2020-06-28_hw オンライン プログラミング勉強会

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2020-06-28 課題

メモ:先に進む前に録画してあるか確認しよう

  • メモ:東大の AWS クラウド講義資料
  • https://tomomano.gitlab.io/intro-aws/#_hands_on_5_bashoutter
  • これを眺めてみるのもいいかもしれない

自分用メモ

  • 常微分方程式で漸化式から微分方程式に流れる部分の書き直し
  • 勉強のおすすめ:AtCoder はどうか?C++の解説もあるし、仕事・評価にも割と直結するし、具体的な問題つきで勉強できる。
    • https://atcoder.jp/contests/apg4b
      • C++のコードをPythonで書き直してみるだけでもかなりの勉強になるはず
    • Python によるアルゴリズム https://qiita.com/cabernet_rock/items/cdd12b07d213b67d0530
  • 文と式の説明
  • IT 基礎知識みたいなやつ
  • 数値計算に関わるクラス・オブジェクトの説明
    • まずは辞書・構造体の拡大版として導入するか?
    • 変な誤解を生まないような書き方を考える
  • 遅延型方程式に対するコメント追加
  • import に関する実演
  • matplotlib のチュートリアルを読もうの会
  • matplotlib 回では実際に matplotlib のチュートリアルを読もう
    • 公式情報に触れる重要性
    • 古い情報が古いと書いてあったりする:たとえば pylab
    • Gallery
      • 見ていて面白い
      • 「どこをいじるとどう変わるか」が視覚的にわかる
      • 公式情報なのできちんとアップデートしてくれている(はず)
      • 公式情報にソースがあるので自分でいろいろ書き換えていて破滅したとき、必ずオリジナルを復元できる
  • Jupyter (IPython)でのはまりどころ解説を作ろう
    • いったん変数を作ると他のセルでも読み込める(読み込めてしまう)
    • 「セルを上から順に読み込まないと動かない」問題の原因
    • カーネル再起動まで変数は残り続ける

Matplotlib

  • とりあえず本当に簡単な図を描く
import numpy as np
import matplotlib.pyplot as plt

x = np.linspace(0.01, 4, 201)
y1 = np.exp(x)
y2 = np.log(x)

plt.plot(x, y1, label="e^x")
plt.plot(x, y2, label="\log x")

plt.grid()
plt.legend()
##plt.axes().set_aspect('equal', 'datalim') # アスペクト比を合わせる
plt.show()
png

TeX の記録

量子力学の1粒子ハミルトニアン。
\begin{align}

\hat{H}

\frac{1}{2m} \hat{p}^2 + V(x).
\end{align}

自然言語処理100本ノック

第2章 Unix コマンド

  • 要検討:ローカルでやった方がデモンストレーションとしてはいいかもしれない
  • 参考ページ
    • ここでは pandas を使っている
    • これはこれで覚えると便利
    • Excel が処理できる
  • Google Colab 上では !ls のように ! をつけると Unix (Linux) コマンドが実行できる。
  • Mac ならターミナルから直接実行できる
  • Windows でも適当な手段でインストールできる
    • ただし OS の違いから純粋な Windows では意味を持たないコマンドもある
    • chown や chmod などの権限管理とか
  • すさまじく大量にあり、各コマンドはオプションも死ぬほどたくさんある。
    • 毎日ゴリゴリに使い込まければ覚えられるものではない。
    • 大事なコマンドをいくつか見て慣れ親しむことだけが目的。

補足

  • cd, ls などの(もっと)基本的なコマンドはカバーされていない。
  • 参考リスト:とりあえずこのくらい知っておくといい(名前だけ何となく覚えていればいい)
  • Python にも対応する関数がある
    • mv は shutil.move: https://note.nkmk.me/python-shutil-move/
    • shutil はたぶん shell utilities の略
  • Ruby だと「わかりやすさ」を考えて Linux コマンドと同じ名前の関数・メソッドで定義されている

準備

!wget https://nlp100.github.io/data/popular-names.txt
--2020-07-12 03:48:25--  https://nlp100.github.io/data/popular-names.txt
Resolving nlp100.github.io (nlp100.github.io)... 185.199.111.153, 185.199.109.153, 185.199.110.153, ...
Connecting to nlp100.github.io (nlp100.github.io)|185.199.111.153|:443... connected.
HTTP request sent, awaiting response... 200 OK
Length: 55026 (54K) [text/plain]
Saving to: ‘popular-names.txt.1’

popular-names.txt.1 100%[===================>]  53.74K  --.-KB/s    in 0.03s   

2020-07-12 03:48:25 (2.03 MB/s) - ‘popular-names.txt.1’ saved [55026/55026]
!wc --help
Usage: wc [OPTION]... [FILE]...
  or:  wc [OPTION]... --files0-from=F
Print newline, word, and byte counts for each FILE, and a total line if
more than one FILE is specified.  A word is a non-zero-length sequence of
characters delimited by white space.

With no FILE, or when FILE is -, read standard input.

The options below may be used to select which counts are printed, always in
the following order: newline, word, character, byte, maximum line length.
  -c, --bytes            print the byte counts
  -m, --chars            print the character counts
  -l, --lines            print the newline counts
      --files0-from=F    read input from the files specified by
                           NUL-terminated names in file F;
                           If F is - then read names from standard input
  -L, --max-line-length  print the maximum display width
  -w, --words            print the word counts
      --help     display this help and exit
      --version  output version information and exit

GNU coreutils online help: <http://www.gnu.org/software/coreutils/>
Full documentation at: <http://www.gnu.org/software/coreutils/wc>
or available locally via: info '(coreutils) wc invocation'

10. 行数のカウント

行数をカウントせよ.確認にはwcコマンドを用いよ.

!wc -l ./popular-names.txt
2780 ./popular-names.txt
import pandas as pd

df = pd.read_table('./popular-names.txt', header=None, sep='\t', names=['name', 'sex', 'number', 'year'])
print(len(df))
2780
補足:wc コマンドの調査
  • 参考
  • 実際にターミナルで実演してみよう

11. タブをスペースに置換

タブ1文字につきスペース1文字に置換せよ.確認にはsedコマンド,trコマンド,もしくはexpandコマンドを用いよ.

## 確認
!sed -e 's/\t/ /g' ./popular-names.txt | head -n 5
Mary F 7065 1880
Anna F 2604 1880
Emma F 2003 1880
Elizabeth F 1939 1880
Minnie F 1746 1880

s/何とか/実はこう書きたかった/

!head -n 5 popular-names.txt
Mary    F   7065    1880
Anna    F   2604    1880
Emma    F   2003    1880
Elizabeth    F   1939    1880
Minnie    F   1746    1880

12. 1列目をcol1.txtに,2列目をcol2.txtに保存

各行の1列目だけを抜き出したものをcol1.txtに,2列目だけを抜き出したものをcol2.txtとしてファイルに保存せよ.確認にはcutコマンドを用いよ.

Linux コマンド
!cut -f 1 ./popular-names.txt > ./col1_chk.txt
!cat ./col1_chk.txt | head -n 5

!cut -f 2 ./popular-names.txt > ./col2_chk.txt
!cat ./col2_chk.txt | head -n 5
Mary
Anna
Emma
Elizabeth
Minnie
F
F
F
F
F
Python
col1 = df['name']
col1.to_csv('./col1.txt', index=False)
print(col1.head())

col2 = df['sex']
col2.to_csv('./col2.txt', index=False)
print(col2.head())
0         Mary
1         Anna
2         Emma
3    Elizabeth
4       Minnie
Name: name, dtype: object
0    F
1    F
2    F
3    F
4    F
Name: sex, dtype: object

第 3 章 正規表現

正規表現の簡単な話

  • 分厚い本が何冊も出るくらいのごつい話
  • 例:「イギリス」という言葉が出てくる文章を調べたい
    • 単なる検索でいい
  • 例:「イギリス+単語」という言葉が出てくる文章を、その単語セットとともに調べたい。
    • 例えばイギリスではなく「イギリス連邦」「イギリスの勝利」のような形で調べたい
    • ここで正規表現が出てくる
  • もう少し web でよくある例
    • メールアドレスのバリデーション
    • 「メインの文字列@gmail.com」みたいなのをチェックする
  • メンテナンスが魔界
    • 正規表現は死ぬほど複雑で簡単な部類でさえすでに読みにくい
    • 複雑なものは本当に何もわからない
    • 時間が経つと書いた当人でさえ判別できないことはよくある

ファイル取得

!wget https://nlp100.github.io/data/jawiki-country.json.gz
--2020-07-12 03:48:38--  https://nlp100.github.io/data/jawiki-country.json.gz
Resolving nlp100.github.io (nlp100.github.io)... 185.199.108.153, 185.199.109.153, 185.199.110.153, ...
Connecting to nlp100.github.io (nlp100.github.io)|185.199.108.153|:443... connected.
HTTP request sent, awaiting response... 200 OK
Length: 5068362 (4.8M) [application/gzip]
Saving to: ‘jawiki-country.json.gz.1’

jawiki-country.json 100%[===================>]   4.83M  13.3MB/s    in 0.4s    

2020-07-12 03:48:38 (13.3 MB/s) - ‘jawiki-country.json.gz.1’ saved [5068362/5068362]

展開(解凍)

