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2019

いろぶつ熱力学本査読に関する感想からはじまる物理の話

第一段

はじめに

いくつかのツイートをまとめました. 以下引用です.

いろぶつ熱力学の査読

いろぶつ先生の熱力学の本の査読をやっているのだが, 何というか改めて物理の人の頭の中を見ているという感じで, 物理の人は空気が読めて頭の回転がいいのだろうという気がしてくる. 具体と一般, 特殊と理想がぐちゃぐちゃになっていて, 数学系市民にはその切り替えについていけない.

こういうのを見ると, 数学は頭の回転と物覚えの悪い馬鹿にも比較的親切な分野というのを改めて感じる.

物理や工学, 高度のエアリード能力が求められる分野で, それが数学系の人間が挑むときのハードルになっているのを改めて実感している. 私が普段触れているタイプの数学も, 数理論理だとかもっと厳密なタイプの議論をしている人には「貴様らのエアリード能力の高さに感心する」といわれているのだろう.

ふと思ったのだが, 物理の人, 全微分の定義を何だと思っているのだろうか. これ, 院試の時に筆記で壊滅的だったらしく, 教員陣が衝撃を受けたらしく, 面接で全員に全微分の定義を質問していた, というの後で聞いた. 私は今でもきちんと言えない.

熱力学に戻ると, 一般論を展開している最中, 突然「理想気体で計算してみよう」という段落が出てきて, いつの間にか一般論に戻っている. 数学の本だったらいちいちくどく, 例1.2.4, 命題2.4.5 みたいに分離するところだ.

実は少し前のバージョンでは「この箱の中の記述は理想気体の場合に限る」 BOX ってのを作ってその中でだけ理想気体の例をやるようにしてたんですが, 自分で読んでいてうるさく感じたのでその BOX を取り外しました. つけたままの方がよかったかなぁ.

確かに熱力学最初に学んだときは理想気体のみの結果と熱力学一般の結果が混然となった印象があるので, やっぱりつけたほうがいいのかもしれないですね… (というより, うるさい ver を見てみたいです)

次のバージョンで復活させてみるかも, です (学生に印刷して配ったバージョンでは着いてた).

熱力学の難しさ

熱力学の難しさの一端は, 他で鍛えて来た微分方程式の議論が全く使えないところにもある. 極論, 計算で議論が組めないと言ってもいいのだろう. あくまで物理, 自然科学なので論理というわけでもなく, よくわからないが何故かそう, という経験事実に依拠しなければいけない.

もちろん, 力学でも何でも何故かこの現象はこの方程式に従う, という経験事実とそれに対する諦めはあったとはいえ, いわば数学的な装いと難しさに押されて物理に向き合いづらかったともいえるのだろう. 物理の勉強なのか数学の勉強なのかいい意味でわかりづらかった.

その一方, 熱力学は数学的なハードルがもはやかなり低くなっていて, 直接的に物理に向き合えるし, 向きわざるを得なくもなる. しかも使い慣れた数学的道具も使えない. その辺の巨大なギャップが厳しいとは思う.

あと, 熱力学の数学的厳しさでよく聞くのが記号的にもわけのわからない偏微分の計算とかいう単純な記号運用上の話だったりするし, 教科書書く人間はやる気あるのかとはよく思う. その非本質的な部分で悩む人が多く, 過去自分もそうだったといっておきながら再生産する者がいる度し難さは許しがたい.

数学から見た物理の本の厳しさ

数学系の人から聞くこの手の話, 具体的にはどのようなところでエアリードになってるか知りたい. 書いてる物理の人本人は論理を繋げて書いてるつもりだと思うので.

私の今回の話に関して究極的に言えば, 一般論は一般論として定義・定理・証明で, 具体例は例1.2.4のように例の議論として明確に分けていて, 物理はそうなっていないというのがあります. 実際, いま読んでいて, 理想気体での具体的な計算と銘打たれた節の後半で一般論が出てきていて驚いています.

