第 004 回 コンテンツ制作の方針と文法へのスタンス

まず確認

記事公開手順

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この動画に特化したリンク先は次の通りです。

(講義動画と関連リンクの内容)

以下いつもの関連コンテンツ群です。

(YouTube 動画の説明欄にいつも張るリンク集)

これを読んでいる方への注意・言い訳

これはコンテンツの原稿案であり, 私の勘違いや単純なミスを含めた間違いも含まれた文章・コンテンツです. そのつもりで内容を眺めてください.

勉強会の最中や後で指摘を受けてオリジナルの原稿には修正を入れ続けますが, 多重管理が大変なのでこちらの記録自体はいちいち修正しません. もちろん指摘は歓迎しますし, 個々の md に関して指摘された部分は修正します.

適当なタイミングでコンテンツ・サービスをリリースするので, もしあなたが間違いを潰した (少ない) バージョンのコンテンツで勉強したいなら, それを待ってください.

講義動画と関連リンク

はじめに

今日の予定

進捗

TODO

次週予定

今日のメモ

日本語・簡体字・繁体字の比較例

プログラミング言語の変化・進化に関する話

勉強会でプログラミング言語の変化・進化は必然かという質問があったので, それに対するコメントです.

プログラミング言語の研究成果や実践の中でいろいろな要望が挙がってくることを受けて変わるので, そうした経緯・意味で一般には必然的な変化です. もちろん後方互換性の問題があり, 引き起こしたい変化が後方互換性を破壞するような変更 (破壊的変更) に対する態度が各言語・文化圏で大きく変わります.

Java のような広く産業利用される言語では破壊的変更の影響が極めて大きく, 変化があるにしても破壊的な影響がないように慎重に進められます. 破壊的変更が入る言語のバージョンアップに対して, 産業の現場で古いバージョンを使い続けるようなこともあります.

伝え聞く話だと留保をつけますが, Java の場合は文化という観点からは面白い話がいろいろあります. 一時期は本当に言語の進化が遅々として進まなかったようですが, 最近の IT 界隈の状況に合わせてここ数年は言語そのものにかなり積極的なバージョンアップが入っています. 言語の変化・進化には言語が持つ文化圏という視点の他, IT 界隈の雰囲気という文化・社会の要素も含まれます. 自然言語でも日本では国語審議会があり, 「当用漢字表」、「現代かなづかい」、「常用漢字表」、改訂「現代仮名遣い」などを決めてはいますが, すぐに浸透するわけではありません. フランスでもアカデミー・フランセーズによる言語介入があります. こうした自然言語と似た事情は人工言語にもあるのです.

言語をよくするために破壊的な変更を含む変化をどんどん取り入れる言語もあります. 例えば少なくとも私が知る限りでは, バージョン 2.9-2.12 での Scala はかなり激しい変化を取り込んでいたと思います. これは Scala を好む人々が先進的な機能をどんどん使いたいという人々で, まさにそういう文化だったのです.

JavaScript は言語自体の変化もさることながら, 言語を取り巻く環境としてのライブラリなどに激しい変化・進化があった言語としての文化的な面白さがあります. ここ 2-3 年は React・Vue でかなり安定してきたようですが, 4-5 年はライブラリの群雄割拠という状態で, 毎月新しいライブラリが出てきて話題になるといった状況が続いていました.

変化の激しさは書籍などにも表われます. たいていのプログラミング言語に関わる書籍は, 数年前の本はほとんど使い物になりません. 中に書いてあるプログラムが動かず, 本を読んでいていちいちはまるのでかえって勉強を阻害します.

その一方で強い後方互換性があること, 根本的な変更が入らないこと, または柔軟に変更に応えられることを特徴にする言語や, それを大事にする文化がある言語もあります. その 1 つは Lisp です. Lisp はいまも現役の言語の中では, 数値計算でよく使われる Fortran につぐ寿命を誇っています. そしてプログラミング言語の書籍としては本当に珍しく, 30 年前の本でもその内容が十分に通用すると言われていて, 参考文献として紹介され続けています.

