物理の人の数学への向き合い方¶
やりとりメモ¶
定理や命題の主張は理解できるけど証明が全く分からない場合、数学の人はしっかり補うと思うんだけど、物理の人はどう向き合っているんだろ。
— みるか (@mirucaaura) May 15, 2021
物理で必要な計算ができるかどうかがまず問題で、その時点で証明できる力があるかもわからない(学部一年で超関数のフーリエ変換さえ出てくる)ので、気にしなくなります。どうしても気になる勢は多分本当に数学に行きます。
— 相転移P (@phasetrbot) May 15, 2021
確かにその時点で証明に必要な数学の知識があるとは限らないですものね。
— みるか (@mirucaaura) May 15, 2021
もっというと、流体力学の基本方程式であるナビエ・ストークスはいまだに解の存在と一意性が証明できておらず世紀の大難問として有名ですし、そもそも証明できるかどうかさえわからなくても証明抜きでバリバリ使うので、この辺が数学的に攻めきれることが多少なりともありうる分野と多分気分が違います
— 相転移P (@phasetrbot) May 15, 2021
追記¶
定理や命題の主張は理解できるけど証明が全く分からない
これに関していくつかのポイントがある. 大きくわけて次の 2 つの場合がある.
- 純数学的な議論: 例えば代数の準同型定理など.
- 物理的な議論を強く含む場合: 例えばベクトル解析の諸定理.
後者の場合は次のような「物理的な証明」がある.
- (暗黙のうちに) 簡単な場合に限定した (厳密な) 証明.
- そのままでは正しくないが, 少しの修正で正しくなる「証明」.
- 大雑把に考えてさえ正しくないが, 物理での応用上の気分はよく掴める「証明」.
一番目はベクトル解析でよく出てくる. 二番目はデルタ関数の近似関数列として熱核の代わりに原点近傍でだけ $n$ を取る関数列を取るとき, 三番目はそもそもとしてデルタ関数を「原点でだけ無限大の値を取る, 全積分が 1 の関数」として「定義」してしまうことあたりを想定している. 必ずしも証明の話ではないが気分は伝わるだろう.
次のような番外編もある.
- 厳密には正しくなく凄まじい修正さえ必要だが, 数学的な気分が説明できる「証明」.
なぜこれを入れたかというと, Witten をはじめとした超弦理論まわりの人々が数学の人と話すとき, 数学者向けに調整した「説明」がおそらくこのタイプだからだ.
もっと言えば数学者の言う「アイデア」もこの手のタイプの「説明」だろう. これについては研究レベルにまで進んだ人と, 私のように修士程度で, 研究ごっこまでしかしなかった (できなかった) 人間とでまた少しスタンスの違いが出てくる. 大した話ではなく, 単純にアイデアレベルの数学的な雑な気分を本当にゴリゴリに厳密にした経験があるかどうか. この経験がある数学関係者はいい意味の緩さを持っているし, 何なら人によっては本当に「物理学者の雑な議論を精緻化するのが自分の仕事」という人さえいるだろう.
最後, 物理関係者の話から数学関係者の話になってしまった.