なるほど. 物理では, ある具体例(理想気体等) を考えて, そこからどのくらい一般化されるか考察して, 一般化された話に至る, という形式が多いですね. もともと物があって具体例ばかりのところから法則を見出すので, 一般論が先になりにくいのかもしれません.

この指摘に関しては文章としての体裁の問題でもあります. 具体例を議論することを前提としたタイトルがついた節の中で前振りなしに一般論を展開するとはどういうことだ, と. 数学の定義・定理・証明・例は著者側で明確に区別していて読者が考える必要がなく, そのコミュニケーションギャップもあります.

なるほど. 本は見てないのでわかりませんが, 色んな観点からわかりにくいと思われる指摘は著者にとってありがたいでしょうね

また別の話をすると, 前書きで「エントロピーは統計力学でようやくわかった」というよくある話が書いてあるのですが, 統計力学でのエントロピーはよく乱雑さといわれますが, (この本でも実際そう書いてあるように) 熱力学でのエントロピーは断熱操作での状態間変化を制御する量であって, 統計力学で熱力学のような形の状態遷移を積極的には考えない (少なくとも私は見たことがない) のに, 統計力学で熱力学のエントロピーを理解することはそもそも可能なのかとか, そういうところにも査読コメントをつけています.

雰囲気的に, 本の書き方が悪い部分がありそうですね. 本当は体積無限大の極限で熱力学を再現するように統計力学を作って, 作られた統計力学から熱力学のエントロピーをそう解釈できる, という話なのだと思います (異なる流派あり

おおもとの話の, 物理の本でよく見かけるエアリード能力要求事案をいろぶつ熱力学の事案で書いているつもりなので, 特定の本というより, 少なくとも私が読んできた日本の物理の教科書の話という感じです.

数学者に「物理のここにギャップがある」企画を見てみたいなとよく思います. 物理の人はギャップないと思ってることがよくあって, 面白いことに気がつきそうなので.

物理学者への苦情まとめ VS 数学者への苦情まとめみたいなのも, いろいろ細切れなのはあるでしょうが, 大きくまとめたのは見かけないので何かやったら面白そうですね. 見かけたら地道にまとめていこうと思います.

物理学者への苦情まとめ VS 数学者への苦情まとめその 1

自明ではあるが, 物理の人が書いた文章でエアリードスキルを要求される事案を見つけたのでメモしていこう.

量子力学に従う粒子, すなわち量子のとる状態は複素線形空間$H$の上で表現される.

内積空間であることを要請していない. 前の部分で内積に触れてはある.

このように単位ベクトル$\ket{\psi_i}$で表せる状態を純粋状態という. この状態は$\ket{\psi_i} \bra{\psi_i}$ のように正方行列で表してもよく

あとでどちらを状態と呼ぶのか紛らわしい. このあと作用素環的な設定を前提にしたような記述があり, 厳密にはそれだとまた少し違うので諦めてどれか一つを採用してほしい.

これとは関係なく思い出した. 解析力学の講義のとき電磁気がらみの話でゲージ関係の話が出て教員が「任意の関数」と書き「それはどのクラスだ」事案. ちゃんと考えると微分可能性だけではなくエネルギーの有限性に絡む可積分性要求もあり, (非物理の数学関係者からすると) それほど自明ではない.

ちなみに量子力学で出てくるとき, 単純な場合は$\Ltwoloc$になったりするし, (二次元で) アハロノフ-ボームを考えるときは「平坦性」を課したりもするので, ここでもそう自明ではない.

「量子力学の数学」にもっていくと自己共役性に絡めてかなり非自明な議論が必要になり, 適当な設定では破滅するので物理の要請に沿い, 数学の技術的な仮定がどこまで外せるかという話まで絡んでくるので, 物理の人が思うほど数学として自明なことは少ない. ある意味でこの逆もある.

