「使う定理は全て証明する」という数学徒の主張について思ったことをつらつらと¶
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時々「自分が研究で使う定理は全て証明する. そうしないと怖くて使えない」という人がいるようだ. それはそれで素晴らしいことだが, 例えば強く分野に依存することではないかという気がしたので, 思ったことをメモしておきたい.
私の周辺の解析学はかなり上記の行動は徹底できると思うが, 例えば代数幾何などはどうだろう. 気になったのは特異点解消定理の扱いだ. ここによると廣中先生の原論文は 400 ページあるようだ. 今では証明が改良されてもっとすっきりしているかもしれないが, その辺りは分からない.
具体的な多様体に対して具体的な特異点解消を考える上では, むしろ上記定理によらずにきちんと構成した方が便利だろうから その意味で特異点解消定理のお世話にならずとも済むだろうが, 一般論を展開するときはどうしてもお世話にならざるをえないだろう. そういうときにきちんと証明を追いかけるのだろうか.
より極端なケースは未証明の予想の成立を仮定して議論する場合だ. 谷山-志村予想 (Wiles の定理) は志村が虚数乗法を持つときに予想が正しいことを 証明して予想の正しさをある程度確立したあと, どんどん数論界隈では信頼性が高まっていったようだが, 完全に証明されていない状態でそれ仮定した場合を問題にしている. 最初に挙げたケースは「証明されている命題は自分でもきちんと証明を確認する」という話だが, この場合はやはり絶対に使わないのだろうか. もちろんそういうスタンスはありうるし, もっといえば谷山-志村予想を正しいと思っていても 証明されるまで自分の仕事には使わないというスタンスもありうる.
全くまとまらないまま今回はここで終えるが, まあ色々あるということでご勘弁頂きたい.
追記¶
次のコメントがあったので追記しておく.
【◯◯予想と◯◯予想の強弱関係】その分野で一つの予想が解けない時に研究過程から派生したのか色んな予想が立ち上げられ此方の予想から此方の予想が出る、とか逆もこれだけ仮定すれば出るとか予想間の主張としての強弱についてのステートメントが出回る。暫くして大本の予想が解けると芋蔓式に発展
— 原子心母 (@atomotheart) 2015, 10月 30 【定理の証明の仕組みを理解する事とその定理の面白い応用を思い付く事は別の事】定理の証明を理解する事で何か応用的なアイデアを思い着く事はあるかもしれないが基本的にはこの二つは別件と考えられるのでは?
例えば四色問題とか
— 原子心母 (@atomotheart) 2015, 10月 30 【コンピューターが査読する時代が来たら?】コンピューターが査読する時代が来たら人は数学書の何を読むようになるのか?正しい定理が何かを知る事?
数学好きな人の中には証明を読むのが好きな人とか公式を使って色々計算して見るのが好きな人とかそれぞれのタイプがある。証明読の娯楽性が高まる?
— 原子心母 (@atomotheart) 2015, 10月 30 証明知らない定理が使えない、は数学的な問題でなくて、潔癖性みたいな個人の体質の問題な気もしますが。
教員が学生に何で定理の証明知らないのに使おうとするな!と罪悪感を植え付ける様に指導してる光景は何度となく見ているのでそういう風潮のせいもあるかもしれない。これには一理あると思う 続
— 原子心母 (@atomotheart) 2015, 10月 30 続 もう少しマイルドに使ってる全ての定理の証明はおえなくても正しい事はものの本によって保障されてるけど自分は証明を知らない定理と何と何から何が証明されるのか?その論理関係ははっきりさせておこう!というアドバイスも聞いた事ある。
— 原子心母 (@atomotheart) 2015, 10月 30 それはどういう状態を数学を理解したというのか?とも関係してる気がする。岩波の「数学の学び方」で小平先生がπの無理数性の初等的でロジックは簡単におえるけどかと言ってロジックをおっても何故πが無理数か?(無理数論のプロなら別かもしれないが)釈然としない証明を紹介しながら解説してる
— 原子心母 (@atomotheart) 2015, 10月 30 基本的には証明には定理が成立する理由が書いてある筈なので証明をよく読む事が定理の成立理由を理解する道のようにも思えるけれど。証明を書いた人の直観と数学のルール、文法に乗せる為に文章化したものの懸隔が甚だしいものもあって証明のロジックをおえたからといって何か感触がなかったり
— 原子心母 (@atomotheart) 2015, 10月 30 ならば証明は知らないが沢山例を計算して見た方が分かった気になれる事もあるし。
ここからは私の持論だけど分かるという状態に終わりはないけど、ある程度分かった気にならないと使いこなせないる気がしない。それは数学の問題というよりも数学を扱う人の気分の問題で人それぞれに解消の仕方がある
— 原子心母 (@atomotheart) 2015, 10月 30 雑感¶
少し話がずれるが, 個人的に証明読んだこともないのにものすごい実感がある定理として Haar 測度の存在がある. 以前はよく使うのだし証明読まないと, と結構真剣に思っていたが, 適当な位相群には存在するというのを何度となく聞き, しかもずっと使っているうちに当たり前のものになってしまった. もはや疑うべくもない実感としてある. 使ったのは相対論的場の量子論界隈での Poincare 群とか Lorenz 群あたりの本当に少ない具体例でだけなのだが, 不思議なものだ.
ラベル¶
数学,代数幾何,数論