このサイトは学部では早稲田で物理を, 修士では東大で数学を専攻し, 今も非アカデミックの立場で数学や物理と向き合っている一市民の奮闘の記録です. 運営者情報および運営理念についてはこちらをご覧ください.
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面白いとか言って済む話ではないのだが.
例① ぼく「分速60mで歩く人がいる」 生徒「いる」 ぼく「この人が5分で歩く距離は何mだろう」 例② 「分速60mで歩く人がいる。この人が5分で歩く距離は何mですか」
— ヤマグチ (@t2o_yama) 2015, 2月 11
算数が苦手、あるいは今は良くても後に躓く子は、この2つの問いを同じように処理しない。能力の問題でなく姿勢や習慣の問題で。①は300mとすぐ答えるのに、②になるとみはじ(はじき)の図を描き始めたりする
— ヤマグチ (@t2o_yama) 2015, 2月 11
会話では生きていた「聞かれたことに答える」という機能が、紙に書かれた問題を解く段になると消失するわけだ
— ヤマグチ (@t2o_yama) 2015, 2月 11
何度も言うが、算数や理科の問題は解く前から答えが何であるか分かっている。この場合の答えは「分速60mで歩く人が5分間に進む距離」だ。しかし、嘘のような話だが、地方の公立小の生徒は半数以上がそのことを認識していない。答えが何であるかより先に式を考えようとする
— ヤマグチ (@t2o_yama) 2015, 2月 11
生徒をよく見ると、単位を書くときに問題文を見る生徒 がいる。「何mですか」の部分を見てmと答えているわけだ。60×5=300の時点ではそれがmであることが認識されていないということ。何か気になっ た、とかkmじゃないか確認した、など他の理由も考えられるが、毎回見る生徒は間違いなくクロ
— ヤマグチ (@t2o_yama) 2015, 2月 11
私が一番強調したいのは二番目のツイート。これらは 「能力の問題でなく姿勢や習慣の問題」なのだ。もちろん、その積み重ねはそのうち能力の差になってくるが。ではなぜ「姿勢や習慣の問題」がでてきてしまう のか。小中学生を指導する人はその辺をもっと考えた方がいい。もちろん私も
— ヤマグチ (@t2o_yama) 2015, 2月 11
算数の文章問題で一番大事なのは「自分が何を求めようとしているのか認識すること」だ。それが認識できていない状態で問題を解くことにはほとんど意義がない。それこそ中教審の嫌いな「暗記重視の受験勉強」だ
— ヤマグチ (@t2o_yama) 2015, 2月 11
逆に、自分が何を求めようとしているのかが認識できて いるなら、それをどう求めるのかは比較的どうでもいい(もちろんその中で「こうした方がなお良い」というものは確かにあるが)。その本末が逆になっている 典型が「みはじ」であり「単位のサンドイッチ」であり方程式や比例式であり
— ヤマグチ (@t2o_yama) 2015, 2月 11
3x+5=-x-7が解ける生徒のうち、何割が「『xがいくつなら3x+5と-x-7が等しくなるのか』を求めている」という認識を持っているのだろう?
— ヤマグチ (@t2o_yama) 2015, 2月 11
計算は、すでに何だか分かっている答えに数字を与える作業にすぎない。その作業が問題の中核であるかのような誤解が「算数(数学)ができなくなる」という現象の諸悪の根源といっていい
— ヤマグチ (@t2o_yama) 2015, 2月 11
子供たちの詳しい状況はよくわからないが参考にしたい.
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