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この研究レポートまじでビビる。面倒くさがらず読んでみるといい。http://t.co/1Mq4g1YIOS
— TSUKADA (@tsukad50) 2015, 1月 4
津田学園小学校(三重県)の長谷川智哉教諭による
『児童の心を育む道徳授業の研究』というレポートだ.
恐ろしくグロテスクかつ異常な内容で,
サムシング・グレートを肯定的に扱っている.
これは提唱者本人が天理教での神であると認めている.
そんなサムシング・グレートに対して
遺伝子構造の精巧さを知ると同時に生命の神秘さを感じ、人智を超えた存在に畏敬の念を持つことができる。
前半と後半が繋がらないとかそういう問題もあるが,
こんな目標を掲げた道徳の授業でサムシング・グレート,
異常という他ない.
信仰の強制にも繋がりかねない危険な授業だ.
サムシング・グレートはなぜ偉大なのですか。
この発問により、人智を超えた存在に児童が目を向け、生命のふしぎさについて思考を深めるのではないかと考えた。
もう何といっていいのかわからないが,
扱うネタもっとたくさんあるだろう.
何故よりによって (最大限肯定的に言って) いるかいないかもわからない
サムシング・グレートでやるのか.
ここを批判するにも理由があって,
レポートの最初でこう言っているからだ.
1.実話
「13歳からの道徳教科書」はほとんどが実話である。
総作品数37のうち文学作品が2つ。フィクションはこれだけである。
これは異質である。道徳副読本はフィクションの割合が多い。
既存の道徳副読本は半分以上がフィクションなので、この違いは大きい。
昨年、受け持ったのは3年生。
私は道徳の授業研究に密かに力を入れていた。「1粒の豆」という資料を使って授業をした。
TOSS(前教育技術法則化運動)道徳代表の河田孝文氏の授業の追試である。
授業の数日後、資料を読んだある保護者から連絡帳にて一筆いただいた。
正確には覚えていないが、
「忙しさの中で大切なことを忘れていたと気づかされました。子どもをもっと褒めてあげたい、抱きしめてあげたいと思います」といった内容であった。
「1粒の豆」には、貧しく、苦しい生活の中、懸命に生きる母子が描かれている。
素晴らしい資料は児童だけにとどまらず、保護者の心までも揺さぶってしまうのだ。
サムシング・グレートは実話と解釈している可能性が極めて高い.
そんなので道徳とか,
道徳に力を入れているとか, 異常という他ないだろう.
最後に補足しておくと,
サムシング・グレートは科学的には価値のなく無意味な話ということで
だいたい話に決着が着いている.
それを実話として扱い,
しかも道徳の教材として使うのは不見識以外の何者でもない.
ここではこのくらいにしておくが,
極めて危険な活動なのでとりあえず記録しておく.
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