!gunzip ./jawiki-country.json.gz

行数確認

!wc -l ./jawiki-country.json
248 ./jawiki-country.json

先頭行の確認

!head -1 ./jawiki-country.json
{"title": "エジプト", "text": "{{otheruses|主に現代のエジプト・アラブ共和国|古代|古代エジプト}}\n{{基礎情報 国\n|略名 =エジプト\n|漢字書き=埃及\n|日本語国名 =エジプト・アラブ共和国\n|公式国名 ={{lang|ar|'''جمهورية مصر العربية'''}}\n|国旗画像 =Flag of Egypt.svg\n|国章画像 =[[ファイル:Coat_of_arms_of_Egypt.svg|100px|エジプトの国章]]\n|国章リンク =([[エジプトの国章|国章]])\n|標語 =なし\n|位置画像 =Egypt (orthographic projection).svg\n|公用語 =[[アラビア語]]\n|首都 =[[File:Flag of Cairo.svg|24px]] [[カイロ]]\n|最大都市 =カイロ\n|元首等肩書 =[[近代エジプトの国家元首の一覧|大統領]]\n|元首等氏名 =[[アブドルファッターフ・アッ=シーシー]]\n|首相等肩書 ={{ill2|エジプトの首相|en|Prime Minister of Egypt|label=首相}}\n|首相等氏名 ={{仮リンク|ムスタファ・マドブーリー|ar|مصطفى مدبولي|en|Moustafa Madbouly}}\n|面積順位 =29\n|面積大きさ =1 E12\n|面積値 =1,010,408\n|水面積率 =0.6%\n|人口統計年 =2012\n|人口順位 =\n|人口大きさ =1 E7\n|人口値 =1億人\n|人口密度値 =76\n|GDP統計年元 =2018\n|GDP値元 =4兆4,374億<ref name=\"economy\">IMF Data and Statistics 2020年2月3日閲覧([https://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2019/02/weodata/weorept.aspx?sy=2017&ey=2024&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=469&s=NGDP%2CNGDPD%2CPPPGDP%2CNGDPDPC%2CPPPPC&grp=0&a=&pr.x=57&pr.y=4])</ref>\n|GDP統計年MER =2018\n|GDP順位MER =45\n|GDP値MER =2,496億<ref name=\"economy\" />\n|GDP統計年 =2018\n|GDP順位 =21\n|GDP値 =1兆2,954億<ref name=\"economy\" />\n|GDP/人 =13,358<ref name=\"economy\" />\n|建国形態 =[[独立]]<br />&nbsp;-&nbsp;日付\n|建国年月日 =[[イギリス]]より<br />[[1922年]][[2月28日]]\n|通貨 =[[エジプト・ポンド]] (£)\n|通貨コード =EGP\n|時間帯 = +2\n|夏時間 =なし\n|国歌 =[[エジプトの国歌|{{lang|ar|بلادي، بلادي، بلادي}}]]{{ar icon}}<br>''我が祖国''<br>{{center|[[file:Bilady, Bilady, Bilady.ogg]]}}\n|ISO 3166-1 = EG / EGY\n|ccTLD =[[.eg]]\n|国際電話番号 =20\n|注記 =\n}}\n'''エジプト・アラブ共和国'''(エジプト・アラブきょうわこく、{{lang-ar|جمهورية مصر العربية}})、通称'''エジプト'''は、[[中東]]([[アラブ世界]])および[[北アフリカ]]にある[[共和国]]。[[首都]]は[[カイロ]]。\n\n[[アフリカ大陸]]では北東端に位置し、西に[[リビア]]、南に[[スーダン]]、北東の[[シナイ半島]]では[[イスラエル]]、[[ガザ地区]]と[[国境]]を接する。北は[[地中海]]、東は[[紅海]]に面している。南北に流れる[[ナイル川]]の[[河谷]]と[[三角州|デルタ]]地帯([[ナイル・デルタ]])のほかは、国土の大部分の95%以上が[[砂漠]]である<ref>[https://kotobank.jp/word/エジプト-36404 エジプト]藤井宏志『日本大百科全書』小学館 2020年2月1日閲覧</ref>。ナイル河口の東に地中海と紅海を結ぶ[[スエズ運河]]がある。\n\n== 国号 ==\n正式名称は[[アラビア語]]で {{lang|ar|'''جمهورية مصر العربية'''}}(ラテン[[翻字]]: {{transl|ar|DIN|Ǧumhūrīyah Miṣr al-ʿarabīyah}})。通称は {{lang|ar|'''مصر'''}}([[フスハー|標準語]]: {{transl|ar|DIN|Miṣr}} ミスル、[[アラビア語エジプト方言|エジプト方言]]ほか、口語アラビア語: {{IPA|mɑsˤɾ}} マスル)。[[コプト語]]: {{Lang|cop|Ⲭⲏⲙⲓ}}(Khemi ケーミ)。\n\nアラビア語の名称'''ミスル'''は、古代から[[セム語派|セム語]]でこの地を指した名称である。なお、セム語の一派である[[ヘブライ語]]では、[[双数形]]の'''ミスライム'''({{lang|he|מצרים}}, ミツライム)となる。\n\n公式の英語表記は '''Arab Republic of Egypt'''。通称 '''Egypt''' {{IPA-en|ˈiːdʒɨpt|}}。形容詞はEgyptian {{IPA-en|ɨˈdʒɪpʃ''ə''n|}}。エジプトの呼称は、古代[[エジプト語]]のフート・カア・プタハ([[プタハ]]神の魂の神殿)から転じてこの地を指すようになったギリシャ語の単語である、[[ギリシャ神話]]の[[アイギュプトス (ギリシア神話)|アイギュプトス]]にちなむ。\n\n[[日本語]]の表記はエジプト・アラブ共和国。通称[[wikt:エジプト|エジプト]]。[[漢字]]では'''埃及'''と表記し、'''埃'''と略す。この[[国名の漢字表記一覧|漢字表記]]は、[[漢文]]がそのまま日本語や[[中国語]]などに輸入されたものである。英語では「イージプト」と呼ばれる。\n\n* [[1882年]] - 1922年 ({{仮リンク|イギリス領エジプト|en|History of Egypt under the British}})\n* 1922年 - 1953年 [[エジプト王国]]\n* 1953年 - 1958年 [[エジプト共和国]]\n* 1958年 - 1971年 [[アラブ連合共和国]]\n* 1971年 - 現在 エジプト・アラブ共和国\n\n== 歴史 ==\n{{Main|エジプトの歴史}}\n\n=== 古代エジプト ===\n[[ファイル:All Gizah Pyramids.jpg|thumb|300px|right|[[ギーザ|ギザ]]の[[三大ピラミッド]]]]\n[[ファイル:Egyptiska hieroglyfer, Nordisk familjebok.png|thumb|260px|right|[[ヒエログリフ]]]]\n{{Main|古代エジプト}}\n\n「エジプトはナイルの賜物」という[[古代ギリシア]]の[[歴史家]][[ヘロドトス]]の言葉で有名なように、エジプトは豊かな[[ナイル川]]の[[三角州|デルタ]]に支えられ[[古代エジプト|古代エジプト文明]]を発展させてきた。エジプト人は[[紀元前3000年]]ごろには早くも中央集権国家を形成し、[[ピラミッド]]や[[王家の谷]]、[[ヒエログリフ]]などを通じて世界的によく知られている高度な[[文明]]を発達させた。\n\n=== アケメネス朝ペルシア ===\n3000年にわたる諸王朝の盛衰の末、[[紀元前525年]]に[[アケメネス朝]]ペルシアに支配された。\n\n=== ヘレニズム文化 ===\n[[紀元前332年]]には[[アレクサンドロス3世|アレクサンドロス大王]]に征服された。その後、[[ギリシャ人|ギリシア系]]の[[プトレマイオス朝]]が成立し、[[ヘレニズム]]文化の中心のひとつとして栄えた。\n\n=== ローマ帝国 ===\nプトレマイオス朝は[[紀元前30年]]に滅ぼされ、エジプトは[[ローマ帝国]]の[[属州]]となり[[アエギュプトゥス]]と呼ばれた。ローマ帝国の統治下では[[キリスト教]]が広まり、[[コプト教会]]が生まれた。ローマ帝国の分割後は[[東ローマ帝国]]に属し、豊かな[[穀物]]生産でその繁栄を支えた。\n\n=== イスラム王朝 ===\n7世紀に[[イスラム教|イスラム化]]。[[639年]]に[[イスラム帝国]]の[[将軍]][[アムル・イブン・アル=アース]]によって征服され、[[ウマイヤ朝]]および[[アッバース朝]]の一部となった。アッバース朝の支配が衰えると、そのエジプト[[総督]]から自立した[[トゥールーン朝]]、[[イフシード朝]]の短い支配を経て、[[969年]]に現在の[[チュニジア]]で興った[[ファーティマ朝]]によって征服された。これ以来、[[アイユーブ朝]]、[[マムルーク朝]]とエジプトを本拠地として[[歴史的シリア|シリア地方]]まで版図に組み入れた[[イスラム王朝]]が500年以上にわたって続く。特に250年間続いたマムルーク朝の下で[[中央アジア]]や[[カフカス]]などアラブ世界の外からやってきた[[マムルーク]](奴隷軍人)による支配体制が確立した。\n\n=== オスマン帝国 ===\n[[1517年]]に、マムルーク朝を滅ぼしてエジプトを属州とした[[オスマン帝国]]のもとでもマムルーク支配は温存された({{仮リンク|エジプト・エヤレト|en|Egypt Eyalet}})。\n\n=== ムハンマド・アリー朝 ===\n[[ファイル:ModernEgypt, Muhammad Ali by Auguste Couder, BAP 17996.jpg|thumb|180px|[[ムハンマド・アリー]]]]\n[[1798年]]、[[フランス]]の[[ナポレオン・ボナパルト]]による[[エジプト・シリア戦役|エジプト遠征]]をきっかけに、エジプトは[[近代国家]]形成の時代を迎える。フランス軍撤退後、混乱を収拾して権力を掌握したのはオスマン帝国が派遣した[[アルバニア人]]部隊の隊長としてエジプトにやってきた軍人、[[ムハンマド・アリー]]であった。彼は実力によってエジプト総督に就任すると、マムルークを打倒して総督による中央集権化を打ち立て、[[経済]]・[[軍事]]の近代化を進め、エジプトをオスマン帝国から半ば独立させることに成功した。アルバニア系ムハンマド・アリー家による[[世襲]]政権を打ち立てた([[ムハンマド・アリー朝]])。しかし、当時の世界に勢力を広げた[[ヨーロッパ]][[列強]]はエジプトの独立を認めず、また、ムハンマド・アリー朝の急速な近代化政策による社会矛盾は結局、エジプトを列強に経済的に従属させることになった。\n\n=== イギリスの進出 ===\nムハンマド・アリーは[[綿花]]を主体とする農産物[[専売制]]をとっていたが、1838年に宗主オスマン帝国が[[イギリス]]と自由貿易協定を結んだ。ムハンマド・アリーが1845年に三角州の堰堤を着工。死後に専売制が崩壊し、また堰堤の工期も延びて3回も支配者の交代を経た1861年、ようやく一応の完工をみた。1858年末には国庫債券を発行しなければならないほどエジプト財政は窮迫していた。[[スエズ運河会社]]に払い込む出資金の不足分は、シャルル・ラフィット([[:fr:Charles Laffitte|Charles Laffitte]])と割引銀行(現・[[BNPパリバ]])から借り、国庫債券で返済することにした。[[イスマーイール・パシャ]]が出資の継続を認めたとき、フランスの[[ナポレオン3世]]の裁定により契約責任を問われ、違約金が[[自転車操業]]に拍車をかけた。[[1869年]]、エジプトはフランスとともに[[スエズ運河]]を開通させた。この前後(1862 - 1873年)に8回も[[外債]]が起債され、額面も次第に巨額となっていた。エジプトはやむなくスエズ運河会社持分を398万[[スターリング・ポンド|ポンド]]でイギリスに売却したが、1876年4月に[[デフォルト]]した<ref>西谷進、「[https://doi.org/10.20624/sehs.37.2_113 一九世紀後半エジプト国家財政の行詰まりと外債 (一)]」 『社会経済史学』 1971年 37巻 2号 p.113-134,216\n, {{doi|10.20624/sehs.37.2_113}}</ref>。\n\n英仏が負債の償還をめぐって争い、エジプトの蔵相は追放された。[[イタリア]]や[[オーストリア]]も交えた負債委員会が組織された。2回目のリスケジュールでイスマーイール一族の直轄地がすべて移管されたが、土地税収が滞った<ref>西谷進、「[https://doi.org/10.20624/sehs.37.3_283 一九世紀後半エジプト国家財政の行詰まりと外債 (二)]」 社会経済史学 1971年 37巻 3号 p.283-311,330-33, {{doi|10.20624/sehs.37.3_283}}</ref>。\n\n[[1882年]]、[[アフマド・オラービー]]が中心となって起きた反英運動([[ウラービー革命]])がイギリスによって武力鎮圧された。エジプトはイギリスの[[保護国]]となる。結果として、政府の教育支出が大幅カットされるなどした。[[1914年]]には、[[第一次世界大戦]]によってイギリスがエジプトの名目上の[[宗主国]]であるオスマン帝国と開戦したため、エジプトはオスマン帝国の宗主権から切り離された。さらに[[サアド・ザグルール]]の逮捕・国外追放によって反英独立運動たる[[エジプト革命 (1919年)|1919年エジプト革命]]が勃発し、英国より主政の国として独立した。\n\n=== 独立・エジプト王国 ===\n第一次大戦後の[[1922年]][[2月28日]]に'''[[エジプト王国]]'''が成立し、翌年イギリスはその[[独立]]を認めたが、その後もイギリスの間接的な支配体制は続いた。\n\nエジプト王国は[[立憲君主制]]を布いて議会を設置し、緩やかな近代化を目指した。[[第二次世界大戦]]では、[[枢軸国軍]]がイタリア領リビアから侵攻したが、英軍が撃退した([[北アフリカ戦線]])。第二次世界大戦前後から[[パレスチナ問題]]の深刻化や、1948年から1949年の[[パレスチナ戦争]]([[第一次中東戦争]])での[[イスラエル]]への敗北、経済状況の悪化、[[ムスリム同胞団]]など政治のイスラム化([[イスラム主義]])を唱える社会勢力の台頭によって次第に動揺していった。\n\n=== エジプト共和国 ===\nこの状況を受けて[[1952年]]、軍内部の秘密組織[[自由将校団]]が[[クーデター]]を起こし、国王[[ファールーク1世 (エジプト王)|ファールーク1世]]を亡命に追い込み、ムハンマド・アリー朝を打倒した([[エジプト革命 (1952年)|エジプト革命]]<ref>片山正人『現代アフリカ・クーデター全史』叢文社 2005年 ISBN 4-7947-0523-9 p49</ref>)。生後わずか半年の[[フアード2世 (エジプト王)|フアード2世]]を即位させ、[[自由将校団]]団長の[[ムハンマド・ナギーブ]]が首相に就任して権力を掌握した。さらに翌年の1953年、国王を廃位して共和政へと移行、[[ムハンマド・ナギーブ|ナギーブ]]が首相を兼務したまま初代大統領となり、'''エジプト共和国'''が成立した。\n\n=== ナーセル政権 ===\n[[ファイル:Gamal Nasser.jpg|thumb|180px|right|[[ガマール・アブドゥル=ナーセル]]。[[第二次中東戦争]]に勝利し、スエズ運河を国有化した。ナーセルの下でエジプトは[[汎アラブ主義]]の中心となった]]\n[[1956年]]、第2代大統領に就任した[[ガマール・アブドゥル=ナーセル]]のもとでエジプトは[[冷戦]]下での中立外交と[[汎アラブ主義|汎アラブ主義(アラブ民族主義)]]を柱とする独自の政策を進め、[[第三世界]]・[[アラブ諸国]]の雄として台頭する。同年にエジプトは[[スエズ運河国有化宣言|スエズ運河国有化]]を断行し、これによって勃発した[[第二次中東戦争]](スエズ戦争)で政治的に勝利を収めた。[[1958年]]には[[シリア]]と連合して'''[[アラブ連合共和国]]'''を成立させた。しかし[[1961年]]にはシリアが連合から脱退し、[[国家連合]]としてのアラブ連合共和国はわずか3年で事実上崩壊した。さらに[[1967年]]の[[第三次中東戦争]]は惨敗に終わり、これによってナーセルの権威は求心力を失った。\n\n=== サーダート政権 ===\n[[1970年]]に急死したナーセルの後任となった[[アンワル・アッ=サーダート]]は、自ら主導した[[第四次中東戦争]]後に[[ソビエト連邦]]と対立して[[アメリカ合衆国]]など[[西側諸国]]に接近。[[社会主義]]的経済政策の転換、[[イスラエル]]との融和など、ナーセル体制の切り替えを進めた。