自然言語にも言語ごとの文化があるように, 人工言語であるプログラミング言語にも言語ごとの文化があります.

内容: コンテンツ (案) からの転記

文法や単語に関するコメント

だいぶ前に書いた分も整理する必要があるが後回し. コンテンツをある程度作ってみて全体をどう組むべきか見えてからの方がよさそうだから. せっかくなのでいくつかは紹介する.

単語

多言語対照記憶法

これは中高生にはお勧めできないというか, 実行不可能な方法です.

もしあなたがある程度の語彙を既に持っているのなら. ドイツ・フランス・イタリア・スペイン語などから類推した方が覚えやすいことがあります.

例えば parliament という単語があり, これは議会という意味です. かなり古い表現はいまはあまり使われないようですが, これの類語として客間・お店と言った意味の parlor という単語もあります. 英語だけ見ているとこれがなぜ類語で, このような意味を持つのかわかりません.

これは実はフランス語に起源があります. 実はフランス語の「話す」 (talk, speak) は parler という単語であり, parliament にしろ parlor にしろ, 「話す場所」から議会や客間という意味が来ています. このように英語以外の言語を介して意味を見抜けることがあります.

英語の 7-8 割はフランス語から来ていると言われています. ノルマンコンクエストに由来する歴史的な事情によります. フランス語はラテン語の系統で, 一方, 英語はゲルマン語の系統なのです. そして英語のもう 1 つの親はドイツ語です. つまり英語の深いところを探ろうと思うと, どうしてもドイツ語とフランス語が出てくるのです. 日本語は漢字を使って書かれていますし, どうしても中国語の影響があるというのと同じことです.

相対性理論の原論文がドイツ語なので, このドイツ語ならまだしもこの講座でフランス語を扱うのはどう考えても無理です. ただ, こうしたアプローチがあることは覚えておいてください. 特に大学で第 2 外国語としてフランス語を勉強した人は, それを思い出すといろいろないいことがあるでしょう.

英語には品詞がない?

ここまでとは少し違った視点から考えます. ある単語が複数の品詞を持つという現象, そして同綴異義語 (どうてついぎご) という視点です.

世界中で使われているという事情もあってか, 英語は単語の使い方がかなり簡単に・頻繁に変わる言語です. その 1 つとして, 単語の品詞が簡単に変わる (追加される) という現象です.

例えば Google という会社はいまや日本人の誰もが知る会社でしょう. もちろん元は社名なので名詞です. しかしかなり前から先頭を小文字化した google がそのまま「検索する」という意味になっています. 杓子定規に言えば, 別の意味を与えられた上で別の品詞として使われるのです.

他の事例も見てみましょう. move のように同じ意味で名詞と動詞が同形の単語, book のように名詞では「本」という意味, 動詞では「予約する」という意味で少し意味が変わることもあります: 「本に記録する $\to$ 予約する」という推測はできるので, 全く違う意味というわけでもありません. もちろん google もこの手の形です.

(beech: ブナの木)

形容詞と動詞が同形のパターンも見てみましょう. free は形容詞で「自由な」, 動詞で「開放する」といった意味です. loose は形容詞で「緩い」, 動詞で「ゆるめる」です.

意味によって発音が変わる単語もあります. 例えば live はリブと読めば動詞で「生きる」, ライブと読めば形容詞で「生の」という意味です. 音楽などのライブを想像すればいいでしょう. 他に close はクローズなら動詞で「閉じる」, クロースなら形容詞で「近い」という意味です.

名詞・形容詞・動詞が同じ形の単語もあります. リストでまとめておきます.

挙げていくときりがありません. 次のもっと複雑なパターンもあることを紹介して終わりにします.

これらもある意味では多義語と言えるでしょう. 相対性理論の単語集に品詞をつけておいたのは, こういう事例がたくさんあるからです. いきなり品詞情報まで覚えようとしても大変なので, 少しずつ覚えていってください.

意味は子音で取る

次のような穴埋め問題を考えます.

ここでハイフン - を入れたところに何が入れられるでしょうか? 例えば次のような穴埋めができます.