たとえば, 関数解析的な手法による偏微分方程式論では「自明な」空間はソボレフ空間だが, おそらく物理の人がさっとわかるほど楽な定義や性質を持たない. 流体で出てくるベゾフも定義がかなりごつい.

物理で理論を作る流れ

物理で理論を作る流れ.

  1. 解明したい振舞をする系 A がある
  2. 凄く単純な模型 X を作る
  3. X の変な振舞 (適用限界) を確認
  4. A を説明
  5. 似た B も説明できる一般化を行う
  6. 内包してる物理がわかった!

教科書だと 1 を具体例として後半に書くので動機不明の事がある

研究者からさえ数学の教科書に向けられる苦情の大きな部分はそれではないでしょうか. 特に高次元の線型代数は工学系の学生が「実空間は 三次元なのになぜ四次元以上をやるのか」と言っていたり, 抽象線型空間なんて使わないといっていたら量子力学で死を味わったとか.

私も腐っても学部は物理で修士から数学なので, その辺, 人間のやることであって物理も数学も大して変わらない地獄がある感覚があり, 数学で苦しんだだろうになぜ物理学者は, という感じもあります.

物理と数学の議論の流れは違う?

天体の運動を考えると, 動きの観測, ケプラーの法則 (太陽系での具体例), 万有引力の法則 (ほかの物体にも適用可能な一般論) に至るので, 一般論として万有引力の法則があって具体例で天体の動き, とはならない. なぜなら万有引力の法則が正しいかは具体例から定まるから. 論理の向きが数学と逆なのかな

それは教科書の書き方か研究かがごちゃごちゃになっているようにも思います. 力学だと教科書としてはいわば公理的に運動方程式からはじまって, 運動の一般論と具体例は割ときれいに分かれています. 続

電磁気だと帰納的に積み上げて Maxwell で終わるか, (簡単に Maxwell を導いた後で) Maxwell から初めていわば公理的にやっていきつつ具体例も触る教科書の展開はふつうなので物理と数学の論理の違いたいな話はまた違うでしょう. いわゆる物理の要請が数学では公理として現実と切り離す違いはあるにせよ.

数学でも「はじめから群があったのではなく, いろいろな例を見たうえで群という一般論を作ったのだ」ともいわれますし, 高木貞治の「数学は帰納の学問である」という言葉もあります. 最近の数学と, 大昔の物理とも強く結びついていて, 物理学者兼数学者ばかりの頃の数学の違いもあるでしょう.

なるほど. 興味深いですね. 熱力学が力学のように体系化されるのかされうるのか. 特に熱力学 (と統計力学) は常に有効模型, 有効理論なので (そもそも熱平衡はいつ起きるのか), 電磁気や力学みたいに基本法則を信じきれない部分もあるので定理みたいにならないんですかね. それとも上手く書けば書けるのか

話が少しずれますが, 場の理論の黎明期はそれに近いです. 特に散乱で量子力学で育てた感覚をもとに, 模型ごとのアドホックな議論を進めていて実験と直接結びつく散乱理論がぐちゃぐちゃだったから, もうあきらめて「これは信頼していいだろう」という線を公理化して数学したのが場の理論の数理の始まり.

LSZ の還元公式は公理的場の理論の成果だと, その筋の人は良く言います. 物理の言葉だと行列要素の収束ですが, 数学的には作用素のノルム位相の収束を考えるのではなく, 位相を弱めて弱収束を考えるというまさに関数解析的な議論の変化によるところです.

あと公理的場の量子論の, 少なくとも当初の問題意識・設定は「これだけは信頼できると思ったところだけから, 疑義を挟まない (近似を使わない) 議論でどこまで言えるかを検証する. 物理的におかしいことが出てきたら公理 (要請) が悪い」です.

私はこの文化圏で育ったので, 理想気体でおかしい結果が出たら理想気体の公理が悪い (モデル化が悪い) とまず真っ先に思うので, さっきみたいな話が出てきます.