[[1971年]]には、国家連合崩壊後もエジプトの国号として使用されてきた「アラブ連合共和国」の国号を捨てて'''エジプト・アラブ共和国'''に改称した。また、サーダートは、経済の開放などに舵を切るうえで、左派に対抗させるべくイスラーム主義勢力を一部容認した。しかしサーダートは、イスラエルとの和平を実現させたことの反発を買い、[[1981年]]に[[イスラム過激派]]の[[ジハード団]]によって[[暗殺]]された。\n\n=== ムバーラク政権 ===\n[[ファイル:Hosni Mubarak ritratto.jpg|thumb|180px|[[アラブの春]]で失脚するまで30年以上にわたり長期政権を維持した[[ホスニー・ムバーラク]]]]\n[[イラク]]の[[クウェート侵攻]]はエジプトの国際収支を悪化させた。サーダートに代わって副大統領から大統領に昇格した[[ホスニー・ムバーラク]]は、対米協調外交を進める一方、[[開発独裁]]的な[[政権]]を20年以上にわたって維持した。\n\nムバラク政権は1990年12月に「1000日計画」と称する経済改革案を発表した。クウェート解放を目指す[[湾岸戦争]]では[[多国籍軍]]へ2万人を派兵し、これにより約130億ドルも[[対外債務]]を減らすという外交成果を得た。累積債務は500億ドル規模であった。軍事貢献により帳消しとなった債務は、クウェート、[[サウジアラビア]]に対するものと、さらに対米軍事債務67億ドルであった。1991年5月には[[国際通貨基金]]のスタンドバイクレジットおよび[[世界銀行]]の構造調整借款(SAL)が供与され、[[パリクラブ]]において200億ドルの債務削減が合意された。エジプト経済の構造調整で画期的だったのは、ドル・ペッグによる為替レート一本化であった<ref>『エジプトの経済発展の現状と課題』 [[海外経済協力基金]]開発援助研究所 1998年 23頁</ref>。\n\n海外の[[機関投資家]]に有利な条件が整えられていった。イスラム主義運動は厳しく[[弾圧]]され、[[ザカート|喜捨]]の精神は失われていった。[[1997年]]には[[イスラム集団]]による[[ルクソール事件]]が発生している。1999年にイスラム集団は武装闘争放棄を宣言し、近年、観光客を狙った事件は起こっていない。しかし、ムバーラクが大統領就任と同時に発令した[[非常事態法]]は、彼が追放されるまで30年以上にわたって継続された<ref>[http://www.cnn.co.jp/world/30001719.html エジプト副大統領が野党代表者らと会談、譲歩示す]</ref>。\n\n2002年6月、エジプト政府は15億ドルの[[ユーロ債]]を起債したが、2002年から2003年に為替差損を被り、対外債務を増加させた<ref>IMF, ''Arab Republic of Egypt: Selected Issues'', 2005, [https://books.google.co.jp/books?id=aZDSd_fjJzkC&pg=PT49&dq=reschedule+egypt+eurobond&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiD0qHpn8DbAhWLWbwKHXRrDGQQ6AEIJzAA#v=onepage&q=reschedule%20egypt%20eurobond&f=false]</ref>。\n\n=== ムルシー政権 ===\n[[ファイル:Mohamed Morsi-05-2013.jpg|thumb|180px|民主化後初の大統領だった[[ムハンマド・ムルシー]]]]\n{{Main|エジプト革命 (2011年)|2012年エジプト大統領選挙}}\n[[チュニジア]]の[[ジャスミン革命]]に端を発した近隣諸国の民主化運動がエジプトにおいても波及し、[[2011年]]1月、30年以上にわたって独裁体制を敷いてきたムバーラク大統領の辞任を求める大規模なデモが発生した。同2月には大統領支持派によるデモも発生して騒乱となり、国内主要都市において大混乱を招いた。大統領辞任を求める声は日に日に高まり、2月11日、ムバーラクは大統領を辞任し、全権が[[エジプト軍最高評議会]]に委譲された。同年12月7日には{{仮リンク|カマール・ガンズーリ|en|Kamal Ganzouri}}を暫定首相とする政権が発足した。その後、2011年12月から翌年1月にかけて人民議会選挙が、また2012年5月から6月にかけて大統領選挙が実施され[[ムハンマド・ムルシー]]が当選し、同年6月30日の大統領に就任したが、人民議会は大統領選挙決選投票直前に、選挙法が違憲との理由で裁判所から解散命令を出されており、立法権は軍最高評議会が有することとなった。\n\n2012年11月以降、新憲法の制定などをめぐって反政府デモや暴動が頻発した({{仮リンク|2012年-13年エジプト抗議運動|en|2012–13 Egyptian protests}})。ムルシー政権は、政権への不満が大規模な暴動に発展するにつれて、当初の警察改革を進める代わりに既存の組織を温存する方向に転換した。{{仮リンク|ムハンマド・イブラヒーム・ムスタファ|ar|محمد إبراهيم مصطفى|label=ムハンマド・イブラヒーム}}が内相に就任した[[2013年]]1月以降、治安部隊による政治家やデモ隊への攻撃が激化。1月末には当局との衝突でデモ参加者など40人以上が死亡したが、治安部隊への調査や処罰は行われていない<ref>「『アラブの春』の国で繰り返される悪夢」 エリン・カニンガム 『Newsweek[[ニューズウィーク]]日本版』 2013年3月5日号</ref>。イブラヒーム内相は、「国民が望むならば辞任する用意がある」と2月に述べている<ref>{{Cite news\n|url=http://english.ahram.org.eg/News/63894.aspx\n|title=I will leave my position if people want: Egypt's interior minister\n|newspaper=アハラムオンライン\n|date=2013-02-02\n|accessdate=2013-05-08\n}}</ref>。下落する[[エジプト・ポンド]]がとめどなく[[アメリカ合衆国ドル|USドル]]に交換され、[[外貨準備]]を減らすような混乱が同月10日の[[ロイター通信]]で報じられている。下落は1月から起きており、同月には[[ドバイ]]のエミレーツNBD([[:en:Emirates NBD|Emirates NBD]])が[[BNPパリバ]]のエジプト支店を完全買収した。[[オイルマネー]]がエジプト経済を我が物にする社会現象が起こっていた。さらに『[[フィナンシャル・タイムズ]]』が1月19日に報じたのは、[[エチオピア]]がナイルの川上に48億ドルの予算をかけて[[ダム]]を造るという計画であった。混乱中のエジプトが水紛争で負ければ大きな水ストレスが生じるだろうと予測された。\n\n2013年4月、[[エジプト中央銀行]]は[[リビア]]から20億ドルの預金を得た。リビア側が利害を説明したところによると、リビアはエジプト株を100億ドル近く保有しているという。リビアは[[世界金融危機]]の時から欧米の[[メガバンク]]と癒着を疑われている。\n\nムルシー政権は発足後約1年後の[[2013年エジプトクーデター|2013年7月3日、軍部によるクーデター]]によって終焉を迎えた<ref>{{Cite news\n|url=http://middleeast.asahi.com/watch/2013070800008.html\n|title=エジプトのクーデターに至る過程:朝日新聞記事再録\n|work=asahi.com\n|newspaper=[[朝日新聞]]\n|date=2013-07-09\n|accessdate=2013-07-13\n}}</ref>。8月下旬にムバラクが釈放され、国内銀行が平常運転に復帰した。8月30日の[[CNN]]では、[[中国石油化工]]が米国[[ヒューストン]]のアパッチ([[:en:Apache Corporation|Apache Corporation]])とエジプト内[[油田]]事業を提携したことが報じられた。10月下旬、[[アラブ首長国連邦]]がエジプトに50億ドルの支援を申し出た。エジプトエリートの売国とソブリン危機は翌年4月まで深化していった。\n\nなお、イブラヒームは、クーデター後に成立した[[ハーゼム・エル=ベブラーウィー|ベブラーウィー]]暫定内閣でも続投している。\n\n=== アッ=シーシー政権 ===\n[[ファイル:Abdel_Fattah_el-Sisi_September_2017.jpg|thumb|180px|[[アブドルファッターフ・アッ=シーシー]]。2013年のクーデターを主導し、大統領に就任した]]\n2014年5月26日 - 28日に行われた大統領選挙では2013年のクーデターの主導者[[アブドルファッターフ・アッ=シーシー]]が当選して6月8日、大統領に就任し<ref>http://www.afpbb.com/articles/-/3017089 エジプトのシシ新大統領が就任、前大統領の追放からほぼ1年</ref>、8月5日からは[[新スエズ運河]]の建設など大規模なプロジェクトを推し進めた。[[2015年]][[3月13日]]には、[[カイロ]]の東側に向こう5 - 7年で、450億ドルを投じて新しい行政首都の建設も計画していることを明らかにした<ref>http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0MC0B720150316 エジプト、カイロの東に新行政首都建設へ=住宅相(ロイター通信)</ref>。行政と経済の中心となる新首都はカイロと紅海の間に建設され、広さは約700平方キロメートルで、米[[ニューヨーク]]の[[マンハッタン]]のおよそ12倍の面積の予定であり<ref>http://jp.wsj.com/articles/SB10030317691824024149004580519060782977390 エジプト、新首都建設を計画―カイロと紅海の間に</ref>、大統領府などエジプトの行政を担う地区は当初覚書を交わした[[アラブ首長国連邦]](UAE)の[[エマール・プロパティーズ]]や[[中華人民共和国|中国]]の[[中国建築|中国建築股份有限公司]]との破談はあったものの[[2016年]]4月に地元企業によって工事を開始し<ref>{{Cite news|url=http://www.xinhuanet.com/english/2016-04/02/c_135246252.htm|tile=Egypt kicks off 1st phase of building new capital|work= [[新華社]]|date=2016-04-02|accessdate=2018-06-25}}</ref>、代わりにエジプト政府がピラミッド<ref>{{Cite news|url= https://zhuanlan.zhihu.com/p/41444500|title=埃及总理表示,将新首都CBD项目建成“金字塔”一样的地标|work= 知乎专栏|date=2018-08-06|accessdate=2018-08-18}}</ref>に匹敵する一大事業の[[ランドマーク]]と位置づけている、アフリカでもっとも高いビルも建設予定である経済を担う[[中央業務地区]]を中国企業が請け負って[[2018年]]3月に着工した<ref>{{Cite news|url=http://www.xinhuanet.com/english/2017-10/12/c_136672905.htm|tile=Chinese firm finalizes deal for building huge business district in Egypt's new capital|work= amwalalghad|date=2017-10-12|accessdate=2018-07-28}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://en.amwalalghad.com/china-to-build-egypt-africa-tallest-tower-in-new-capital-spokesperson/|tile=China to build Egypt-Africa tallest tower in new capital: spokesperson|work= amwalalghad|date=2018-06-28|accessdate=2018-06-29}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.bloomberg.com/news/articles/2018-03-18/china-to-finance-majority-of-new-egypt-capital-s-tower-district|tile=China to Finance Majority of New Egypt Capital's Tower District|work= [[ブルームバーグ (企業)|ブルームバーグ]]|date=2018-03-18|accessdate=2018-07-28}}</ref><ref>{{Cite news|url= http://eg.mofcom.gov.cn/article/todayheader/201803/20180302720170.shtml|title=中建埃及新行政首都CBD项目开工仪式在开罗举行|work= 中華人民共和国駐エジプト大使館|date=2018-03-21|accessdate=2018-06-25}}</ref>。\n\nUAEや中国と破談した背景には通貨不安が存在する。2016年11月3日、エジプト中央銀行が[[変動相場制]]を採用すると発表した。エジプト・ポンドが売られるのを革命の影響だけで片付けるには、この不安は長引きすぎている。同行は6日後、国際金融機関から20億ドルの[[シャドー・バンキング・システム#レポ市場|レポ借入]]を始めた。4月に[[国際通貨基金]]からも120億ドルを借りている。エジプトは経済主権を失っている。[[ガーディアン]]が10月4日に報じたところでは、国際金融機関の[[バークレイズ]]がエジプト事業を[[ダノン#ワファバンク|ワファバンク]]に売却した。\n\n2017年末、政府が[[世界銀行]]に対し、エチオピアのダム事業を差し止めるように要請した。世銀は5月にエジプトへ10億ドルを追加融資しており、エジプトは厳しい立場にある。翌2018年1月中旬にエチオピアとの水紛争が妥協に至った。5月末にエジプトの対外債務累積額は829億ドルであった。9月、ムバラクの息子ら2人([[:en:Gamal Mubarak|Gamal]] and [[:en:Alaa Mubarak|Alaa]])がエジプトの株価を操作した疑いで逮捕された。\n\n== 政治 ==\n{{エジプトの政治}}\n{{Main2|詳細は{{仮リンク|エジプトの政治|en|Politics of Egypt|ar|السياسة في مصر}}および[[近代エジプトの国家元首の一覧]]}}\n\n=== 政体 ===\n[[共和制]]\n=== 大統領 ===\n[[国家元首]]の大統領は、立法・行政・司法の三権において大きな権限を有する。また国軍([[エジプト軍]])の[[総司令官|最高司令官]]でもある。大統領の選出は、[[直接選挙]]による。任期は4年で、三選禁止となった<ref>{{Cite journal|和書|author = 鈴木恵美|coauthors = |title = エジプト革命以後の新体制形成過程における軍の役割|journal = 地域研究|volume = 12|issue = 1|pages = 135-147|publisher = 京都大学地域研究統合情報センター|location = |date = 2012-03-28|language = |url = http://www.cias.kyoto-u.ac.jp/publish/?cat=4|jstor = |issn = 1349-5038 |isbn =978-4-8122-1178-6|doi = |id = |naid = |accessdate = 2012-06-17}}</ref>。最高大統領選挙委員会(The Supreme Presidential Election Commission, SPEC)委員長は、最高憲法裁判所長官が兼任していたが、現在は副長官がその任を負う。\n\n第2代大統領[[ガマール・アブドゥル=ナーセル]]以来、事実上の終身制が慣例で、第4代大統領[[ホスニー・ムバーラク]]は[[1981年]]の就任以来、約30年にわたって[[独裁]]体制を築いた。ムバーラクの[[親米]]・親[[イスラエル]]路線が欧米諸国によって評価されたために、独裁が見逃されてきた面がある。当時は任期6年、多選可。議会が候補者を指名し、国民は[[信任投票]]を行っていた。ただし、2005年は複数候補者による大統領選挙が実施された。\n\n[[2011年]]9月に大統領選が予定されていたが、2011年1月に騒乱状態となり、[[2月11日]]、ムバーラクは国民の突き上げを受ける形で辞任した。翌日より[[国防大臣]]で[[エジプト軍最高評議会|軍最高評議会]]議長の[[ムハンマド・フセイン・タンターウィー]]が元首代行を務め、それは[[2012年エジプト大統領選挙]]の当選者[[ムハンマド・ムルシー]]が[[6月30日]]に大統領に就任するまで続いた。