これは「歌」を表す名詞・動詞とその活用です. 母音は「歌」の意味はそのままにして品詞や活用を表すのに使われています. 実際, この動詞の活用は変則的だと言われてはいますが, 同じ変則的な活用をする動詞はたくさんあります. これも少なくとも英語では子音が単語の意味を決めていることがわかります.

これが有効活用されている事例として, 少なくとも数学の現場で使われている略語を紹介します.

完全に全てとは言えないものの, 見事なまでに主な省略対象は母音です. そしてこれできちんと意味が通じますし想像もできます.

また省略という概念に対する基本も確認します. 省略は枝葉を取り除いてエッセンスを残す作業です. そしてそこで残る要素が実際に子音なのです. 英語圏の人々にとって間違いなく単語のエッセンスは子音にあることがわかります.

少し話がずれますが, 何がエッセンスかを判断する上では漢字の省略を眺めるのも面白いでしょう. 例えば台湾でいまも使われる繁体字はいわゆる「昔の面倒な漢字の書き方」で, 現代の日本語はそれをアレンジして簡単にしたバージョンを使っています. 一方, 中国大陸側では簡体字と呼ばれる日本語とはまた違う省略形を使っています.

いくつか眺めるとわかるように簡体字の省略はすさまじいです. 時々「中国人は省略のセンスがない. 省略しすぎていて元が何だかが全然わからない」という日本人がいるようです. これはそもそも漢字を眺めるセンスが中国大陸の人々と日本人とで全く違うと見るべきでしょう.

いくつか例を挙げておきます.

何をどう省略するか見るだけでも言語に対する感覚が現れます. 他の言語を勉強することは自分の中に他の文化圏を受け入れることでもあります. 自分の中に多元的な文化・世界を育むと言ってもいいですし, 文化的な侵略だと捉えたくなることもあるでしょう. 何にせよ言語にはその言語圏の文化が色濃く反映されているので, 深く言語を理解するには対応する文化の理解も不可欠です.

文法

この講座での文法の役割

この講座は理系のための語学・リベラルアーツというスタンスが基礎にあります. 物理・数学になぞらえると, ガリレイの「自然という書物は数学の言語で書かれている」という有名な言葉があるように, 言語・文章という自然を, 文法という人間が見出した法則で読み解くというイメージで, 数学・物理学習にも活きる形で構成するのが目的です.

物理に対する数学のように, 文章に対する文法は人類の知見がフルに叩き込まれた最も重要な道具というスタンスを取ります. そして中学・高校で勉強する文法はほぼそのままの形で理系向け語学・文章読解に使えます. 世の中にはすでにいろいろなレベルに合わせた文法の本があり, 学校で買った参考書をきちんと勉強してもらえればそれで十分です. ここでは同じようなコンテンツを作るのに労力を割くよりも, それらを下地にしてより深く文法を勉強し理解するための内容を議論していきます.

プログラミングと文法

この講座は理系のための語学・リベラルアーツというスタンスが基礎にあり, 理工系科目として基礎に据えているのは数学・物理・プログラミングです. 特にプログラミングの側面から文法を捉えてみましょう. 実際にいろいろな問題があるからです. 私の文法に対する感覚はよくも悪くもプログラミング学習・実践による部分が大きくあります.

まずプログラミング言語からすると文法はある種の絶対性があります. 人間相手に自然言語でコミュニケーションするときは文法的に正しく話さなくても相手に通じます. しかしプログラミング言語で機械とコミュニケーションするときは, 文法的に正しくないと全く相手に通じません. 大文字・小文字を間違えたり 1 文字スペルミスしただけで「何を言っているかわからない」と突き返されます. 本当に何一つ意思が通じなくなるので, 文法の意義を学ぶには英語を勉強するよりもかえってプログラミング言語という人工言語を勉強した方が早いくらいです.

一方でプログラミング言語のもう 1 つの問題は自然言語より遥かに短い期間で文法が変わりうることです. プログラミング言語には明確なバージョンがあります. あるバージョンではこう書かなければならない一方, 別のバージョンでは違うように書かなければならない, そんな事態がよく起こります. 後方互換性の問題と呼ばれます.