いわば公理の無矛盾性判定の基準を物理的におかしい結果が出るか否かに置いています. 公理の無矛盾性とか言っていますが, 単に仮説検証です. 著しく数学の装いが強く, 数学的な問題解決 (解の存在と一意性など) のために問題意識も物理とずれがちになり, 物理にたどり着きづらい厳しさが常にあります.

ちなみにこの分野での解の存在は赤外・紫外発散による問題があったので, その発生当初の歴史的文脈では非自明かつ物理としてクリティカルな面があり, 非一意性は相転移・対称性の破れによる物理的に起こるべき非一意性問題もあるのですが, いまの普通の物理の人は気にしないよねマターはあります.

あとまた少し趣が変わる話ですが, 熱力学またはそれを生み出した経験的事実と他の分野の整合性にかかわる議論として量子多体系における物質の安定性という議論があります. Lieb-Yngvason の Lieb が主導している分野でもあります. 量子力学が生まれたきっかけの一つは水素原子の安定性です.

古典的な荷電粒子だとエネルギーがどこまでも落ち込む一方, 量子力学だと水素原子のハミルトニアンの基底エネルギーが下限を決めてくれるという話です. これを第一種の安定性といいます. もちろん量子多体系のハミルトニアンに対しても第一種の安定性の議論があります.

これは量子多体系の基底エネルギーが粒子数 N に対して漸近的に線型か, という問題です. 平均エネルギー (単純に基底エネルギーを N で割った量) が定義できるかという問題でもありますし, 熱力学的なマクロなエネルギーが N に比例するか, エネルギーの相加性があるか, という問題でもあります.

単純に考えて非自明なのは粒子間相互作用項が$N^2$のオーダー個あることで, これがうまくキャンセルして N に落ちるかがまず問題です. 実際はもっと面倒で, 系がボソンだけだと基底エネルギーのオーダーが$N^{7/5}$になる定理があり, ボソンだけの系は第二種の意味では不安定です.

電子が安定性に重要という有名な話の厳密化です. ミクロな系の安定性は量子力学誕生の頃からの懸案で熱・統計力学と深くかかわり, 物理ど真ん中の大事な話ではあると思うのですが, やっているのは Lieb 周辺の (物理よりの) 数理物理の人ばかりで, 多分普通の物理の人は触れない分野です.

平衡系の熱力学は圧倒的で多彩な経験則をどうやってクリアカットな少数の原理にまとめ上げるかが面白く, そして歴史的には熱力学と矛盾しないようにどう物理を作るかという指針の役割を果たしてきた分野, 物理 of 物理なので数学的な整備を目指すのは物理の人の肌には合わないだろうとは思います.

物質の安定性で書き忘れましたが, 粒子が相対論的な系への拡張もあります. これが大事なのは少なくとも原子番号が大きくなると本当に相対論的効果が出てくること, そして原子番号が大きい時に第一種の不安定性さえ出てくることです.

私が知っている範囲では原子核にまで踏み込んだ議論はないものの, そこまでいかずとも放射性元素の問題はありますし, 電子の動きに注目してベータ崩壊はあります. 相対論的電子で原子番号が大きい時の不安定性はベータ崩壊の存在示唆と思えなくもありません.

物理学者のいう「物理的」「数学的」とは何か? 「いろぶつ先生こと前野昌弘さんの熱力学」の査読雑感その2

いい復習と思い, いろぶつ先生の熱力学の教科書の査読をしている. その途中で思ったよしなしごとをそことなく書きつける. ちなみに前回の記録は次のページ.

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流れの中で出てきたツイート

永井さん (物理の研究者) からのリアクション

「物理的」
「数学的」

熱力学での状態概念の扱い「いろぶつ先生こと前野昌弘さんの熱力学」の査読雑感その3

とりあえず GitHub にリポジトリを作った.

  • https://github.com/phasetr/ThermoDynamicsForMathematician

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