp
— 数学市民@Mathpedia運営 (@Infinity_topoi) September 22, 2020
鴨さんによる補足¶
「ラッセルのパラドックスを解消するために集合論が公理化された」はよく見ますがほぼ間違いです。ラッセルのパラドックスを矛盾にしないために公理化は本質ではありません。内包公理の制限が本質です。
— Hiroyasu Kamo ((φ→ψ)→φ)→φ (@kamo_hiroyasu) September 22, 2020
「集合論は素朴集合論と公理的集合論に大別される」は前TWの観点を含めて多重に間違っていますが、なにより数学教育的にも有害なので、撲滅が望まれます。
— Hiroyasu Kamo ((φ→ψ)→φ)→φ (@kamo_hiroyasu) September 22, 2020
雑感¶
この手の指摘をもらうためにはコンテンツをオープンにした方がいいというのはある. 先日の記事, 「理論物理学者に数学を教えようの会」の内容や開催にいたる経緯でも書いたように, そのうち「コンテンツは無料, コミュニティ参加が有料」というタイプの「オンラインサロン」をやってみたいと思っているので, そこを目指してコンテンツを公開する方向で進めたい気持ちはある. もちろん高いお金を出して買ってもらった人達への適当な保証も必要だろう. 既に買った人は月額課金の金額を安くするとか, そもそも無料にするとか. 「オンラインサロン」内で適当な有料イベントなどを開催する前提で, そこでまた必要なら課金することにすれば, コンテンツを購入した人はサロン参加自体は完全無料でも問題ない. あとは金額設定と規模がどこまで出せるかだ. この辺, できればこのモデルを改めて出版社などに持ち込んだりもできる.
もちろん既に完全に一般化したモデルだとも思うので出版社などは勝手にやってほしいのだが, 成功事例などがないと現在の学術系出版社は動けないだろうから, その辺の実験はこちらでやる必要があるのだろう. 様子を見ながら少しずつ進めたい.