文法学習という観点からは後方互換性も重要です. バージョンごとに絶対性 (文法にしたがわないと本当に話が通じない) がある一方, バージョンごとにそのルールそれ自体が変わるのです. もちろんある言語を固定すればその言語内でルールが根源的に大きく変わることはそうありません. しかし, 微妙な違いであったとしても, そのルールは絶対的で強制されるため, 影響範囲・被害が甚大になることもよくあるのです. 自然言語のようにゆるく漸進的に変わっていくとは限りません. 必ずしも両立しない自然言語に対する文法感覚と, 人工言語であるプログラミング言語に対する文法感覚を両方育てることこそが, この講座でのリベラルアーツの 1 つの要点とさえ言えるかもしれません.

ちなみにバージョン変更で根源的に文法ルールが変わることはありえます. 例えば Egison と呼ばれる言語ははじめ Lisp 型の括弧による構文の言語だったのですが, あるバージョンからは Haskell 型の構文に変わっています.

文法分析の注意

人間が間違って理解・適用しない限り, 自然は自然法則にしたがって動くと理解するのが物理です. 「人間が間違って理解・適用しない限り」例外はないと仮定しています. うるさいことを言えばきりがありませんが, ここではこの仮定を全面的に受け入れましょう.

例えば「飛び出すな 車は急に止まれない」というとき, ニュートンの運動方程式が成り立つ範囲の古典力学が支配する世界にいる限り, 急に止まれる車は本当にありません. ここで「適用範囲を間違えない限り」という注意が決定的に大事です.

文法はお行儀よく書かれた文章を読むときに役に立つ概念です. 極端に言えばそれ以外の場合に使える保証はありません. 人は常に文法通りに言葉を紡ぐわけではないのです.

文法は何とかして言語の中にルールを見出したいという人の心の結晶で, もちろんできる限り例外事項を補足しようという動きもあります. しかし実際の発話ではいくらでも無茶ができます. 例えば外国に行ったときに片言の単語だけで何かを話して伝えようとしたとき, 「お前の言葉は文法的におかしいので何も意味がわからない」と言われても困るでしょう. 言語はコミュニケーションを円滑にするための道具にすぎず, その目的の方が重視されるときに「文法的におかしい」と言われても「おかしいのはお前の方だ」としか言い様がありません.

ときどき文法を神聖不可侵の金科玉条のように扱う人がいます. 私達は英文をよりよく理解するため, それが役に立つ場面で文法をうまく使おうとしているだけであり, 具体的な文を文法で裁判したいわけではありません.

文法は時代によっても変わります. 学校でも勉強するように, 日本でも平安時代の貴族による日本語文法と現代文法は必ずしも一致しません. そもそも字面が同じでも単語の意味さえ一致しないことがあります. 言葉は生き物であり, 変化・成長します. 本来, 杓子定規に文法が適用できる対象ではありません. それでもできる限りのルールを見出してみたいという特定の人々の欲求から生まれたのが文法理論です. 現実の言葉が先, 文法が後です. それを間違えてはいけません.

一方, 文法的に整った文は物事を伝えやすくなるときがあります. 特に難しいこと・面倒なことを伝えるときにはできる限り文法的に整った文を書くモチベーションが出ます. その極致が論文をはじめとした学術的な文献です. 特に論文に出てくる文章は内容がとにかく難しいですし, 微妙な表現の違いで意味やニュアンスが決定的に変わる文章も出てきます. だから文法面で非常に繊細な注意を払って読み書きする必要があります. 逆に言えば文法がこれほど使える場面はありません. そこで実際に文法的な正確さが強く担保された文章を読み書きすることで文法を実戦的に勉強しようというのがこの講座の意図・目的です.

臨機応変に取り組む

まず目的をはっきりさせましょう. 私達がしたいのは次の 2 点です.

この 2 点を効率よく効果的に実現するために文法を使います.

実際の文章読解で各文を文法的に考えるとき, 大事なことは上の 2 点を達成することです. 具体的に言えば文法的にきちんと考えるときでさえその考え方は 1 通りではありません. 内容に関する解釈の幅があるように, 文法的に見てもその文の文法事項の解釈にも幅があるのです.

