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コンテンツを作っていて検索していたら引っかかったので記録.
- http://srad.jp/~taro-nishino/journal/522936/
いくつか引用したい.
私が最初に量子力学を勉強したのは、故P.A.M Dirac博士の”The Principles of Quantum Mechanics”でしたが、読んだ人なら御存知の通り、物理実験の話は一切出て来ません。せいぜい、第一章の重ね合わせの原理のところで、光の偏光、すなわち光子の振舞いについて少し触れているだけです。それはそれで、私のような数学科の人間には助かるのです。と言いますのは、実験を長々と説明されても、そうかと思うだけで実感出来ないからです。実験器具なぞ、高校以来触ったこともなければ、見たこともない人間には苦痛以外の何物でもありません。
それはそうか, というのと,
それはどうなんだ, というのが交錯する.
コンテンツ作りの参考にはなる.
しかし本題はこちら:
それと、もう一つ、こっちの方が重要なのですが、紹介するにも私個人の心が痛むからです。あの時代の日本人(阿呆な政府軍部の人を除く)は今と違って、本当に強い精神力と忍耐力と心優しさを持っていて、(失礼ながら)一見ひ弱な小平博士でも、終戦前後の時、明日の日本(と御自分)がどうなるかも分からない中で、しかも発表する当てもない調和積分論に関する大論文を、病床の幼い御長男(最終的に病死されます)の傍らでお書きなったのは、終戦を見越してのことよりも、今を生きた証し(つまり、遺書)として残そうと思われたのではなかろうかと、私は考えていたからです。
これを検索していたのだ.
邦彦とセイ子の結婚から、彼等はかわいい息子和彦を得たが、残念ながら腎不全を患っており、終戦の数ヶ月後の1946年に諏訪で亡くなった。
あと彌永先生, 長寿だったということはそれだけ多くの,
それも自分よりも年下の人が先立つのを見てきたということか,
と割と悲しくなった.
私もそんな感慨を覚える年になったのか,
というところもある.
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