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昨日の話の続きでウルトラナイーブな話なので
書くかどうか迷ったのだがせっかくなのでまとめておこう.
昨日次のように書いた.
きちんとやった方が先生が喜ぶというか, きちんとやらないと
先生が怒るだろうと, 最終日もきちんと稽古することになっている.
これ, 先生が話していたことを思い出したら
喜ぶとか怒るとか何とかいうよりも当然のこととして
稽古をしないと, 畳の上に上がらないと駄目だという気になってきた.
「柔道家は怪我をしたときも畳の上で治すのだ」と仰っていた.
無茶苦茶だと思うのだが, 畳の上だと気が引き締まるし
治りも早いとまで言っていた.
真偽はともかく, 柔道に限らず武道にはこういう感覚がある気もする.
剣道・弓道にもあるようだが, 柔道にも道場に神棚がある (場合がある).
稽古はじめと終わりには「神前への礼」がある.
いいことも悪いことも, つらいときも苦しいときも
柔道の神様にご報告して柔道の神様に見守られながら
畳の上で過ごすことに意味がある.
何したらいいかわからなければとりあえず道着を着て
畳に上がって柔道していれば道は自ずと現れるとか
そんな感じがする.
そんなわけで今日も明日もその先も柔道と数学と物理をやるのだ.
ふと彼氏彼女の事情の一馬を思い出した.
歌を作りはじめたあたりで, 毎度変な歌ばかり
作ってはメンバーに笑われていたところ,
横断歩道でふと「音楽に包まれた」とかいって
覚醒したくだりだ.
ちょっと道場で神様と向き合ってくる.
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