もっと言えばあなたが中学・高校で勉強した文法だけが全てではありません. 中学・高校の文法は言語学的にはもっと細かく分類されているかもしれませんし, 逆に実は同じものだとして複数の概念が統合されて理解されるようになっているかもしれません. 日本語の古文と現代文を見てもわかるように, ゆっくりではあっても文法は少しずつ変わっていきます. 現在の物理学の理解では, 物理的な自然法則は過去現在未来, 全時空で同じ物理法則が成り立つとされていますが, 言語の法則である文法はそうではないのです.

この講座では次の 2 点を意識しながら文法を活用します.

この意味は読解編を読み進めながら体得してください.

法助動詞と一般化助動詞

ここでいう一般化助動詞はこの講座だけの独自用語なので注意してください. 適切な文法用語を見つけられたらそれに差し替えます.

まず法助動詞はいわゆる助動詞, つまり can, will, may, must, should などです. 一般化助動詞は be able to, be going to, have to が代表例です. 他にも appear to, seem to などのように助動詞とみなした方が理解しやすい表現があります.

イントロダクションでも注意したように日本の中学・高校で勉強する文法だけが英文法ではありません. 研究者達が考える言語学の水準から見たもっと詳しい文法もあります. Appear to や seem to が助動詞だなんて聞いたことがないと思うかもしれませんが, そう考えた方が理解しやすいことがあるならそうした概念を新たに定義してもいいのです.

一般化助動詞についての注意
TODO メモ

これ, 単語の意味の方に置くか文法に置くかどうするか?

have to

have to は一般化助動詞だと書きました. 中学・高校の教科書では (一般化) 助動詞と書いてありますが, そもそもなぜ have to が助動詞なのかという話もあります. それについて考えてみましょう.

話を固定するために次の文を考えてみましょう.

まず動詞の have は「持っている」という意味があります. そして何にせよ have to のあとには動詞の原形が来ます. これは have + to 不定詞とも考えられ, 上の文は「私は英語を勉強することを持っている」と日本語に直訳できます. ここからこの文章の解釈の問題が出ます. 「持っている」のが他者から持たされているなら「英語を勉強しなければならない (その義務がある)」と訳すべきかもしれません. 「好き好んで持っている」なら「英語を勉強したい」と訳すべきですし, もう少し価値中立的に「英語を勉強する必要がある」と訳すべきときもあるでしょう.

この解釈の幅は否定形の意味を考えるときに強く出てきます. 肯定形は must と同じで「しなければならない」と訳すのに, 否定形で I don't have to study English. は「勉強する必要がない」と訳すのは不自然だと思ったことはないでしょうか? これは上の肯定文の解釈とも関係があります. 本来 have to は「---することを持っている」ことを意味するだけで本来は中立的な意味しかありません. 否定形ではそれに忠実な日本語訳をつけているわけです.

こう思うとそもそも日本の中高英語文法で have to は must と同じような意味とするのは正しいか? という疑問が出てきます. あくまでも have to を助動詞とみなす視点を堅持した上で, have to に否定形と揃えた意味を持たせたいなら have to は「---する必要がある」と訳すべきでしょう. 一般化助動詞について考えるときは最低限この程度の思考・思索は必要です.

念のため補足しておきます. どうやら英語の教員がその手の杓子定規な解釈を重視しているようなので, 下手な訳をつけると逆にバツにされるという問題はあります. しかしそれは個別の教員の資質やら現在の日本の学校教育の問題です. 私達の立場で英文を正しく理解という欲求, 私達の英文法に対する認識とはまた別の話です.

be able to

ときどき be able to は can の意味だと言われることがあります. これも本当か? という話があります. 例えば can には may の意味を強めた推量の意味があると言われます. これは can の「できる」は可能性に関する意味があり, その可能性の意味からの転用として推量の意味を持つようになったと考えられます. しかし私は be able to に推量の意味があると聞いたことがありません.