2011年[[3月19日]]、[[憲法改正]]に関する[[国民投票]]が行われ、承認された<ref name=jpnmofa>{{Cite web|title = エジプト・アラブ共和国 基礎データ|work = 各国:地域情勢|publisher = 外務省(日本)|url = http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/egypt/data.html|accessdate =2016-10-01}}</ref><ref>{{Cite web|title = エジプト基礎情報~政治・外交|work = エジプト情報|publisher = 在エジプト日本国大使館|date = 2011-07-30|url = http://www.eg.emb-japan.go.jp/j/egypt_info/basic/seiji.htm|accessdate =2016-10-01}}</ref>。\n\nしかしムルシー政権発足からわずか1年後の2013年、[[2013年エジプトクーデター|軍事クーデター]]が勃発。ムルシーは解任され、エジプトは再び軍による統治へと逆戻りした。2014年1月に再び憲法が修正され<ref name=jpnmofa />、同年5月の大統領選挙を経て再び民政へと復帰した。\n\n=== 議会 ===\n議会は、[[一院制]]の'''人民議会'''(マジュリス・アッ=シャアブ)。全508議席で、498議席は公選、10議席は大統領指名枠<ref>2011年12月現在では、定数498議席のうち、3分の2(332議席)が政党(連合)リストによる[[比例代表制]]で、3分の1(166議席)が[[小選挙区制]]で選出される</ref>。任期5年。これとは別に、'''諮問評議会'''(シューラ)が1980年設置されたが、立法権は有さない大統領の諮問機関である<ref>{{Cite web| author = 鈴木恵美\n | coauthors =\n | title = エジプト\n | work = 中東・イスラーム諸国の民主化\n | publisher = NIHU プログラム・イスラーム地域研究、東京大学拠点\n | date =\n | url = http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~dbmedm06/me_d13n/database/egypt/egypt_all.html\n | format =\n | doi =\n | accessdate = 2012-06-15}}</ref>。全270議席で、180議席が公選、90議席が大統領指名枠。\n\n=== 選挙 ===\n2011年[[11月21日]]、[[イサーム・シャラフ]]暫定内閣は、デモと中央[[治安部隊]]の衝突で多数の死者が出たことの責任を取り軍最高評議会へ辞表を提出した。軍最高評議会議長タンターウィーは[[11月22日]]テレビで演説し、「28日からの人民議会選挙を予定通り実施し、次期大統領選挙を2012年6月末までに実施する」と表明した<ref>[http://www.asahi.com/special/meastdemo/TKY201111220122.html エジプト・シャラフ内閣が総辞職表明 デモの混乱で引責] 『朝日新聞』 2011年11月22日</ref><ref>[http://www.asahi.com/special/meastdemo/TKY201111230004.html エジプト軍議長「近く挙国一致内閣」とテレビ演説] 『朝日新聞』 2011年11月23日</ref><ref>[http://www.asahi.com/special/meastdemo/TKY201111250136.html エジプト軍議長、元首相に組閣要請 選挙管理内閣を想定] 『朝日新聞』 2011年11月25日</ref>。人民議会選挙は2011年[[11月28日]]から[[2012年]][[1月]]までに、行政区ごとに3回に分けて、また、投票日を1日で終わりにせず2日間をとり、大勢の投票での混乱を緩和し実施、諮問評議会選挙も[[3月11日]]までに実施された。また[[5月23日]]と[[5月24日|24日]]に[[2012年エジプト大統領選挙|大統領選挙]]の投票が実施された。\n\nしかし、[[6月14日]]に最高[[憲法裁判所]]が出した「現行の議会選挙法は違憲で無効(3分の1の議員について当選を無効と認定)」との判決を受け<ref>[http://www.asahi.com/international/reuters/RTR201206150031.html「エジプト議会選は無効」、憲法裁が大統領選直前に違法判断] 『朝日新聞』 2012年6月15日</ref><ref>[http://www.news24.jp/articles/2012/06/15/10207632.html エジプト議会、解散へ 大統領選にも影響か] [[日テレNEWS24]] 2012年6月15日</ref>、[[6月16日|16日]]までにタンターウィー議長は人民議会解散を命じた<ref>{{Cite news\n  | author = カイロ共同\n | title = エジプト、軍が議会に解散命令 憲法裁判所の判断で\n | newspaper = 47NEWS\n | location =\n | pages = 6\n | language =\n | publisher = 共同通信\n | date = 2012-06-18\n | url = http://www.47news.jp/CN/201206/CN2012061701001315.html\n | accessdate = 2012-06-18}}</ref>。大統領選挙の決選投票は6月16日と[[6月17日|17日]]に実施され、イスラム主義系の[[ムハンマド・ムルシー]]が当選した。\n\n=== 政党 ===\n{{main|エジプトの政党}}\n\n2011年3月28日に改正政党法が公表され、エジプトでは[[宗教]]を基盤とした[[政党]]が禁止された。そのため、[[ムスリム同胞団]](事実上の最大[[野党]]であった)などは非合法化され、初めての選挙(人民議会選挙)では、ムスリム同胞団を母体とする[[自由公正党]]({{lang-ar|حزب الحرية والعدالة}} - {{lang|en|Ḥizb Al-Ḥurriya Wal-’Adala}}, {{lang-en-short|Freedom and Justice Party}})が結成された。また、[[ヌール党]]([[サラフィー主義]]、イスラーム保守派)、[[新ワフド党]](エジプト最古の政党)、[[政党連合]]{{仮リンク|エジプト・ブロック|en|Egyptian Bloc}}(含む[[自由エジプト人党]](世俗派)、[[エジプト社会民主党]](中道左派)、[[国民進歩統一党]](左派))、[[ワサト党]]、{{仮リンク|政党連合革命継続|en|The Revolution Continues Alliance}}、{{仮リンク|アダラ党|en|Justice Party (Egypt)|label=公正党}}({{lang-ar|حزب العدل}} - {{lang|en|Hizb ElAdl}}, {{lang-en-short|Justice Party}}、今回の革命の中心を担った青年活動家による政党)など、全部で50以上の政党が参加していた<ref>{{Cite web\n | last =\n | first =\n | authorlink =\n | coauthors =\n | title = エジプト・アラブ共和国 基礎データ\n | work = 各国:地域情勢\n | publisher = 外務省(日本)\n | date =\n | url = http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/egypt/data.html\n | format =\n | doi =\n | accessdate =2012-06-17 }}</ref><ref>{{Cite web\n | last =\n | first =\n | authorlink =\n | coauthors =\n | title = エジプト基礎情報~政治・外交\n | work = エジプト情報\n | publisher = 在エジプト日本国大使館\n | date = 2011-07-30\n | url = http://www.eg.emb-japan.go.jp/j/egypt_info/basic/seiji.htm\n | format =\n | doi =\n | accessdate =2012-06-17 }}</ref>。\n\n=== 政府 ===\n* {{仮リンク|エジプトの首相|en|Prime Minister of Egypt|label=首相}}・{{仮リンク|ムスタファ・マドブーリー|en|Moustafa Madbouly}} 2018年6月就任。\n* {{仮リンク|エジプトの国防大臣の一覧|en|List of Ministers of Defence of Egypt|label=国防大臣}}・{{仮リンク|セドキ・ソブヒィ|en|Sedki Sobhi}} 2014年3月就任、エジプト軍総司令官。\n\n== 司法 ==\n{{Main2|詳細は[[エジプトの法]]}}\n[[ナポレオン法典]]と[[イスラム法]]に基づく、混合した法システム<ref>{{Cite web|title = Egypt| publisher = CIA-The World Factbook| url = https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/eg.html| accessdate = 2012-06-15}}</ref>。フランスと同じく、司法訴訟と行政訴訟は別の系統の裁判所が担当する。{{仮リンク|フランスにおける裁判所の二元性|fr|Dualité des ordres de juridiction en France}}参照。\n* {{仮リンク|最高憲法裁判所|en|Supreme Constitutional Court of Egypt}} - 法律が違憲か否かを判断する。1979年設立。長官はアドリー・マンスール(2013年7月1日 - )<ref>{{Cite web| title = Aperçu Historique | publisher = 最高憲法裁判所\n  | url =http://www.hccourt.gov.eg/About/history.asp\n | accessdate = 2013-08-27}}</ref>。ほか、10人の判事は1998年から2013年7月までに着任している<ref>{{Cite web| title = Current Members of the Court | publisher = 最高憲法裁判所\n | date =\n | url =http://www.hccourt.gov.eg/CourtMembers/CurrentCourt.asp\n | accessdate = 2013-08-27}}</ref>。長官は[[最高大統領選挙委員会]](The Supreme Presidential Election Commission, SPEC)の委員長を兼任していた<ref>{{Cite news\n | author = 貫洞欣寛\n| title = エジプト司法が逆襲 ムバラク裁判「判決批判許さん」\n | newspaper = 朝日新聞 | date = 2012-06-09\n | url = http://digital.asahi.com/articles/TKY201206080567.html?ref=comkiji_txt_end\n | accessdate = 2012-06-15}}</ref>が、2012年9月には副長官ハーティム・バガートゥーが務めていた<ref>{{Cite web\n | title = 中東要人講演会\n | newspaper = 中東調査会 | date =\n | url = http://www.meij.or.jp/members/20120903124551000000.pdf\n | accessdate = 2012-09-09}}</ref>。\n* [[司法省]]管轄の一般の[[裁判所]] - [[最高裁判所]]([[破毀院]]、1931年設立)と以下の[[下級裁判所]]([[控訴院]]、[[第一審]]裁判所、[[地区裁判所]]および[[家庭裁判所]] - 2004年設立)からなる。\n* [[国務院]]管轄の[[行政裁判所]] - [[コンセイユ・デタ]] - 1946年設立<ref>{{Cite web| title = Judiciary Authority| publisher = Egypt State Information Service\n| url =http://www.sis.gov.eg/En/Templates/Categories/tmpListArticles.aspx?CatID=248\n | accessdate = 2013-08-29}}</ref>。2011年[[2月19日]]、従来の[[政党委員会]](政府運営)の申請却下に対する不服申し立てを認めた形の判決で、[[政党]]の許認可<ref>{{Cite web| title = エジプトでイスラーム政党が認可 | work =[中東研ニュースリポート]| publisher = [[日本エネルギー経済研究所]] 中東研究センター| date = 2月21日\n | url =http://jime.ieej.or.jp/htm/extra/ronbun/003pol.htm\n | format =\n | doi =\n | accessdate = 2012-05-19}}</ref>を、[[4月16日]]、[[与党]]・[[国民民主党 (エジプト)|国民民主党]](NDP)の解散を裁定した。\n\n== 国際関係 ==\n{{main|{{仮リンク|エジプトの国際関係|en|Foreign relations of Egypt}}}}\n国力、文化的影響力などの面からアラブ世界のリーダーとなっている。ガマール・アブドゥル=ナーセル時代には[[非同盟諸国]]の雄としてアラブに限らない影響力を持ったが、ナーセル死後はその影響力は衰えた。ナーセル時代は親ソ連だった外交はサーダート時代に入って親米路線となり、さらにそれに伴いイスラエルとの外交関係が進展。1978年の[[キャンプ・デービッド合意]]とその翌年のイスラエル国交回復によって親米路線は確立したが、これはイスラエルを仇敵とするアラブ諸国の憤激を買い、ほとんどのアラブ諸国から断交されることとなった。その後、[[1981年]]にサーダートが暗殺されたあとに政権を握ったムバーラクは親米路線を堅持する一方、アラブ諸国との関係回復を進め、1988年には[[シリア]]、[[レバノン]]、[[リビア]]を除くすべてのアラブ諸国との関係が回復した<ref>『アフリカを知る事典』、平凡社、ISBN 4-582-12623-5 1989年2月6日 初版第1刷 p.58</ref>。以降はアラブの大国として域内諸国と協調する一方、アフリカの一国として2004年9月には[[国際連合安全保障理事会]]の[[常任理事国]]入りを目指すことを表明した。[[2011年]]、[[パレスチナ]]の[[ガザ]]の[[国境検問所|検問所]]を開放した。また、[[イラン]]との関係を修復しようとしている<ref>[http://www.asyura2.com/11/lunchbreak47/msg/284.html エジプト:ガザ、出入り自由に 検問所開放、外交転換鮮明に]</ref>。\n\nシーシー政権はムスリム同胞団政権時代のこうした外交政策とは一線を画している。欧米や日本、親米アラブ諸国、イスラエルのほか、中国や[[ロシア]]<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24487270R11C17A2FF2000/ 「ロシアが中東に接近 プーチン大統領、エジプトに軍事協力 米の中東政策の揺らぎつく」][[日本経済新聞]]ニュースサイト(2017年12月11日)2019年1月9日閲覧。</ref>などと広範な協力関係を築いている。\n\n[[2017年カタール外交危機]]では、サウジアラビアとともに、ムスリム同胞団を支援してきたカタールと[[国交]]を断絶した国のひとつとなった。またサウジアラビアとは、[[アカバ湾]]口に架橋して陸上往来を可能とするプロジェクトが話し合われた([[チラン島]]を参照)。\n\n=== 日本国との関係 ===\n{{Main|日本とエジプトの関係}}\n\n== 軍事 ==\n[[ファイル:Abrams in Tahrir.jpg|thumb|陸軍の主力戦車[[M1エイブラムス]]]]\n{{Main|エジプト軍}}\n中東有数の軍事大国であり、イスラエルと軍事的に対抗できる数少ないアラブ国家であると目されている。2010年11月見積もりの総兵力は46万8,500人。[[予備役]]47万9,000人。