書評: 数学まなびはじめ 第 1 集 竹崎正道

本文

数学まなびはじめ〈第1集〉
数学まなびはじめ〈第2集〉

今回は第 1 集の竹崎先生のところについて感想を書きたい. 1-2 集合わせて, 会ったというか見たことがある数学者は 3 人いて, 深谷先生と小林先生は見たことがある. 竹崎先生だけは集中講義の後など何度か実際にお話したことがあり, さらにお酒を一緒に飲んだこともある.

富山先生の記憶

詳しいことは忘れたが, (年齢自体は 1 つ下らしいが) 同級らしい富山先生と先輩を交じえた飲み会でのやり取りは今でも覚えている. 問題ないと思うので, いくつか印象的な言葉を記録しておこう. 無茶苦茶な話だが, 竹崎先生が一流の数学者となった理由として, 富山先生曰く, 「もともと竹崎君はお酒が飲めなかったんだけど, お酒が飲めるようになって彼は一流の数学者になった」というのがあった. 先輩と共に「いや, いくら何でもそれは」と言ったが超自信満々で断言されたことを今でも覚えている. ただ, 竹崎先生の学生でもあり同じく一流の数学者である河東先生はお酒が全然飲めないので, お酒が飲めなくても一流の数学者にはなれることは付記しておきたい. むしろお酒が飲めることと数学者の実力, 全く関係ないのでは, と思うがこの辺について理屈を考えても仕方がないという暫定的結論に達している.

数学に対する姿勢

昔のことなので一部記憶が曖昧だが, もう一つ印象的なのは, 本文にも一部書いてあるが学生の頃の竹崎先生の数学に対する姿勢である. 東北大学なので冬は寒い. 暖房もあまり効かない中, 大学で遅くまで殘って数学をやっていたそうだが, 他にも色々と数学を続けていくのが苦しい状況下で何故そこまで数学に打ち込めたのかということを富山先生に伺ったところ, 即答で「そんなの, 数学を愛しているからだよ」と返ってきた. 普段「数学が何の役に立つ」などと散々言われているなかで, 即答でこの答えが返ってきたことに深く感動した.

冨田-竹崎理論

上で一流の数学者ということを書いたが, 竹崎先生の業績について決定的なものの一つとしては, 私の専門, 場の量子論と量子統計で決定的に重要な冨田-竹崎理論がある. 荒木先生の文章などで時々話にあがるが, この理論の一番基本的なところを最初に出したのは冨田先生なので, 冨田理論や冨田のモジュラー理論と呼ばれることもある. 何故「冨田-竹崎理論」と竹崎の名前を冠して呼ばれるかというと, 理論の中で竹崎先生が果たした役割の大きさもさることながら, 講義録を出版するなど理論の普及のため尽力したことがある. 誰か忘れたが, 幾何の先生から「Connes は竹崎さんの講義録を勉強して作用素環をやろうと思って, あんな結果 (Fields 賞の結果や作用素環における決定的な仕事の数々) を出したんでしょう. そういうのはロマンがあってやはりいいね」というお話を聞いたことがある.

冨田-竹崎理論は数理物理でも決定的に重要なのだが, (数理) 物理学者との共著論文も多い. 例えば Araki, Haag, Kastler, Takesaki の Extension of KMS states and chemical potential などがある. 引っ張ってきた文献は有名な論文ではあるが, 何か特別に意味があるわけではない. 名前に「 chemical potential 」と入っているので物理関係の話であることが分かりやすいだろうと思っただけだ. 量子統計だけでなく (相対論的) 場の量子論でも冨田-竹崎理論は基本的な意義を持つので, 関係することを研究する場合は必ずお世話になる. 量子統計方面については 動画を作った. 興味がある向きはご覧頂きたい.

お酒の席で研究について聞かれたとき, 量子統計をやっているといったら「今となっては地味な分野だけど, そういうことをきちんとやることも大事だね. 是非頑張って研究してほしい」と言われたことも懐かしい. 大学関係者か大学図書館に行ける人でないと手に入れるのは難しいだろうが, 作用素環への入口 も面白い文章なので読めるなら読んでみてほしい.

直接話したことがあるだけでなく, 色々と話したこともある先生なので本と関係ない話が長くなってしまった. そろそろ本題の文章の感想に入ろう.

冒頭部

まず冒頭部を引用したい.

編集部より, 私の数学との出合いについて書くことを求められたとき, あらためて私の数学について振り返ってみました. 私の数学との出合いについて語るためには, どうしても第二次大戦の戦中, 戦後の混乱期の少年時代について語る必要があるように思われます. あの今は遠い昔になってしまった混乱期の体験抜きに私の数学を語るのは, 表面的なものになってしまうことをおそれるからです. 少々風変わりな数学随想記ですが, つき合ってください.

『数学まなびはじめ』の他のお年を召した方々の文章でもそうだが, 戦争の影がどこかしらにあるあたりに時代を感じる.

小学校入学は 1940 年でした. この年は皇紀二千六百年ということで, 特別な年に進学した少国民として, 何かにつけて特別あつかいされました. 皇太子 (現天皇) と同年の生れということもあって, 自分たちは特別な使命をおびているかのように思い込んでいました.

こんなにふうにして, 私は典型的な軍国少年として, 成長していきました.

この中学校は軍人を育てることでも有名でしたから, 敗戦で特攻隊予備軍だった予科練から戻ってきた上級生は荒れ狂いましたが, 先生たちも彼らの心中を察してか, 暴力沙汰も大目に見ていました. なにしろ, 日本中で何もかも狂っていましたから…….