一方, 一般化助動詞 be able to をいつ使うかと言えば, 例えば "I may not be able to do it." のように本助動詞と組み合わせて使います. これは助動詞が重ねられない (遥か昔そういうルールで運用しはじめて今も方針変更されていない) 英語の事情があり, そのときに be able to で回避・代用したのが一般化助動詞として定着したのでしょう.

be going to

これは未来表現としての will の代わりに使うことになっています. そして will と be going to は例えばこのページで説明されているように次のような使い分けがあるとされています.

しかしこれも本来的に will の単純な言い換えではありません. Will は名詞として「意志」などの意味を持ちます. つまり未来表現に使う will はもともとそうする意志を持っているという意味があり, その意志を持って行動するなら未来はきっとそうなるだろうという意味で未来表現に転用されています.

一方 be going to は必ずしもそういう意志を持たない意味にも使えます. つまり他の人に予定を入れられたからそれに合わせて向かっていく (go to) のであり, 自分の意志とは必ずしも関係ないはずで, その辺の微妙なニュアンスの違いが上に書いた使い分けに響くのでしょう.

TODO will の話はあとで適当な場所に移す.

5 文型: 文型それ自体が意味を持つ

次に説明するように, 各文型はそれ自体が意味を持っています. うるさく言えば文型の分類自体も諸説あるようですし, 何がどの文型に属するのか, 完全分類できるかも明らかではありません. ここではあくまで英文理解の役に立てることを目的に, 金科玉条にはせずに進めましょう.

大西泰斗氏は各文型に次のような名前をつけています.

名前をつけるとそれで意味が固定されてしまいがちですし, その名前に引っ張られて利用者が柔軟性を失ってしまうこともあります. 適切な命名が大事な理由でもあります. 上の命名は 1 つの適切な入口を与えてくれはするので, まずはこれで大まかに特徴を掴むのもいいでしょう.

5 文型: 各文型が持つ意味
第 1 文型 SV

第 1 文型 SV は there is/are 構文が典型的なように, 「S が存在する」という意味を持ちます. 存在のあり方を強調するために be 動詞から他の適切な動詞に変えることがあります. 例えば数学では存在性を強く主張するために there is をわざわざ there exist と書くことがよくあります. むしろ exist の方を良く見かけるほどです.

他には特殊相対性理論の論文では実際に次の文があります.

これは asymmetries の存在の様子が to be inherent in the phenomena だと言っています. 存在の様子を断定するのではなく, 「---なように見える」と訳せば動詞 appear の意味を持たせています.

第 2 文型 SVC

第 2 文型は SVC で, この型は次の 2 つの意味を持ちます.

大雑把に「S = C」とまとめてもいいでしょう.

これらはまさに be 動詞が等号だとみなせる例です. もちろん第 1 文の I は先生であるだけではなく, 誰かの親だったり, 生徒だったり, 娘だったりするかもしれません. こう思うと単純な等号ではなく包含を表すような「特性を持つ」というニュアンスが出てきます.

補語が形容詞でも同じです. 次のような文を考えてみましょう.

前者はまさに she = smart ですし, 後者も he = nervous です. うるさいことを言えば, もちろんこれも「そういう側面がある」だけで完全な等号ではありません.

他には動詞 become も第 2 文型を作れます. Be 動詞ではない以上, 「S はこれから C になる (C と等しくなろうとする)」といった意味に変わりますが, 等号を基礎にした意味を持つことは同じです.

第 3 文型 SVO

第 3 文型 SVO は型が次のような意味を持っています.

むしろ第 1, 2, 4, 5 文型以外の意味を全て担うとイメージした方が適切かもしれません. この文型は英語表現の格で, 第 3 文型を使うと英語らしい表現がたくさん作れますし, 英語表現の面白さを実感できる文型でもあります. 日本人が第 2 文型で書きがちな文を第 3 文型で書くと英語らしくなりますし, 表現が豊かになります. 例えば次の文を見て比較するといいでしょう.

一般に第 3 文型にすると意味が明確になります. 場合によっては文が短くなって意味が取りやすくなることもあります.