兵員数は[[陸軍]]34万人([[軍警察]]を含む)、[[海軍]]1万8,500人([[沿岸警備隊]]を含む)、[[空軍]]3万人、[[防空軍]]8万人<ref>{{Cite book\n | title = The Middle East and North Africa 2012\n | publisher = Routledge\n | edition = 58th\n | date = 2011\n | page = 380\n | isbn = 978-1-85743-626-6}}</ref>。内務省管轄の中央[[治安部隊]]、[[国境警備隊]]と国防省管轄の革命[[国家警備隊]](大統領[[親衛隊]])の[[準軍事組織]]が存在する。\n\nイスラエルとは4度にわたる[[中東戦争]]で毎回干戈を交えたが、[[第二次中東戦争]]で政治的な勝利を得、[[第四次中東戦争]]の緒戦で勝利を収めたほかは劣勢のまま終わっている。その後はイスラエルと接近し、シーシー政権下ではシナイ半島で活動する[[イスラム過激派]]([[ISIS]])に対する掃討作戦で、[[イスラエル空軍]]による[[爆撃]]を容認していることを公式に認めた<ref>[http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201901/CK2019010602000123.html 「対IS イスラエルと協力」エジプト大統領 治安重視]『[[東京新聞]]』朝刊2019年1月6日(国際面)2019年1月9日閲覧。</ref>。\n\n軍事的にはアメリカと協力関係にあるため、[[北大西洋条約機構]](NATO)のメンバーではないものの同機構とは親密な関係を保っている。また、ロシアや中国からも武器の供給を受けており、中露の主導する[[上海協力機構]]への参加も申請している<ref>{{Cite web|date=2015-07-11|url=http://jp.sputniknews.com/politics/20150710/556387.html|title=上海協力機構事務総長:機構はカラー革命など恐れていない|publisher=Sputnik 日本|accessdate=2019-08-18}}</ref><ref>{{Cite web|date=2015-07-27|url=http://arab.rbth.com/news/2015/07/27/30859.html|title=وزير الخارجية المصري: مصر لا تستبعد عضويتها في منظمة \"شنغهاي\" للتعاون في المستقبل | روسيا ما وراء العناوين|publisher=ロシアNOWアラビア語版|accessdate=2019-08-18}}</ref><ref>{{Cite web|date=2016-06-23|url=http://www.interfax.com/newsinf.asp?id=683491|title=Syria, Israel, Egypt willing to join SCO's activity - president's special envoy|publisher=[[インテルファクス通信]]|accessdate=2019-08-18}}</ref>。\n\n== 地方行政区画 ==\n[[ファイル:Governorates of Egypt.svg|thumb|right|280px|エジプトの行政区画]]\n{{Main|エジプトの県}}\nエジプトの最上級の地方行政単位は、29あるムハーファザ({{lang|ar|محافظة}}, '''県'''、'''州''' と訳されることもある)である。[[知事]]は中央政府から派遣される官選知事で、内務省の管轄下において中央集権体制をとる。極端な行政区分でナイル川流域やナイル下流は非常に細分化されているにもかかわらず、南部は非常に大まかに分けられている。これは、ナイル流域以外が全域砂漠であり、居住者がほとんどいないことによるものである。\n\n=== 主要都市 ===\n{{Main|エジプトの都市の一覧}}\n{{Main|エジプトの県}}\n{{Col-begin}}\n{{Col-break}}\n* [[アシュート]]\n* [[アスワン]]\n* [[マラウィー]]\n* [[アブ・シンベル]]\n* [[アレクサンドリア]]\n* [[イスマイリア]]\n* [[インバーバ]]\n* [[エスナ]]\n* [[エドフ]]\n* [[エル・アラメイン]]\n* [[カイロ]]\n{{Col-break}}\n* [[ケナ]]\n* [[ギーザ]]\n* [[コム・オンボ]]\n* [[ザガジグ]]\n* [[サッカラ]]\n* [[シャルム・エル・シェイク]]\n* [[スエズ]]\n* [[スブラエルケーマ]]\n* [[ソハーグ県|ソハーグ]]\n* [[ダマンフール]]\n* [[タンター]]\n{{Col-break}}\n* [[ディムヤート]]\n* [[ハルガダ]]\n* [[ファイユーム]]\n* [[ベニスエフ]]\n* [[ポートサイド]]\n* [[エル=マハッラ・エル=コブラ|マハッラ・クブラー]]\n* [[マンスーラ]]\n* [[ミニヤー県|ミニヤ]]\n* [[メンフィス (エジプト)]]\n* [[ルクソール]]\n* [[ロゼッタ (エジプト)|ロゼッタ]]\n{{Col-end}}\n<!-- 五十音順 -->\n\n== 地理 ==\n{{Main2|詳細は{{仮リンク|エジプトの地理|en|Geography of Egypt}}}}\n[[ファイル:Egypt Topography.png|thumb|200px|エジプトの地形図]]\n[[ファイル:Egypt 2010 population density1.png|thumb|200px|エジプトの人口分布図]]\n[[アフリカ大陸]]北東隅に位置し、国土面積は100万2,450㎢で、世界で30番目の大きさである。国土の95%は砂漠で、ナイル川の西側には[[サハラ砂漠]]の一部である西部砂漠([[リビア砂漠]])、東側には[[紅海]]と[[スエズ湾]]に接する[[東部砂漠]]({{lang|ar|الصحراء الشرقية}} - シャルキーヤ砂漠)がある。西部砂漠には海抜0m以下という地域が多く、面積1万8,000km<sup>2</sup>の広さをもつ[[カッターラ低地]]は海面より133mも低く、[[ジブチ]]の[[アッサル湖]]に次いでアフリカ大陸で2番目に低い地点である。[[シナイ半島]]の北部は砂漠、南部は山地になっており、エジプト最高峰の[[カテリーナ山]](2,637m)や、[[旧約聖書]]で[[モーセ]]が[[モーセの十戒|十戒]]を授かったといわれる[[シナイ山]](2,285m)がある。シナイ半島とナイル河谷との間は[[スエズ湾]]が大きく湾入して細くくびれており、ここが[[アフリカ大陸]]と[[ユーラシア大陸]]の境目とされている。この細い部分は低地であるため、[[スエズ運河]]が建設され、紅海と地中海、ひいてはヨーロッパとアジアを結ぶ大動脈となっている。\n[[ファイル:S F-E-CAMERON 2006-10-EGYPT-LUXOR-0439.JPG|thumb|left|200px|[[ナイル川]]]]\n[[ナイル川]]は南隣の[[スーダン]]で[[白ナイル川]]と[[青ナイル川]]が合流し、エジプト国内を南北1,545Kmにもわたって北上し、河口で広大な[[三角州|デルタ]]を形成して[[地中海]]にそそぐ。[[アスワン]]以北は人口稠密な河谷が続くが、幅は5Kmほどとさほど広くない。上エジプト中部のキーナでの湾曲以降はやや幅が広がり<ref>『朝倉世界地理講座 アフリカI』初版所収「ナイル川の自然形態」春山成子、2007年4月10日(朝倉書店)p198</ref>、[[アシュート]]近辺で分岐の支流が[[ファイユーム]]近郊の[[モエリス湖|カールーン湖]]({{lang|ar|Birket Qarun}}、かつての[[モエリス湖]])へと流れ込む。この支流によって、カールーン湖近辺は肥沃な{{仮リンク|ファイユーム・オアシス|en|Faiyum Oasis}}を形成している。一方、本流は、[[カイロ]]近辺で典型的な扇状三角州となる'''[[ナイル・デルタ]]'''は、地中海に向かって約250Kmも広がっている。かつてはナイル川によって運ばれる土で、デルタ地域は国内でもっとも肥沃な土地だったが、[[アスワン・ハイ・ダム]]によってナイル川の水量が減少したため、地中海から逆に塩水が入りこむようになった。ナイル河谷は、古くから[[下エジプト]]と[[上エジプト]]という、カイロを境にした2つの地域に分けられている。前者はデルタ地域を指し、後者はカイロから上流の谷を指している。ナイル河谷は、世界でももっとも[[人口密度]]の高い地域のひとつである。\n\nナイル河谷以外にはほとんど人は住まず、わずかな人が[[オアシス]]に集住しているのみである。乾燥が激しく地形がなだらかなため、特にリビア砂漠側には[[ワジ]](涸れ川)が全くない。[[シワ・オアシス|シーワ]]、[[ファラフラ (エジプト)|ファラーフラ]]、[[ハルガ]]、バハレイヤ、ダフラといった[[オアシス]]が点在している<ref>『ミリオーネ全世界事典』第10巻 アフリカI([[学習研究社]]、1980年11月)p206</ref>。ナイル以東のシャルキーヤ砂漠は地形がやや急峻であり、ワジがいくつか存在する。紅海沿岸も降雨はほとんどないが、ナイルと[[アラビア半島]]を結ぶ重要な交通路に位置しているため、いくつかの小さな港が存在する。\n\n=== 国境 ===\n1885年に列強が[[ドイツ]]の[[ベルリン]]で開いた会議で、それまでに植民地化していたアフリカの分割を確定した。リビア国境の大部分で[[東経25度線|東経25度]]に、スーダンでは[[北緯22度線|北緯22度]]に定めたため、国境が直線的である。\n\nスーダンとの間では、エジプトが[[実効支配]]する[[ハラーイブ・トライアングル]]に対してスーダンも領有権を主張している。一方、その西にある[[ビル・タウィール]]は両国とも領有権を主張していない[[無主地]]である。\n\n=== 気候 ===\n{{Main2|詳細は{{仮リンク|エジプトの気候|en|Climate of Egypt}}}}\n国土の全域が[[砂漠気候]]で人口はナイル河谷および[[デルタ地帯]]、[[スエズ運河]]付近に集中し、国土の大半は[[サハラ砂漠]]に属する。夏には日中の気温は40℃を超え、50℃になることもある。降雨はわずかに[[地中海|地中海岸]]にあるにすぎない。冬の平均気温は下エジプトで13 - 14℃、上エジプトで16℃程度である。2013年12月にはカイロ市内でも降雪・積雪があったが、観測史上初ということで注目された。\n\n== 経済 ==\n{{Main2|詳細は{{仮リンク|エジプトの経済|en|Economy of Egypt}}}}\n[[ファイル:View from Cairo Tower 31march2007.jpg|thumb|left|220px|カイロはビジネス、文化、政治などを総合評価した[[世界都市#世界と指数|世界都市格付け]]でアフリカ第1位の都市と評価された<ref>[http://www.atkearney.com/documents/10192/4461492/Global+Cities+Present+and+Future-GCI+2014.pdf/3628fd7d-70be-41bf-99d6-4c8eaf984cd5 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook] (2014年4月公表)</ref>]]\n\n2018年のエジプトの[[GDP]]は約2,496億ドル(約27兆円)、一人当たりでは2,573ドルである<ref name=\"economy\" />。アフリカでは屈指の経済規模であり、[[BRICs]]の次に経済発展が期待できるとされている[[NEXT11]]の一国にも数えられている。しかし、一人当たりのGDPでみると、中東や北アフリカ諸国の中では、最低水準であり、[[トルコ]]の約4分の1、[[イラン]]の半分に過ぎず、更に同じ北アフリカ諸国である[[チュニジア]]や[[モロッコ]]に比べても、水準は低い<ref name=\"エジプト経済の現状と今後の展望\" >{{Cite report|author=堀江 正人|date=2019-01-08|title=エジプト経済の現状と今後の展望 ~経済の復調が注目される中東北アフリカの大国エジプト~|url=https://www.murc.jp/report/economy/analysis/research/report_190108/|publisher=[[三菱UFJリサーチ&コンサルティング|三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社]]|accessdate=2020-02-03}}</ref>。\n\n[[スエズ運河]]収入と[[観光産業]]収入、更には在外労働者からの送金の3大外貨収入の依存が大きく、エジプト政府は、それらの手段に安易に頼っている<ref name=\"エジプト経済の現状と今後の展望\" />。更に政情に左右されやすい。\n\nかつては[[綿花]]の世界的生産地であり、ナイル川のもたらす肥沃な土壌とあいまって農業が重要な役割を果たしていた。しかし、通年灌漑の導入によってナイルの洪水に頼ることが減り、アスワン・ハイ・ダムの建設によって、上流からの土壌がせき止められるようになった。そのため、ダムによる水位コントロールによって農地が大幅に拡大した。農業生産高が格段に上がったにもかかわらず、[[肥料]]の集中投入などが必要になったため、コストが増大し、近年代表的な農業製品である綿製品は価格競争において後塵を拝している。\n\n[[1970年代]]に農業の機械化および各種生産業における機械への転換により、地方での労働力の過剰供給が見受けられ、労働力は都市部に流出し、治安・衛生の悪化及び社会政策費の増大を招いた。80年代には、[[石油]]産業従事者の増大に伴い、農業において労働力不足が顕著となる。このため綿花および綿製品の価格上昇を招き、国際競争力を失った。1990年代から、[[国際通貨基金|IMF]]の支援を受け経済成長率5%を達成するが、社会福祉政策の低所得者向け補助の増大および失業率10%前後と支出の増大に加え、資源に乏しく食料も輸入に頼るため、2004年には物価上昇率10%に達するなどの構造的問題を抱えている。現状、中小企業育成による国際競争力の強化、雇用創生に取り組んでいるが、結果が出ていない。[[2004年]]のナズィーフ内閣が成立後は、国営企業の民営化および税制改革に取り組んでいる。[[2008年]]、世界的な食料高騰によるデモが発生した。\n\nまた、「[[アラブの春]]」により、2012年~2014年の間は2~3%台と一時低迷していたが、その後政情の安定化により、2015年には、4%台に回復している。また[[IMF]]の勧告を受け、2016年に[[為替相場]]の大幅切り下げや[[補助金]]削減などの改革をしたことで、経済健全化への期待感より、外国からの資本流入が拡大していき、経済の復調を遂げている<ref name=\"エジプト経済の現状と今後の展望\" />。\n\n農業は農薬などを大量に使っているため世界一コストの高い農業となっているがそれなりの自給率を保っているし果物は日本にもジャムなどに加工され輸出されている。工業は石油などの資源はないが様々な工業が発展しており今後も成長が見込まれる。近年IT IC産業が急速に成長している。\nしかしながらGDPの約半分が軍関連企業が占めていて主に農業 建築業などの工業を担っている。\n金融はイスラーム銀行も近代式銀行の両方とも発達しており投資家層も厚くトランプ政権にはエジプトの敏腕女性投資家が起用されている。\n\n== 交通 ==\n{{Main|エジプトの交通}}\nエジプトの交通の柱は歴史上常に[[ナイル川]]であった。[[アスワン・ハイ・ダム]]の建設後、ナイル川の流れは穏やかになり、交通路として安定性が増した。しかし貨物輸送はトラック輸送が主となり、内陸水運の貨物国内シェアは2%にすぎない。[[ファルーカ]]という伝統的な[[帆船]]や、観光客用のリバークルーズなどの運航もある。\n\n[[鉄道]]は、国有の[[エジプト鉄道]]が運営している。営業キロは5,063キロにのぼり、カイロを起点として[[ナイル川デルタ]]や[[ナイル河谷]]の主要都市を結んでいる。\n\n航空は、[[フラッグ・キャリア]]である[[エジプト航空]]を筆頭にいくつもの航空会社が運行している。[[カイロ国際空港]]はこの地域の[[ハブ空港]]の一つである。\n\n== 国民 ==\n{{Main2|詳細は{{仮リンク|エジプトの人口統計|en|Demographics of Egypt}}}}\n[[ファイル:Cairo mosques.jpg|thumb|left|220px|[[カイロ]]の[[モスク]]]]\n=== 人口構成 ===\n[[ファイル:Egypt population pyramid 2005.svg|thumb|[[2005年]]の人口ピラミッド。30歳以下の若年層が非常に多く、若者の失業が深刻な問題となっている]]\n[[ファイル:Egypt demography.png|thumb|400px|[[国際連合食糧農業機関]]の2005年データによるエジプト人口の推移。1960年の3,000万人弱から人口が急増しているのが読み取れる]]\nエジプトの人口は8,254万人(2013年1月現在)で、近年急速に増大し続けている。