こういう文章が登場する.

中学の頃

中学くらいから数学との関わりに関して大事な記述が出てくる.

前年まで鬼畜米英を叫んでいた先生たちは急に民主主義を説きはじめました. 『民主主義』という名の教科書もひときわ立派な装幀で配布されました. いつの間にか, ひねくれぐせのついた私にはとてもうさんくさいものに思えました.

中略

数学の授業は退屈で, 嫌いでした. 先生が偉そうに教師用裏本からうつし取る黒板の文字, 記号をあくびをしながらぼんやり眺め, 時の過ぎるのを待っていました.

凄まじい時代を感じる. このあとで南原繁の全面講和の話も少し出てくるが, 想像を絶するものがある. 全く関係ないが, 去年あたりに南原繁の息子さんとお会いした. 当然相当のお年だったが, 日本史で学んだことがある人物のご子息に会うというのも滅多にない経験かと思って印象深かった.

このあとの「土田喜輔先生」という節が竹崎先生の転機その 1 になる.

第一回目の授業で, 問題を与えられた私は, 例によってふざけた調子で黒板の前に立って, ふざけた仕方で解答を書いて, 先生にひどくしかられたのが, 出合いの始まりでした. 顔面蒼白になった先生に 「竹崎! お前はおれをなめるのか! 」 とつめよられたときは本当にこわかったけれども, 先生は手は出されませんでした. 書き直しを命じられただけで席に帰されました.

土田先生の授業が始まって, すぐ私はこれまでの数学とまったく異質なものだということを感じとりました. 中略 何よりも私が感動したのは, 混乱の中の日本で, 数学を盾に, すっくと立って超然としている先生の姿でした. 敗戦以来, 右往左往する他の教師たちとはまったく違った世界に, 事もなげに真直ぐに立っておられました.

心の支えとしての数学, 実に尊い.

工学部での生活

竹崎先生はご尊父が中国に抑留されている母子家庭だったため, 就職などを考えて工学部で進学したという記述がある. それに続いて次のような記述がある.

工学部での生活は, 確かに私が場違いなところにいるという感じを強くさせるものでした. しかし, 鶴丸先生から最初の数学の講義を受けたことは幸いでした. その名の通りやせ気味の身体からくり出される講義に私は酔いました.

多少話がずれるが, 鶴丸先生の名前は別の所で見たことがあった. これを読む大分前に次の本を読んだことがあるのだが, これは鶴丸先生の講義ノートから作ったらしい.

この本にも鶴丸先生の講義は颯爽としたものだったという記述がある. 手元にないので不確かだが, 著者は学生紛争の時代に鶴丸先生の講義を受けたとのことだった. 名講義の影響力は強い.

戦前・戦中の軍国主義, 戦後の民主主義, それにつづいてレッドパージ等々と価値観や理念の動揺をくり返す日本で, 自明なことを自明であると論証する数学の確かさがまぶしく, 感動しました. 難解な証明は, その難解さの故にもっと確かなもののように思えました.

私の心を震わせる文章がこのように続いていく. 大学一年のときに地質のレポートというのがあったそうなのだが, そこの記述もまた凄い.

地質の標本の中に, 研究室は半ば埋っていました. そこで, 地質教室の将来を嘱望されていた若い格子がその 2 年ほど前に南太平洋の火山活動調査中に亡くなったことを知りました. 学問に命を捧げる人は, 昔ばかりでなく, 現代にも, そして身の近くにもいたことを知って厳粛な気持になりました.

理学部数学科へ

ご尊父が抑留から戻り結局数学に進むことになる.

しかし, 何といっても私を感激させたのは, 先生方の学生に接する態度でした. 11 人ばかりの少人数のクラスでしたが, 自分たちと同じ道を歩む者たちの集団として待遇してくださいました. 学生たちが敬意をもって迎えられる教室のあり方に, 私はびっくりしてしまいました. 物資の乏しい時代でしたが, 勉強に専念できるように最大限の配慮がされていることが進学第一日目から感じられました. 小学校入学以来, こんな風な期待と敬意を受けたことのなかった私には, 感激と同時に責任の重さがずしりと身にこたえました.

これは私も覚えがある. 何の実験だったか覚えていないが, 学部一年のころ化学系の学生実験の試問で, 化学か応用科学の試問担当の方に量子力学関係の質問をされたときだったが, 「これは僕もよく分かりませんし, むしろ将来の皆さんにお聞きしたいくらいなんですけども」という言葉が出てきた. いくら物理学科とはいえ, 大学に入って 1-2 ヶ月の学部生に対してだ. 専門家として無限の信頼と期待を寄せて敬意を払ってくれたこととそれに対する感動は今でも忘れない.

最後にまた竹崎先生の言葉を引用して終わろう.

最後に

私には数学は自分が自分自身であることを確認させてくれるものでした. 戦時中から戦後にかけての混乱に弄ばれ続けた私に, 数学は確かなものを与えてくれました. 数学に出合えたことに感謝しています. その意味で, 高校 2 年のときの土田先生, 華麗な講義で私を数学へと誘い込んでくださった鶴丸先生, それから教養部 2 年のときに工学部へ進学することに疑問を感じ始めていた私に, 「竹崎君, 君は理学部へ行って数学をやってごらん……」 と皆の反対とは逆に私を勇気づけてくださった勝浦先生に限りない感謝の念を感じております.

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数学, 書評, 作用素環, 竹崎正道