書評: 数学まなびはじめ 第 1 集 小林昭七

対象本

数学まなびはじめ〈第1集〉
数学まなびはじめ〈第2集〉

はじめに

今回は昨年亡くなった小林昭七先生の部分だ. 他の方のと比較して読むと面白い, というところもある. 冒頭部がまさにそれだ.

数学者になった人なら, 小学校の算数 (昔は算術といった) ではクラスで大てい一・二番だったろうから

他の方のを読むと, 必ずしも得意でなかったとかいう記述はよくあるし, 「中学くらいから数学をしたいと思っていたという人がいる一方, 私はそれほど早くから興味を持っていたわけではない」といった記述もある. ちなみに河東先生は「記憶にある限りの昔から, 漠然とは数学者になりたいと思っていた」という話である. Web で明確に書いているから引用しただけで, 河東先生を引いてきた他の理由は特にない.

別件: 算術

あと全くの別件だが, これからは算数という呼び方はやめて「算術」にしたらどうだろう. 思わず名前を呼びたくなるような教科名ではないか. 算術と呼ぶようにすれば, 算数を馬鹿にする愚鈍な自称理系もいなくなるだろう. 太古の昔, ファイナルファンタジータクティクスには算術士という職業が存在する. 現代に算術士の復活を望みたい.

FFT はやったことないのでここで記述を調べてみた.

シリーズに度々登場する「レベル○魔法」にあたるものを繰り出すことができる. 算術ではレベルだけでなく高さ・ CT ・ EXP と, 3 ・ 4 ・ 5 ・素数を組み合わせ, さらに算術可能な魔法を詠唱なし・ MP 消費なしで発動することができる. ただし, 対象は敵味方無差別であり, 使用時に誰にかかるかを確認する必要がある.

考えてみればレベルが素数という敵もいたりするのか. Twitter 上の理想の東工大生, 素数レベルの敵が倒せずゲームがクリアできなさそう, とかいうことを想った.

話を戻して: 小林先生の中学時代

ちょっと面白かった記述があるので, それも引いておこう. 小林先生が中学の頃の話である.

$\varepsilon$ - $\delta$ を使った収束や連続の定義も何回か説明していただいた. そのとき解ったと思って, 1 里 (4km) の帰り道を歩きながら考えて家に着く頃にはなんだかもやもやしてきて, 翌日もう一度説明していただくということを 2~3 回繰り返したように記憶している. だから微積分を教えているとき学生が $\varepsilon$ - $\delta$ の議論を 1 回で理解しなくても当然だと思っている.

中学でやったのだからそう簡単に理解できるか, というところはあるが, 小林先生くらいの人でも悪名高い $\varepsilon$ - $\delta$ に苦しんだ, といえば救われる向きもあろうかと思い, 引用した. 私の場合は大学に入ってから学んだのでまた少し状況が違うが, $\varepsilon$ - $\delta$ に苦労した覚えはない. 当然ながら中学の頃には知りもしなかったけれども.

高校の頃

一高の頃, ということでやはり戦争の影響を受けた文章が入るあたりは最早お約束のレベルといっていい.

当時は私のように中学 4 年から来た 16 歳くらいのから零戦のパイロットで元中尉というような人までいて, 私などは「昭ちゃん」と子供扱いされた. 日本中, 食糧不足の時代だったから寮の食事はひどいものだし, よく停電するし最悪だったが毎日楽しかった. それが若いということなのだろう.

大学の頃

今の時代の日本で停電といったら文句を言う人がたくさん出てくるだろうから, 時代を感じる. 大学での話に進むが, メンゲという渾名の先生がまた最高に格好いい. これが東大か, 大学か, と思わせてくれる.

あまりにお世話になったので, 教養学部を終了するとき数研の連中が何人かでメンゲのお宅に手土産を持ってお礼に伺ったら, 「こういう物を持ってくるものではない. いまに論文を書いたらその別刷を持ってきなさい」と叱られた. 3 年後, フランスで Comptes Rendus のノートを出したときは一番先に先生に送った.

P143 に写真があり, 4 人写っているのだが, 皆同じような眼鏡で格好も同じ感じで見分けがつかない. 分身の術でも使っているのかと思う. 数学科の話に入ると, 少しずつ色々な人が出てくる. 杉浦光夫, 谷山豊といった名前もある. 何度でも書くが, 東大に行くと同級生から上級生, 下級生までこんな化け物揃いかと思うとつくづく東大に落ちたのが残念でならない.

淡中先生の話

あと淡中忠郎先生の集中講義の話が印象深いので, これは是非とも引用したい.

淡中先生は Tannaka の双対定理で有名な方だが, 頭の回転の速い先生ではないらしく, 講義の最中によくつっかえられ, 頭の回転の速い学生の方が先に証明が分かってしまうこともあった (その頃は不思議に思ったが, 後にいろいろな数学者に会うようになって, 頭の回転速度と仕事の室にはあまり関係がないことが分かった).

ときどき「頭がいい人」というのが「頭の回転が速い人」という意味で使われることがある. 淡中先生クラスであってもこのような現象が存在するので「頭がいい」という言葉の使い方にはやはり注意がいるな, という思いを新たにした. ただし, 少なくとも今の場合は相手が淡中先生である. 勝手に自分を重ねてしまうと逆に致命傷になりかねないので, 用法用量は正しく守って適用されたい.

矢野先生の話

このあとも面白い記述が続く. 矢野先生がプリンストンから帰ってくるから矢野先生について調和積分を学んでは, という河田先生からのアドバイスを受けた, という記述に続き, こうくる.

Hodge の harmonic integrals の本は難解で, 当時は de Rham の定理でさえもまだ Weil による Cech コホモロジーを使う簡単な証明が発表される前で, もちろん de Rham の本 Varietes Differentiables も出ていなかった

当時 Morse の理論を理解するのは大変なことで, Morse の本は読みにくく

Milnor の有名な本が出るのは 10 年以上も後のことである

数学セミナーでの追悼号

このあたりからは数学セミナーの小林先生追悼号にもいくらか記述がある. そこと合わせて読んでみるのもまた楽しい.

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