年齢構成は0から14歳が33%、15から64歳が62.7%、65歳以上が4.3%(2010年)で、若年層が非常に多く、ピラミッド型の人口構成をしている。しかし、若年層はさらに増加傾向にあるにもかかわらず、経済はそれほど拡大していないため、若者の[[失業]]が深刻な問題となっており、[[2011年エジプト騒乱]]の原因のひとつともなった。年齢の中央値は24歳である。人口増加率は2.033%。\n\n=== 民族 ===\n{{See also|エジプト民族}}\n住民は[[ムスリム|イスラム教徒]]と[[キリスト教徒]]([[コプト教会]]、[[東方正教会]]など)からなる[[アラブ人]]がほとんどを占め、そのほかに[[ベドウィン]](遊牧民)や[[ベルベル人]]、{{仮リンク|ヌビア人|en|Nubian people}}、[[アルメニア人]]、[[トルコ人]]、[[ギリシア人]]などがいる。遺伝的に見れば、エジプト住民のほとんどが古代エジプト人の直系であり、[[エジプト民族]]との呼称でも呼ばれる所以である。また、エジプト人の大半は、イスラム勢力のエジプト征服とそれに続くイスラム系国家の統治の間に言語学的にアラブ化し、本来のエジプト語を捨てた人々であるとする見解がある。それだけではなく、長いイスラーム統治時代の人的交流と都市としての重要性から、多くのアラブ人が流入・定住していったのも事実である。1258年にアッバース朝が崩壊した際、[[カリフ]]周辺を含む多くの人々がエジプト(おもにカイロ近郊)へ移住したという史実は、中東地域一帯における交流が盛んであったことを示す一例である。現代においてカイロは[[世界都市]]となっており、また歴史的にも[[アル=アズハル大学]]は、イスラム教[[スンナ派]]で最高権威を有する教育機関として、中東・イスラム圏各地から人々が参集する。\n\nなお[[古代エジプト]]文明の印象があまりに大きいためか、特に現代エジプトに対する知識を多く持たない人は、現代のエジプト人を古代エジプト人そのままにイメージしていることが多い。すなわち、[[ギザの大スフィンクス]]や[[ギザの大ピラミッド]]を建て、太陽神やさまざまな神を信仰([[エジプト神話]])していた古代エジプト人を、現代のエジプト人にもそのまま当てはめていることが多い。しかし、上述のとおり現代エジプト人の9割はイスラム教徒であり、アラビア語を母語とするアラブ人である。それもアラブ世界の中で比較的主導的な立場に立つ、代表的なアラブ人のひとつである。\n\n=== 言語 ===\n{{Main2|詳細は{{仮リンク|エジプトの言語|en|Languages of Egypt}}}}\n現在のエジプトでは[[アラビア語]]が[[公用語]]である。これは、イスラムの征服当時にもたらされたもので、エジプトのイスラム化と同時に普及していった。ただし、公用語となっているのは[[正則アラビア語]](フスハー)だが、実際に用いられているのは[[アラビア語エジプト方言]]である{{要出典|date=2012年8月}}<!-- 実際に「通用」の意味か? 行政等の用語は? -->。\n\n古代エジプトの公用語であった[[エジプト語]](4世紀以降の近代エジプト語は[[コプト語]]の名で知られる)は、現在では少数のキリスト教徒が典礼言語として使用するほかはエジプトの歴史に興味を持つ知識層が学んでいるだけであり、これを話せる国民はきわめて少ない。日常言語としてコプト語を使用する母語話者は数十名程度である<ref>[http://www.dailystaregypt.com/article.aspx?ArticleID=106 The Dairy Star of Egypt 2007年1月23日]</ref>。他には地域的に[[ヌビア諸語]]、[[教育]]・[[ビジネス]]に[[英語]]、[[文化_(代表的なトピック)|文化]]においては[[フランス語]]なども使われている。\n\n=== 宗教 ===\n{{Main2|詳細は{{仮リンク|エジプトの宗教|en|Religion in Egypt}}}}\n{{bar box\n|title=宗教構成(エジプト)\n|titlebar=#ddd\n|width= 300px\n|float=right\n|bars=\n{{bar percent|イスラム教(スンナ派)|green|90}}\n{{bar percent|キリスト教その他|blue|10}}\n}}\n宗教は[[イスラム教]]が90%(ほとんどが[[スンナ派]])であり、[[憲法]]では[[国教]]に指定されている(既述の通り、現在では宗教政党の活動ならびにイスラム主義活動は禁止されている)<ref name=2010cia/>。その他の宗派では、エジプト土着の[[キリスト教会]]である[[コプト教会]]の信徒が9%、その他のキリスト教徒が1%となる<ref name=2010cia/>。\n\n=== 婚姻 ===\n多くの場合、婚姻時に女性は改姓しない([[夫婦別姓]])が、改姓する女性もいる<ref>[https://culturalatlas.sbs.com.au/egyptian-culture/naming-9bdb9e00-ffa6-4f6f-9b29-1616ec7bb952#naming-9bdb9e00-ffa6-4f6f-9b29-1616ec7bb952 Egyptian Culture], Cultural Atlas.</ref>。\n\n=== 教育 ===\n{{Main2|詳細は{{仮リンク|エジプトの教育|en|Education in Egypt}}}}\n[[ファイル:Bibalex-egypt.JPG|thumb|180px|[[新アレクサンドリア図書館]]]]\nエジプトの教育制度は、1999年から[[小学校]]の課程が1年延び、日本と同じく小学校6年・[[中学校]]3年・[[高等学校|高校]]3年・[[大学]]4年の6・3・3・4制となっている<ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/world_school/07africa/infoC70400.html 諸外国の学校情報(国の詳細情報) 日本国外務省]</ref>。[[義務教育]]は小学校と中学校の9年である。[[1923年]]のエジプト独立時に初等教育はすでに無料とされ、以後段階的に無料教育化が進み、[[1950年]]には著名な作家でもあった文部大臣[[ターハー・フセイン]]によって中等教育が無料化され、1952年のエジプト革命によって高等教育も含めたすべての公的機関による教育が無料化された。しかし、公立学校の[[教員]]が給料の少なさなどから個人の[[家庭教師]]を兼任することが広く行われており、社会問題化している<ref>[http://www.fukuoka-pu.ac.jp/kiyou/kiyo15_1/1501_tanaka.pdf 『福岡県立大学人間社会学部紀要』 田中哲也]</ref>。高額な授業料を取る代わりに教育カリキュラムの充実した私立学校も多数存在する。エジプト国内には、20万以上の小中学校、1,000万人以上の学生、13の主要大学、67の[[師範学校]]がある。\n\n[[2018年]]より「エジプト日本学校(EJS=Egypt-Japan School)」が35校、開校した<ref>[https://www.jica.go.jp/publication/mundi/1904/201904_03_01.html 「日本式教育」で、子どもたちが変わる! エジプト]</ref>\n<ref>[https://www.jica.go.jp/press/2018/20181004_01.html 「エジプト・日本学校」35校が開校:日本式教育をエジプトへ本格導入]</ref>。これは2017年に[[JICA]]が技術協力「学びの質向上のための環境整備プロジェクト」を開始ししたことに始まるもので、[[日本の学校教育]]で行われている[[学級会]]や生徒による清掃などをエジプトの教育に取り入れようとする教育方針である<ref>[https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00727/ エジプトの小学校に「日本式教育」、協調性など成果も]</ref>。試験的に導入した際には文化的な違いから反発も見受けられたが、校内での暴力が減った、子供が家でも掃除をするようになったなど、徐々に成果が見えるようになり本格的に導入されることになった<ref>[https://www.huffingtonpost.jp/entry/egypt-japan-school_jp_5cdba4c0e4b0c39d2a13534f 「日本式教育」はエジプトの教育現場をどう変えたか。「掃除は社会階層が低い人が行うもの」という反発を乗り越えて]</ref><ref>[https://egyptcesbtokyo.wordpress.com/2018/10/10/「エジプト・日本学校」について/ 「エジプト・日本学校」(EJS)について]</ref>。\n\n2005年の推計によれば、15歳以上の国民の[[識字率]]は71.4%(男性:83%、女性:59.4%)である<ref name=2010cia>[https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/za.html CIA World Factbook \"Egypt\"]2010年1月31日閲覧。</ref>。2006年にはGDPの4.2%が教育に支出された<ref name=2010cia/>。\n\nおもな高等教育機関としては、[[アル=アズハル大学]](988年 p? )、[[吉村作治]]、[[小池百合子]]らが出身の[[カイロ大学]](1908年~)などが存在する。\n\n国立図書館として[[新アレクサンドリア図書館]]が存在する。\n\n== 文化 ==\n[[ファイル:Necip Mahfuz.jpg|thumb|[[ナギーブ・マフフーズ]]は[[1988年]]に[[ノーベル文学賞]]を受賞した]]\n{{Main2|詳細は{{仮リンク|エジプトの文化|en|Culture of Egypt}}}}\n\n* [[古代エジプト]]の建造物で有名。\n* [[ボードゲーム]]や[[カードゲーム]]の発祥の地としても知られている。\n* 座った時に足を組むと、相手に敵意があると受けとられる。\n\n=== 食文化 ===\n{{Main|エジプト料理}}\n\n=== 文学 ===\n{{Main|古代エジプト文学|アラビア語文学|エジプト文学}}\n古代エジプトにおいては[[パピルス]]に[[ヒエログリフ]]で創作がなされ、[[古代エジプト文学]]には『[[死者の書 (古代エジプト)|死者の書]]』や『[[シヌヘの物語]]』などの作品が現代にも残っている。7世紀にアラブ化したあともエジプトは[[アラビア語文学]]のひとつの中心地となった。近代の文学者として[[ターハー・フセイン]]の名が挙げられ、現代の作家である[[ナギーブ・マフフーズ]]は1988年に[[ノーベル文学賞]]を受賞している。\n{{clear}}\n\n=== スポーツ ===\n* [[サッカーエジプト代表]]の[[モハメド・サラー]]は[[プレミアリーグ]]で得点王、[[PFA年間最優秀選手賞]]を獲得、[[UEFAチャンピオンズリーグ 2018-19|2018-19シーズン]]に[[UEFAチャンピオンズリーグ]]優勝を果たした。\n* [[スカッシュ (スポーツ)|スカッシュ]]では[[21世紀]]に入ってからワールドオープン([[:en:World Squash Championships]])で男女ともに多くの優勝者を輩出している。\n\n=== 世界遺産 ===\n{{Main|エジプトの世界遺産}}\nエジプト国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された文化遺産が6件、自然遺産が1件登録されている。\n\n<gallery widths=\"180\" heights=\"120\">\nファイル:Egypt.Giza.Sphinx.01.jpg|[[メンフィスとその墓地遺跡|メンフィスとその墓地遺跡-ギーザからダハシュールまでのピラミッド地帯]](1979年、文化遺産)\nファイル:S F-E-CAMERON 2006-10-EGYPT-KARNAK-0002.JPG|古代都市[[テーベ]]とその墓地遺跡(1979年、文化遺産)\nファイル:Abou simbel face.jpg|[[アブ・シンベル]]から[[フィラエ]]までの[[ヌビア遺跡]]群(1979年、文化遺産)\nファイル:Al Azhar, Egypt.jpg|[[カイロ|カイロ歴史地区]](1979年、文化遺産)\nファイル:Katharinenkloster Sinai BW 2.jpg|* [[聖カタリナ修道院|聖カトリーナ修道院地域]](2002年、文化遺産)\nファイル:Whale skeleton 2.jpg|[[ワディ・アル・ヒタン]](2005年、自然遺産)\n</gallery>\n\n== 参考文献 ==\n*鈴木恵美編著『現代エジプトを知るための60章』、[[明石書店]]、2012年 ISBN 4750336483\n{{節スタブ}}\n\n== 脚注 ==\n{{脚注ヘルプ}}\n{{Reflist|2}}\n\n== 関連項目 ==\n* [[エジプト民族]]\n* [[エジプト美術]]\n* [[エジプト神話]]\n* [[エジプト軍]]\n* [[エジプト海軍艦艇一覧]]\n* [[エジプト革命 (2011年)]]\n* [[エジプトの法]]\n* [[エジプト関係記事の一覧]]\n\n== 外部リンク ==\n{{Wiktionary}}\n{{Commons&cat|Egypt|Egypt}}\n{{Wikivoyage|Egypt|エジプト{{en icon}}}}\n{{osm box|r|1473947}}\n{{ウィキポータルリンク|アフリカ|[[画像:Africa_satellite_orthographic.jpg|36px|ウィキポータルリンク アフリカ]]}}\n; 政府\n:* [http://www.egypt.gov.eg/arabic/home.aspx エジプト政府サービス・ポータル] {{ar icon}}\n:* [http://www.egypt.gov.eg/english/home.aspx エジプト政府サービス・ポータル] {{en icon}}\n:* [http://www.egypt.or.jp/index.html 在日エジプト大使館 エジプト学・観光局] - 「観光情報」と「基本情報」{{ja icon}}\n:\n; 日本政府\n:* [https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/egypt/ 日本外務省 HP>各国・地域情勢>アフリカ>エジプト・アラブ共和国] {{ja icon}}\n:* [https://www.eg.emb-japan.go.jp/itprtop_ja/index.html 在エジプト日本国大使館] {{ja icon}}\n:** [https://www.eg.emb-japan.go.jp/itpr_ja/00_000035.html 在エジプト日本国大使館>エジプト情報]\n:\n; その他\n:* [https://www.jica.go.jp/index.html 独立行政法人 JICA 国際協力機構]\n:** [https://www.jica.go.jp/egypt/ HP>各国における取り組み>中東>エジプト生活情報]\n:** [https://libportal.jica.go.jp/fmi/xsl/library/public/ShortTermStayInformation/MiddleEast/Egypt-Short.pdf HP>世界の現状を知る>世界の様子(国別生活情報)>中東>エジプト短期滞在者用国別情報(2011)]\n:* [https://www.jetro.go.jp/world/africa/eg/ 独立行政法人 JETRO 日本貿易振興機構 HP>海外ビジネス情報>国・地域別情報>アフリカ>エジプト]\n:* [https://www.jccme.or.jp/08/08-07-08.html 財団法人 JCCME 中東協力センター HP>中東各国情報>エジプト]\n:* [https://wikitravel.org/ja/%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88 ウィキトラベル旅行ガイド - エジプト] {{ja icon}}\n:* {{Wikiatlas|Egypt}} {{en icon}}\n:* {{CIA World Factbook link|eg|Egypt}} {{en icon}}\n:* {{dmoz|Regional/Africa/Egypt}} {{en icon}}\n\n{{アフリカ}}\n{{アジア}}\n{{OIC}}\n{{OIF}}\n{{NATOに加盟していない米国の同盟国}}\n{{Authority control}}\n{{Coord|30|2|N|31|13|E|type:city|display=title}}\n\n{{デフォルトソート:えしふと}}\n[[Category:エジプト|*]]\n[[Category:共和国]]\n[[Category:軍事政権]]\n[[Category:フランコフォニー加盟国]]"}