主語や目的後を自由に変えられるようになることで, 話の主体がどこにあるのか明示しやすくなる利点もあります. 例えば This book is good for students. では, 私が勧めることに主眼があるのか (私のお勧めが何か聞かれている), 本の良し悪しが問題なのか (この本がお勧めなのか聞かれている), 生徒が主体にあるのか (教師にとっていいのか生徒にとっていいのか) などいくつかの論点があり, それに応じて主語・目的語を柔軟に切り替えるべきときがあるからです.

この講座は読解中心なので英作文は強調して勉強しませんが, 英作文について強いていうならいろいろなことを第 3 文型で表現するようにしてみましょう. 英語の表現の幅があがります.

第 4 文型 SVOO

2 つの目的語を区別するために第 4 文型は SV O1 O2 と書くこともあります. こう書くと第 4 文型は次のような意味を持ちます.

「与える」というよりも「奪う」というニュアンスを持つこともありますが, 数学的に捉えてプラスを与えるかマイナスを与えるかと思えば「与える」で統一できます. いくつか例を見てみましょう.

「奪う」系の例も紹介します.

前者の文は次のように第 3 文型で書いた方がシンプルではあります.

ここで a lot of を省略しています. この省略で意味が変わるかどうかは何が主張のメインかによります. もし「たくさん」であることを強調したい場合は省略すると意味が変わります. しかし時間と手間が省けることに重きがあって量にはそれほど関心がない場合, この省略で意味は大きく変わりません.

TOOD 後者の文, 第 3 文型ですっきり言えない?

後者に関してはいろいろな書き換え方があります. 第 4 文型を使うと形式的には短く表現できる一方で第 4 文型は扱いにくい面もあります. 例えばある動詞が第 4 文型を取れるのかどうかという文法上の問題があるからです. そう思うと次のような書き換えがあります.

第 5 文型 SVOC

第 5 文型は他よりも複雑な構造を持っています. 特に後半の OC はよく O = C と説明されることもありますが, これだと少し不都合なこともあります. 次のように整理すると SVOC が持つ意味を統一的に考えられます.

詳しく見ていきます.

前者の OC は第 2 文型のイメージです. そして O = C というわけではなく, 「私」から見ると本は難しく見える一方で「彼」から見ると本は簡単です. これが「S は V の視点で OC を捉える」という意味で, O と C の関係が S によって変わっています. 第 2 文型での単独の文 this book is difficult. は客観的な意味を持つ一方で, 第 5 文型の OC におさまると主観的な意味に変わると言ってもいいでしょう.

後者の OC は第 3 文型で, 動詞は使役動詞です. そもそも等号を意味する第 2 文型ではありませんが強いて等号で説明するなら, 「彼」が主体的に本を読むのではなく, 「私」が読ませることで強制的に O=C の状態に持っていくとみなせます. これも S によって O と C の関係が変えられています.

このように第 5 文型は OC の関係性と SV の関係性の 2 つを含む複雑な構造になっています.

TODO 前者の例は I find that this book is difficult. とどういうニュアンスの違いがあるか?

SVO と SVOO の書き換え

中学・高校で SVO と SVOO は言い換え・書き換えできると勉強したはずです. 表面的には書き換えできますが, 違う文には違う意味, もっと言えば違うニュアンスになることがあります. 日本語でも「相手の感情を傷付けないように言い方を考えよう」ということがあるのと同じです. ここではその問題を考えてみましょう.

よくある次の 2 文を考えます.

どちらも大雑把には「メアリーはボブにプレゼントをあげた」と訳します. 英語の語感としてどうもこの 2 文は違うようです. その感覚が何に由来するのはを考えるのも言語学の役目です. 言語学として多くの議論があるそうで, 専門ではない私はその全てを追い切れていません. ここでは他の文章読解にも役立つ形で 1 つの見方を紹介します.

結論から言うと上の 2 文は「ボブがプレゼントを受け取ったかどうか」にニュアンスの違いがあります. これを前置詞 to の有無という視点から見てみましょう. SVO の文には SVOO にはない前置詞 to があります. ここで前置詞 to は方向性を指し示していることに注意します. 「I go to school.」は「私は学校へ行く」という日本語にするのが普通ですが, to を杓子定規に理解すると「私は学校の方に向かっていく」とも受け取れます.

