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“実践女子大学学術機関リポジトリ: 本の読み方をめぐって ─ 線引き書き込みについて考える ─” http://t.co/h7Eb0QMu2d
— II. Baszileiosz (@Basilio_II) 2015, 8月 7
何この面白そうな論文.
5 ページと短いのでちょっと読んでみた.
それはそうと, これ, どういう分野の論文なのだろう.
図書館情報学とか?
「読書法」や「知的仕事術」の類書には、本に線引き書き込みしたりページを折ったりしなが ら読むことを勧めているものが多数あります1)。しかし、統計やアンケート、対照実験などを論 拠に書き込みの効果効能を検証したり、書き込みを実行しているおかげでこんなに良いことがあ りました、という因果関係を実証的に示したりすることもなしに、漠然とした主観的な信念や印 象だけに基づいて、原本に直接書き込む奨めに短絡しているものが大多数です。本を読んで何か を書き記すことがもし有意義であるとしても、書き込む先が図書の原本に直接であることに合理 的な必然性があるとは思えません。
確かにあまり考えたことなかった.
大学 3 年くらいから書き込む (本を汚す) のが
何故かすごく嫌になったので,
誤植のメモをそのページに挟むように変えたことがある.
印刷した論文に対してなら
ちょっとしたメモを書き込むことはある.
細部まで完璧にしたい論文,
あとで使うから計算を追いかけないといけない論文などは
ノートを作ったので書き込みはしない.
何にしろ調査結果を示さずに書かれがちな感じはある.
本にメモすると本を読んだときには
「ここ大切だ」と見やすいのかもしれないが,
逆にその本を定期的に読まないなら
そのメモが死蔵されるのでもったいないし,
復習できないという弱点がある,
と思ったらやはり P.2 に記述があった.
確かにどちらの方がいいのか検証の必要があるだろう.
どういうスタイルに慣れて (しまって) いるかというところもあり,
実験のデザインも大変ではないかと思う.
書き込みした人が書き込みした方が効率的に
学べたとした場合, その理由が何かとかそういうのも気になる.
ところが、書き込みに積極的な意義をみとめる考え方は古来からのものだったようです。「今では古書に書き込みがあるといやがられるが、江戸時代までは逆 だった。むしろ書き入れをすることで、より成長した書物になる。それが次の読者を呼び、影響力を増すことにつながる。読者も書物を後世に残す努力を積み重 ねたのだ」「そのため、和本はそれを考慮に入れてつくってある。どんな本もわざと上をあけておくのである」4)。
以前, 電子書籍でこの手の発想を使った
【書き込みの共有】サービスとかないの, という話をしたことがある.
数学や物理だと計算の行間が激しいことがあるので,
それを埋めるのには使えるなという感じはある.
それ以外だと【この書き込みしたやつ,
やばいくらい何もわかっていないし
邪魔だし何なの】とかなりそうなのでとてもつらい.
本人は他人に迷惑をかけていないつもりでも、たとえば引退時や死亡後に遺された大量の蔵書が書き込みだらけだったとしたら、家族は処分に困ってしまいます13)。
この視点はなかった.
専門家の情報収集能力, 半端ない.
書き込みや汚損のある本は、図書館に寄贈するにも古書店へ売却するにも不適です。線引きや書き込みをしなくてはじゅうぶん読んだ気がしない、ということが習慣化してしまうと、借りて読むという行為自体に支障をきたすのではないでしょうか。
江戸時代に貸本文化というか商売があったと思うが,
そのときはどうだったのだろう.
本をめくるところだけ真っ黒になっているとか
いう話を聞いた記憶がある.
当時は筆など筆記用具がどこまで一般に
出回っていたのかよく知らないし,
貸本があるのは (大) 都市だけで
農村とかにはないのではないか感もあるし,
わからないことだらけで本当に厳しい.
それはそれとして【線引きや書き込みをしないと~】の下り,
またもそういう発想なかった.
線引き書き込みしておくと、再読するときに役立つとよく言われますが、どれほどの割合の本が実際に再読されているのか疑問です。
これ, どのくらいの調査・研究があるのだろう.
次の文に参考文献は引用されているが,
どういう調査をした結果なのか気になる.
「いろいろと書き込みまでして丹念に読んだ本」22) ですら、読んだという事実自体をすっかり忘れてしまうことがあります。
厳しい現実を指摘してくるので厳しい.
対策として、利用マナーやモラルに訴えるよりも、個人の私有物か公共の財産かにかかわらず、そもそも本はノートではないのだから、書き込みする対象物とは始めから全く思ってもみないような人が増えるよう誘導したほうが、書き込み被害の予防に効果的ではないでしょうか。
最近, 物理的なノートへの書き込みは
検索できないから嫌で,
必要なら多少面倒でもテキストファイルに転記している.
超めんどいしあとで見ないことも多いが,
書き残したくなるのは貧乏性なのだろう.
もっと精神的大富豪になりたいが,
そもそも未定義語なのでそれもつらい.
つらい論文だった.
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