20. JSON データの読み込み

Wikipedia記事のJSONファイルを読み込み,「イギリス」に関する記事本文を表示せよ.問題21-29では,ここで抽出した記事本文に対して実行せよ.

import json 

filename = 'jawiki-country.json'
with open(filename, mode='r') as f:
    for line in f:
        line = json.loads(line)
        if line['title'] == 'イギリス':
            text_uk = line['text']
            break

## 確認
print(text_uk)
{{redirect|UK}}
{{redirect|英国|春秋時代の諸侯国|英 (春秋)}}
{{Otheruses|ヨーロッパの国|長崎県・熊本県の郷土料理|いぎりす}}
{{基礎情報 国
|略名  =イギリス
|日本語国名 = グレートブリテン及び北アイルランド連合王国
|公式国名 = {{lang|en|United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland}}<ref>英語以外での正式国名:<br />
*{{lang|gd|An Rìoghachd Aonaichte na Breatainn Mhòr agus Eirinn mu Thuath}}([[スコットランド・ゲール語]])
*{{lang|cy|Teyrnas Gyfunol Prydain Fawr a Gogledd Iwerddon}}([[ウェールズ語]])
*{{lang|ga|Ríocht Aontaithe na Breataine Móire agus Tuaisceart na hÉireann}}([[アイルランド語]])
*{{lang|kw|An Rywvaneth Unys a Vreten Veur hag Iwerdhon Glédh}}([[コーンウォール語]])
*{{lang|sco|Unitit Kinrick o Great Breetain an Northren Ireland}}([[スコットランド語]])
**{{lang|sco|Claught Kängrick o Docht Brätain an Norlin Airlann}}、{{lang|sco|Unitet Kängdom o Great Brittain an Norlin Airlann}}(アルスター・スコットランド語)</ref>
|国旗画像 = Flag of the United Kingdom.svg
|国章画像 = [[ファイル:Royal Coat of Arms of the United Kingdom.svg|85px|イギリスの国章]]
|国章リンク =([[イギリスの国章|国章]])
|標語 = {{lang|fr|[[Dieu et mon droit]]}}<br />([[フランス語]]:[[Dieu et mon droit|神と我が権利]])
|国歌 = [[女王陛下万歳|{{lang|en|God Save the Queen}}]]{{en icon}}<br />''神よ女王を護り賜え''<br />{{center|[[ファイル:United States Navy Band - God Save the Queen.ogg]]}}
|地図画像 = Europe-UK.svg
|位置画像 = United Kingdom (+overseas territories) in the World (+Antarctica claims).svg
|公用語 = [[英語]]
|首都 = [[ロンドン]](事実上)
|最大都市 = ロンドン
|元首等肩書 = [[イギリスの君主|女王]]
|元首等氏名 = [[エリザベス2世]]
|首相等肩書 = [[イギリスの首相|首相]]
|首相等氏名 = [[ボリス・ジョンソン]]
|他元首等肩書1 = [[貴族院 (イギリス)|貴族院議長]]
|他元首等氏名1 = [[:en:Norman Fowler, Baron Fowler|ノーマン・ファウラー]]
|他元首等肩書2 = [[庶民院 (イギリス)|庶民院議長]]
|他元首等氏名2 = {{仮リンク|リンゼイ・ホイル|en|Lindsay Hoyle}}
|他元首等肩書3 = [[連合王国最高裁判所|最高裁判所長官]]
|他元首等氏名3 = [[:en:Brenda Hale, Baroness Hale of Richmond|ブレンダ・ヘイル]]
|面積順位 = 76
|面積大きさ = 1 E11
|面積値 = 244,820
|水面積率 = 1.3%
|人口統計年 = 2018
|人口順位 = 22
|人口大きさ = 1 E7
|人口値 = 6643万5600<ref>{{Cite web|url=https://www.ons.gov.uk/peoplepopulationandcommunity/populationandmigration/populationestimates|title=Population estimates - Office for National Statistics|accessdate=2019-06-26|date=2019-06-26}}</ref>
|人口密度値 = 271
|GDP統計年元 = 2012
|GDP値元 = 1兆5478億<ref name="imf-statistics-gdp">[http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2012/02/weodata/weorept.aspx?pr.x=70&pr.y=13&sy=2010&ey=2012&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=112&s=NGDP%2CNGDPD%2CPPPGDP%2CPPPPC&grp=0&a=IMF>Data and Statistics>World Economic Outlook Databases>By Countrise>United Kingdom]</ref>
|GDP統計年MER = 2012
|GDP順位MER = 6
|GDP値MER = 2兆4337億<ref name="imf-statistics-gdp" />
|GDP統計年 = 2012
|GDP順位 = 6
|GDP値 = 2兆3162億<ref name="imf-statistics-gdp" />
|GDP/人 = 36,727<ref name="imf-statistics-gdp" />
|建国形態 = 建国
|確立形態1 = [[イングランド王国]]/[[スコットランド王国]]<br />(両国とも[[合同法 (1707年)|1707年合同法]]まで)
|確立年月日1 = 927年/843年
|確立形態2 = [[グレートブリテン王国]]成立<br />(1707年合同法)
|確立年月日2 = 1707年{{0}}5月{{0}}1日
|確立形態3 = [[グレートブリテン及びアイルランド連合王国]]成立<br />([[合同法 (1800年)|1800年合同法]])
|確立年月日3 = 1801年{{0}}1月{{0}}1日
|確立形態4 = 現在の国号「'''グレートブリテン及び北アイルランド連合王国'''」に変更
|確立年月日4 = 1927年{{0}}4月12日
|通貨 = [[スターリング・ポンド|UKポンド]] (£)
|通貨コード = GBP
|時間帯 = ±0
|夏時間 = +1
|ISO 3166-1 = GB / GBR
|ccTLD = [[.uk]] / [[.gb]]<ref>使用は.ukに比べ圧倒的少数。</ref>
|国際電話番号 = 44
|注記 = <references/>
}}

'''グレートブリテン及び北アイルランド連合王国'''(グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこく、{{lang-en-short|United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland}}: '''UK''')は、[[ヨーロッパ大陸]]の北西岸に位置し、[[グレートブリテン島]]・[[アイルランド島]]北東部・その他多くの島々から成る[[立憲君主制]][[国家]]。首都は[[ロンドン]]。[[日本語]]における[[通称]]の一例として'''イギリス'''、'''英国'''(えいこく)がある(→[[#国名]])。

'''[[イングランド]]'''、'''[[ウェールズ]]'''、'''[[スコットランド]]'''、'''[[北アイルランド]]'''という歴史的経緯に基づく4つの[[イギリスのカントリー|「カントリー」と呼ばれる「国」]]が、[[同君連合]]型の単一の[[主権国家体制|主権国家]]を形成する<ref name="page823">{{cite web |url=http://webarchive.nationalarchives.gov.uk/+/http://www.number10.gov.uk/Page823 |title=Countries within a country |publisher=Prime Minister's Office |accessdate=10 January 2003}}</ref>独特の統治体制を採るが、一般的に[[連邦]]国家とは区別される。

[[国際連合安全保障理事会常任理事国]]の一国(五大国)であり、[[G7]]・[[G20]]に参加する。GDPは世界10位以内に位置する巨大な市場を持ち、ヨーロッパにおける四つの大国「[[ビッグ4 (ヨーロッパ)|ビッグ4]]」の一国である。[[ウィーン体制]]が成立した[[1815年]]以来、世界で最も影響力のある国家・[[列強]]の一つに数えられる。また、[[民主主義]]、[[立憲君主制]]など近代国家の基本的な諸制度が発祥した国でもある。

イギリスの[[擬人化]]としては[[ジョン・ブル]]、[[ブリタニア (女神)|ブリタニア]]が知られる。

==国名==
正式名称は英語で「{{Lang|en|'''United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland'''}}(ユナイテッド・キングダム・オヴ・グレイト・ブリテン・アンド・ノーザン・アイルランド)」であり、日本語では、「'''グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国'''」とする場合(法文など)と「'''グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国'''」とする場合(条約文など)がある。

英語での略称は「{{Lang|en|'''United Kingdom'''}}」、「{{Lang|en|'''UK'''}}」。[[日本語]]における一般的な通称は「'''イギリス'''」もしくは「'''英国'''」であるが、稀に「{{Lang|en|United Kingdom}}」の[[直訳と意訳|直訳]]である「'''[[連合王国]]'''(れんごうおうこく)」が用いられることもある。現在の公用文では「英国」が使用されており、「イギリス」は口語で用いられることが多い<ref>[[日本放送協会|NHK]]で採用している他、原則として「英国」を用いるメディアでも「[[イギリス英語]]」のような形では使用する。</ref>。「連合王国」は2003年まで法文において用いられていた<ref>[http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1368617/www.meti.go.jp/policy/anpo/moto/topics/country/country.pdf 輸出貿易管理令等における国名表記の変更について]([[経済産業省]]) 国立国会図書館のアーカイブより''2019-2-5閲覧''</ref>。

「イギリス」は、[[ポルトガル語]]で[[イングランド]]を指す「{{Lang|pt|Inglez}}(イングレス)」が語源で、戦国時代にポルトガル人が来航した事に起源を持つ。原義にかかわらず連合王国全体を指して使われており、連合王国の構成体たる「イングランド」とは区別される。[[江戸時代]]には、[[オランダ語]]の「{{Lang|nl|Engelsch}}(エングルシュ)」を語源とする「'''エゲレス'''」という呼称も広く使用された<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%82%A8%E3%82%B2%E3%83%AC%E3%82%B9-444373 コトバンク「エゲレス」]</ref>。[[幕末]]から[[明治]]・[[大正]]期には「'''英吉利'''(えいぎりす)」や「大不列顛(だいふれつてん、大ブリテン)」と[[国名の漢字表記一覧|漢字で表記]]されることもあったが、前者が「英国」という略称の語源である。ただし「英国」は、狭義に連合王国全体でなくイングランド('''英格蘭''')のみを指す場合もある<ref>また、[[アメリカ合衆国]]に渡ることを「渡米」と言うように、イギリス、特にイングランドへ渡ることを「渡英」と言う([[二字熟語による往来表現の一覧]]を参照)。</ref>。

[[合同法 (1707年)|1707年合同法]]においては、[[イングランド王国]]および[[スコットランド王国]]を一王国に統合すると宣言する。同法において、新国家名称は「[[グレートブリテン王国]]」または「グレートブリテン連合王国」および「連合王国」とすると述べている<ref>{{cite web |url=http://www.scotshistoryonline.co.uk/union.html |title=Treaty of Union, 1706 |publisher=Scots History Online |accessdate=23 August 2011}}</ref><ref>{{cite book |url=http://books.google.com/?id=LYc1tSYonrQC&pg=PA165 |title=Constitutional & Administrative Law |page=165 |author=Barnett, Hilaire |author2=Jago, Robert |edition=8th |year=2011 |isbn=978-0-415-56301-7 |publisher=Routledge |location=Abingdon }}</ref>。しかしながら、「連合王国」という用語は18世紀における非公式の使用にのみ見られ、「長文式」でない単なる「グレート・ブリテン」であった1707年から1800年まで、同国はごくまれに正式名称である「グレート・ブリテン連合王国」と言及された<ref>See [[s:Act of Union 1707#Article 1 (name of the new kingdom)|Article One]] of the Act of Union 1707.</ref><ref name=name>"After the political union of England and Scotland in 1707, the nation's official name became 'Great Britain'", ''The American Pageant, Volume 1'', Cengage Learning (2012)</ref><ref name=name2>"From 1707 until 1801 ''Great Britain'' was the official designation of the kingdoms of England and Scotland". ''The Standard Reference Work:For the Home, School and Library, Volume 3'', Harold Melvin Stanford (1921)</ref><ref name=name3>"In 1707, on the union with Scotland, 'Great Britain' became the official name of the British Kingdom, and so continued until the union with Ireland in 1801". ''United States Congressional serial set, Issue 10;Issue 3265'' (1895)</ref><ref>{{cite web |url=http://www.historyworld.net/wrldhis/PlainTextHistories.asp?historyid=ab07 |title=History of Great Britain (from 1707) |authorlink=w:Bamber Gascoigne |author=Gascoigne, Bamber |publisher=History World |accessdate=18 July 2011}}</ref>。[[合同法 (1800年)|1800年合同法]]では、1801年にグレート・ブリテン王国と[[アイルランド王国]]が統合し、[[グレート・ブリテン及びアイルランド連合王国]]が成立した。現在の正式国名である「グレート・ブリテン及び北(部)アイルランド連合王国」は、[[北アイルランド]]のみが連合王国の一部としてとどまった1922年の[[アイルランド自由国]]独立および{{仮リンク|アイルランド分裂|en|Partition of Ireland}}後に採用された<ref>{{cite book |title=The Irish Civil War 1922–23 |author=Cottrell, P. |year=2008 |page=85 |isbn=1-84603-270-9}}</ref>。