第 4 文型では明確にボブにプレゼントを渡している一方, 第 3 文型ではプレゼントを渡そうとしただけでボブが受け取ったかまではわかりません. 渡そうとしたが実は拒絶されたという結末もありえます.

日本人の感覚からすると「to が付くか付かないか程度でそんなことがあるのか?」とも思います. しかし日本語でも「私はそうします」というか「私がそうします」で微妙なニュアンスの違いがあるように, この書き換えでそうした微妙なニュアンスの違いは出るようなのです. もっと言えば to はそのくらい微妙な塩梅を表現できる装置です. こうした to のはたらきについては他のところでもいろいろな形で説明します.

文型を柔軟に捉える

イントロダクションで大事なことは文章の内容を正確に理解することであり, 文法はそのための道具でしかないので金科玉条として杓子定規に考えては逆にその力を失ってしまうと書きました. 文型理解でも同じです. どう考えるとその文を的確に理解できるかが大事なのです.

例えば形式的に見れば第 1 文型であっても第 2 文型として捉える方が適切な場合もあるのです. 論文の英訳第 1 文でまさにそうした例が出ています. 実際に原論文を確認してみてください. 読解編を読んでもらえればそこでも解説しています. もちろんいろいろなところで出てくる例です.

文型を柔軟に捉える具体例: be in motion

特殊相対性理論の論文で次の文があります.

この be in motion を be moving と思って問題ないか考えてみましょう.

まずここでの move は自動詞なので, 現在進行形にしても S+V の第 1 文型と捉えて問題ありません. しかし一般論として現在進行形は S+V+C の第 2 文型に分類されることがあります. 例えば大西泰斗氏の著書では, 存在を意味するタイプの文を除いて be 動詞が構成する文は S+V+C の「説明型」 (主語の状態を C で説明する文) と書かれています. つまり be moving は「動いている (moving) 状態である」ことを説明している内容です. そう考えると中学でよくある第 3 文型と第 4 文型の書き換えのように, 微妙にニュアンスが変わることはなく be in motion と同じ意味と考えていいでしょう.

一方の in motion については, 例えば江川泰一郎の「英文法解説」の「前置詞 + 抽象名詞」の項に「英語らしい表現で, 文語調」という説明があります. この手の表現は論文のような硬い英語ではよくあり, of importance = important などと同じです.

TODO 文型を柔軟に捉える: 受動態の文型

受動態の文型は考えない (無理にあてはめない) という話.

たしかにS・V・Oを振り分けていますが、通常の最も身近な五文型とは少し異なっていることが感じられるかと思います。

TODO 少し違うという意味の確認. 次のように考えているが適切か?

「型が意味を持つ」という文型論の大原則からすると型自体に受身という意味を持たせたいが, 5 文型の議論で受身の議論はない. つまり第 5 文型は受身を無視した整理の仕方なのだと言える.

冠詞 a の使い方: any の意味

特に理工系・数学で重要な使い方に関して説明します.

上の例文で a magnet, a conductor とあります. ここの冠詞の a は any のような意味も持っています. 日本語, 特に「数学用語」で言えば「任意の」という言葉があてられます. つまり次のような意味です.

もちろん次のように訳すのがふつうでしょうし, それで全く問題ありません.

もう少しイメージしやすい例をいくつか挙げておきます.

どんな立方体であったとしても立方体である限り定義によって 6 面あります.

同じくどんな雲であれ雲は定義によって水蒸気の集まりです.

弾力性のある物質は弾性体と呼ばれます. 同じく弾性体はその定義によって弾性限界を超えるまで必ずもとの形に戻ります.

冠詞 the の使い方: all の意味

The には次のように総称的な用法があります.

ここでの the electron は「全ての電子」「電子というものは」という意味で, 形式的には単数ですが総称的に使われています.

本文単語

★がついた単語を眺める. いま面白いと思っている (それだけのコメントができる) 単語としてリストアップしている.