このサイトは学部では早稲田で物理を, 修士では東大で数学を専攻し, 今も非アカデミックの立場で数学や物理と向き合っている一市民の奮闘の記録です. 運営者情報および運営理念についてはこちらをご覧ください.
理系のための総合語学・リベラルアーツの視点から数学・物理・プログラミング・語学 (特に英語) の情報を発信しています. コンテンツアーカイブに見やすくまとめているのでぜひご覧ください.
何となく理系は結論から話すって(特に理系の人が自慢げに)言われるけど、そんなことをちゃんとできるものは博士以上でも本当に一握りで、大概は話を理解させようという努力をしていないか話下手なだけだから、文系の皆様は是非お話の練習をさせてあげてくださいね
— 牛乳左衛門 (@L4Cat) 2016年2月23日
理系の人間が話下手なのは、まぁ、否定しないデスガ、理系の人間同士だと通じるんデスよ。なぜならボトムアップで喋るから、あるていど知識が共有できてれば、話す、どころか最初の一言の「こーいう現象があって」で終わっちゃう。
— 未確定名「フライヤーの中」 (@Real_analysis) 2016年2月23日
@Real_analysis んで、そのノリで、「ここにこーいう現象があって、わかんないかな、これがこーなるじゃん。このぐらいのところに影響があって、わかんないかな。何度も言ってるけど(言ってない)人類が滅亡するんだけど、」って順序になるから、これが「わからない」って言われる。
— 未確定名「フライヤーの中」 (@Real_analysis) 2016年2月23日
@Real_analysis 長々と説明されてる間に、「で、発端って何だっけ」ってなるらしいッス。普通の人間は。アタシもぶっちゃけピンとこないんデスが、どうもそういう事らしいデス。んで、本題は次から。
— 未確定名「フライヤーの中」 (@Real_analysis) 2016年2月23日
@Real_analysis なんで(中途半端な)理系の人間は結論から喋らないか。あのトップダウンな喋りかた、はっきり言って「詐欺師」にしか見えないんデスよ。「人類は滅亡する!!!」って印象的なキャッチコピーから入って、どこまで本当なんだかわからない説明を後から盛るやつ。
— 未確定名「フライヤーの中」 (@Real_analysis) 2016年2月23日
@Real_analysis いやまー、「相手がわからない事を説明する」「途中で飽きさせない」って条件を満たそうとすると、どうしてもそうなるしか無いんデスガ、その順序はホラが入る隙がガバガバにできるし、大体最初の「結論」しか頭に残らないから、後で横から騙されるってパターンもある。
— 未確定名「フライヤーの中」 (@Real_analysis) 2016年2月23日
@Real_analysis んで、理系の人間は、少なくともアタシは、理論が最初に来る人間だから、んなまちがった事覚えてどーすんねんって思いながら、がんばって下から説明するんデスガ、イメージ植えるのが上手な人間に勝てない。否、勝つ方法なんてない。人間そこまで真面目じゃない。
— 未確定名「フライヤーの中」 (@Real_analysis) 2016年2月23日
@Real_analysis そのへんがどーしても、フツーの人間と、少しでも学を齧った人間と、ギャップが埋まらなくて、ある程度まで達観すれば、人間なんてそんなもんだとして、適当に「あやす」方法を学ぶんデショウが、アタシはまだその域まで達してない。そんなおはなしデシタ。
— 未確定名「フライヤーの中」 (@Real_analysis) 2016年2月23日
@Real_analysis それ、多分同じ系統の方同士なら文系でもガテン系でも同じなので、何で語るかがやや違うだけ、なんじゃないかなぁと
— π/常葉円@HARU東4く29a (@fillies_revue) 2016年2月23日
@fillies_revue 文系の人間って……って言うのもアレですが、何も考えないと、人に物伝えるのって基本的に、感情というか、「メッセージ」から入るんデスよ。「何はさしおいて、これは"やばい"ものだ」から入って、先ず感情を共有する。んで、本当はこれが一番正しいんデスよ。
— 未確定名「フライヤーの中」 (@Real_analysis) 2016年2月23日
私の感覚と周囲の様子を見る限り,
話を理解してもらおうという努力は常にしているので,
「大概」と言及される中に「理解させようと努力していない」というのが入るのは
かなり事実と異なる感じがあって気にかかるが,
きちんとデータがあるわけでもない感覚なのでそれはおいておこう.
話が下手というかそもそも世界が違う人に何か説明をすること,
コミュニケーションとるのが難しいという話と思っている.
文系理系でよく対比されるが,
文系と雑にくくられているが,
人文・社会学系のバリバリの専門の人が理系サイドと
明らかに違う傾向を持つとかそういう研究結果があるのだろうか.
それもとても気になっている.
他の国はどうか知らないし, そもそも「説明」というところから話がずれていくが,
いわゆる「日常会話」は世間話という専門性を持つことが前提にされているイメージがある.
何かこう, 「多くの人」がふわっと知っていることを
きちんといろいろ知っていて,
そういうことに追随しようと日々研鑽しているイメージ.
あたりさわりがなさそうな会話をチョイスする力とか,
テーマを適切に設定する力とか何とか,
そういう感じの特殊能力という感じがするし,
凡人は鍛えないと何ともならない気がする.
相手がどう感じているかを的確に察しながら,
必要なら話題を変えるとかも,
相手に気を配るという鍛えるべき特殊能力だという認識.
他にもいろいろあるが,
とりあえずそういうことを日々感じている.
私の場合, 吃音があって,
それへの対応でまともに喋るというところに相当の労力が割かれるので,
まずはその辺からしてまともに会話で意思疎通はかるのつらくて仕方ない.
もちろん会話でないならうまくできるかというと,
そんな保証は全くないし, 実際全然できていないともいつも思う.
あと理系の人が結論から話すとかいうの,
それ本当なのだろうか.
講演会やセミナーならその辺は意識するが,
ふだんからそんな話, 私はしない.
むしろ欧米の交渉スタイルがそれ, というイメージがある.
そもそも同種の, 言葉が通じる・世界観が共有されている人間以外と
そんなに積極的にコミュニケーションを取りたいものなのかどうか,
というのもかなり気になる.
適当な状況で取るべきだ, というのはわかるけれども.
Twitter あたりで時々出てくる「コミュニケーション強者の方こそ弱者に気を使え」的な
ところで, その専門性が高い人間の方が頑張れという話もある.
コミュニケーション強者のいうコミュニケーションの仕方の話,
説明が不十分でどうしたらいいか全くわからないとかそういう感じもある.
話にまとまりがなくなってきたので,
今回はこのくらいで終わろう.
何かちゃんと勉強したいのだがいい本ないの.
勉強という発想になること自体がまずおかしい,
という感じもするがそれもどうなのだろう.
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