イギリスは主権国家として国であるが、イングランド、[[スコットランド]]、[[ウェールズ]]、それほどの段階ではないが北アイルランドも、主権国家ではないが[[イギリスのカントリー|「国」(country)]]と呼ばれる<ref name="alphabeticalNI">{{citation |author1=S. Dunn |author2=H. Dawson|year=2000 |title=An Alphabetical Listing of Word, Name and Place in Northern Ireland and the Living Language of Conflict |publisher=Edwin Mellen Press |location=Lampeter |quote=One specific problem&nbsp;— in both general and particular senses&nbsp;— is to know what to call Northern Ireland itself:in the general sense, it is not a country, or a province, or a state&nbsp;— although some refer to it contemptuously as a statelet:the least controversial word appears to be jurisdiction, but this might change.}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.iso.org/iso/iso_3166-2_newsletter_ii-3_2011-12-13.pdf |title=Changes in the list of subdivision names and code elements |work=ISO 3166-2 |publisher=International Organization for Standardization |date=15 December 2011 |accessdate=28 May 2012}}</ref>。スコットランド、ウェールズ、北アイルランドは、権限の委譲による自治権を有する<ref>[http://books.google.com/?id=gPkDAQAAIAAJ Population Trends, Issues 75–82, p.38], 1994, UK Office of Population Censuses and Surveys</ref><ref name="citizenship">[http://books.google.com/?id=2u8rD6F-yg0C&pg=PA7 Life in the United Kingdom:a journey to citizenship, p. 7], United Kingdom Home Office, 2007, ISBN 978-0-11-341313-3.</ref>。イギリス首相のウェブサイトでは、連合王国の説明として「1国内の国々」という言葉が用いられていた<ref name="page823"/>。{{仮リンク|イギリスの12のNUTS1地域|en|NUTS of the United Kingdom}}統計のような複数の統計的概要において、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドを「region」と言及している<ref>{{cite web |url=http://www.ons.gov.uk/ons/dcp171778_346117.xml |title=Statistical bulletin:Regional Labour Market Statistics |accessdate=5 March 2014 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141224045523/http://www.ons.gov.uk/ons/dcp171778_346117.xml |archivedate=2014年12月24日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.gmb.org.uk/newsroom/fall-in-earnings-value-during-recession |title=13.4% Fall In Earnings Value During Recession |accessdate=5 March 2014}}</ref>。北アイルランドは「province」とも言及される<ref name="alphabeticalNI"/><ref name="placeApart">{{cite book |author=Murphy, Dervla |title=A Place Apart |year=1979 |publisher=Penguin |place=London |isbn=978-0-14-005030-1}}</ref>。北アイルランドに関しては、記述名の使用が「多くの場合、個人の政治的選好を明らかにする選択で議論の的になり得る」<ref>{{Cite book |last1=Whyte |first1=John |authorlink1=w:John Henry Whyte |last2=FitzGerald |first2=Garret|authorlink2=w:Garret FitzGerald|year=1991 |title=Interpreting Northern Ireland |location=Oxford |publisher=Clarendon Press |isbn=978-0-19-827380-6}}</ref>。

英語では「Britain」という言葉は、連合王国の同義語として頻繁に用いられる。一方、「Great Britain」という言葉は、連合王国全体の緩い同義語として用いられる場合もあるが<ref>{{cite web |url=http://www.merriam-webster.com/dictionary/great%20britain |title=Merriam-Webster Dictionary Online Definition of '&#39;Great Britain'&#39;|publisher=[[:en:Merriam Webster|Merriam Webster]] |date=31 August 2012 |accessdate=9 April 2013}}</ref><ref>[[:en:New Oxford American Dictionary|New Oxford American Dictionary]]:"Great Britain:England, Wales, and Scotland considered as a unit. The name is also often used loosely to refer to the United Kingdom."</ref>、本来はイングランド、スコットランドおよびウェールズを指すものであり、北アイルランドを含む(すなわち、イギリス全体を指す)場合には用いるべきでないとされる<ref>{{cite news |url=http://www.guardian.co.uk/styleguide/page/0,,184840,00.html |title=Guardian Unlimited Style Guide |publisher=Guardian News and Media Limited |accessdate=23 August 2011 |location=London |date=19 December 2008}}</ref><ref>{{cite news |url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/programmes/radio_newsroom/1099593.stm#g|title=BBC style guide (Great Britain)|accessdate=23 August 2011 |work=BBC News|date=19 August 2002}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.direct.gov.uk/en/Governmentcitizensandrights/LivingintheUK/DG_10012517 |title=Key facts about the United Kingdom|archiveurl=http://webarchive.nationalarchives.gov.uk/20121015000000/http://www.direct.gov.uk/en/Governmentcitizensandrights/LivingintheUK/DG_10012517|archivedate=3 November 2012 |accessdate=8 March 2015 |work=Government, citizens and rights |publisher=HM Government}}</ref>。

"GB"及び"GBR"は、イギリスの[[国際標準化機構|標準]]国名コード ([[ISO 3166-2:GB|ISO 3166-2]]及び[[:en:ISO 3166-1 alpha-3|ISO 3166-1 alpha-3]]を参照) であり、その結果として国際機関がイギリスに言及する際に用いられることがある。さらに、イギリスのオリンピックチームは「Great Britain」もしくは「[[Team GB]]」の名称を用いる<ref>{{cite web |title=Great Britain |url=http://www.olympic.org/great-britain |publisher=International Olympic Committee |accessdate=10 May 2011}}</ref><ref>{{cite news|last1=Mulgrew|first1=John|title=Team GB Olympic name row still simmering in Northern Ireland|url=http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/northern-ireland/team-gb-olympic-name-row-still-simmering-in-northern-ireland-28776939.html|accessdate=9 March 2015|work=Belfast Telegraph|date=2 August 2012}}</ref>。

形容詞の「British」は、イギリスに関する事項への言及によく用いられる。「British」に明白な法的含意はないが、イギリスの市民権及び[[:en:British nationality law|国籍に関する事項]]への言及に法律上用いられる<ref name="Bradley">{{cite book |url=http://books.google.com/?id=HT_GS2zgN5QC&pg=PA36 |title=Constitutional and administrative law |volume=1 |page=36 |author=Bradley, Anthony Wilfred |author2=Ewing, Keith D. |edition=14th |publisher=Pearson Longman |location=Harlow |year=2007 |isbn=978-1-4058-1207-8}}</ref>。イギリスの国民は、自らの国民性を表現するのに多数の異なる用語を用い、自らを[[イギリス人]]であるか、[[イングランド人]]、[[スコットランド人]]、[[ウェールズ人]]、[[:en:People of Northern Ireland|北アイルランド人]]、[[アイルランド人]]<ref>{{cite web |url=http://www.ark.ac.uk/nilt/2010/Community_Relations/NINATID.html |title=Which of these best describes the way you think of yourself? |year=2010 |work=Northern Ireland Life and Times Survey 2010 |publisher=ARK&nbsp;– Access Research Knowledge |accessdate=1 July 2010}}</ref>であるか、またはその両方であると見なし得る<ref>{{cite book |url=http://books.google.com/?id=u8gZklxHTMUC&pg=PA275 |title=Regionalism after regionalisation:Spain, France and the United Kingdom |pages=275–277 |author=Schrijver, Frans |publisher=Amsterdam University Press |year=2006 |isbn=978-90-5629-428-1}}</ref>。

2006年、{{仮リンク|イギリスのパスポート|en|British passport}}に新デザインが導入された。新パスポートの1ページ目には、[[英語]]、[[ウェールズ語]]、[[スコットランド・ゲール語]]で正式国名が記載されている<ref>{{cite news|url=http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2010/dec/11/ian-jack-saddened-by-scotland-going-gaelic |location=London |work=The Guardian |first=Ian |last=Jack |title=Why I'm saddened by Scotland going Gaelic |date=11 December 2010}}</ref>。ウェールズ語での正式国名は"Teyrnas Unedig Prydain Fawr a Gogledd Iwerddon"であり、政府のウェブサイト上での略名は"Teyrnas Unedig"であるが<ref>{{cite web|url=http://www.direct.gov.uk/cy/Governmentcitizensandrights/LivingintheUK/DG_10012517CY|title=Ffeithiau allweddol am y Deyrnas Unedig|publisher=Directgov&nbsp;– Llywodraeth, dinasyddion a hawliau]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120924102112/http://www.direct.gov.uk/cy/Governmentcitizensandrights/LivingintheUK/DG_10012517CY|archivedate=2012年9月24日|accessdate=8 March 2015}}</ref>、通常は語形変化した形"Y Deyrnas Unedig"から"DU"と略される。スコットランド・ゲール語での正式国名は"Rìoghachd Aonaichte Bhreatainn is Èireann a Tuath"であり、略名は"Rìoghachd Aonaichte"である。

==歴史==
{{ブリテンの歴史}}
{{main|イギリスの歴史}}
[[ファイル:Descriptio Prime Tabulae Europae.jpg|thumb|left|[[クラウディオス・プトレマイオス|プトレマイオス]]の『[[地理学 (プトレマイオス)|地理学]]』に基づく地図、アルビオンと[[:en:Hibernia|ヒベルニア]](現在のアイルランド)の文字が見える]]
[[ファイル:Lenepveu, Jeanne d'Arc au siège d'Orléans.jpg|thumb|left|[[ジャンヌ・ダルク]]]]
{{Clear}}

古代のグレートブリテン島は[[アルビオン]]と呼ばれた。ラテン語起源で、ドーバーの白い崖に由来するとされる。

1066年に[[ノルマンディー公]]であった[[ウィリアム1世 (イングランド王)|ウィリアム征服王]] (William the Conqueror) が[[ノルマン・コンクエスト|イングランドを征服]]し、大陸の進んだ[[封建制]]を導入して、[[王国]]の体制を整えていった。人口と[[経済力]]に勝るイングランドがウェールズとスコットランドを圧倒していった。

13世紀、[[第一次バロン戦争]]・[[第二次バロン戦争]]で[[フランス]]に政治を左右された。1282年にウェールズ地方にもイングランドの州制度がしかれた。14-15世紀にわたりフランスと[[百年戦争]]を展開したが、1373年に[[英葡永久同盟]]を結んだ。

[[ばら戦争]]を勝ち抜いた[[ランカスター朝]]は[[閨閥]]にバイエルン公でホラント伯の[[ヴィルヘルム1世 (バイエルン公)|ヴィルヘルム1世]]を迎えた。1497年、[[ジョン・カボット]]が北米海岸を発見した。1514年、[[検閲]]できない外国商人飛脚が設立された。1534年、[[国王至上法]]が出た。1536年及び1543年の[[:en:Laws in Wales Acts 1535 and 1542|統一法]]の下、スコットランドを正式に併合した({{仮リンク|ウェールズ法諸法|en|Laws in Wales Acts 1535–1542}})。1559年、キリスト教が[[イングランド国教会]]統一された。1562年フランスで[[ユグノー戦争]]が起こってユグノーが移ってきた。亡命者トレンチ家はイギリスで[[:en:Earl of Clancarty|クランカートリー伯]]となった<ref>Samuel Smiles, ''The Huguenots:Their Settlements, Churches, and Industries in England and Ireland'', Genealogical Publishing Com, 1868, pp.313-314.</ref>。1588年、[[アルマダの海戦]]でカトリック勢力を破った。1598年、[[ハンザ同盟]]の在ロンドン基地を閉鎖した。

[[ファイル:London.bankofengland.arp.jpg|thumb|[[イングランド銀行]]]]
1600年[[イギリス東インド会社]]ができた。1603年にイングランドとスコットランドが[[同君連合]]を形成した。そして[[ヘンリー・ハドソン]]や[[ウィリアム・バフィン]]が北米探検に活躍した。1620年、[[ピルグリム・ファーザーズ]]が北米に上陸し、またフランスでユグノーが反乱しだした。1628年に[[権利の請願]]がなされ、翌年に[[リシュリュー]]がユグノーと和解した。1639-1640年、スコットランド王国に国教会を強制しようとイングランドは二度の司教戦争を挑むが共に敗れてしまった。そして矛先をアイルランド王国へ変えて、[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]、[[オリバー・クロムウェル]]、[[ウィリアム3世 (イングランド王)|ウィリアム3世]]の3人が17世紀末まで苛め抜いた。ウィレム3世は[[ルイ14世]]に迫害されたユグノーに支えられ、1694年[[イングランド銀行]]を設立した。1702年、ユグノーだった[[:en:Matthew Decker|マシュー・デッカー]]がロンドンへ来た。1704年にジブラルタルを占領し、[[カトリック]]勢力を地中海に封じた。1707年の合同法で、イングランドとスコットランドは合邦しグレートブリテン王国となった。[[ピューリタン]]とユグノーが商売敵のカトリックに対し統一戦線を組み上げたのである。[[イギリス帝国]]の手が届く世界各地で、宗教と経済が不可分にからみあった紛争が続いた。植民地の争奪戦だけでなく、[[ロシア帝国]]とアメリカ合衆国で利権を工作するときも彼らは常に優位であった。繊維業における[[産業革命]]は、綿花を輸出する[[アメリカ合衆国]]へ通貨を独占的に供給した。

[[ファイル:Battle of Waterloo 1815.PNG|thumb|ユグノーから[[:en:Baron Northwick|ノースウィック男爵]]が出た頃、イギリスは[[対仏大同盟]]の主役であった。連合国が[[ワーテルローの戦い]]で勝利し、[[ナポレオン戦争]]が終息した。こうして[[パクス・ブリタニカ]]の時代が到来した。]]
1801年の合同法でアイルランド王国と合邦し、グレートブリテン及びアイルランド連合王国となった<ref>アイルランドにもユグノーが地位を占めていた。[[:en:Baron Rendlesham|レンドルシャム男爵]]など。</ref>。しかし[[アイルランド共和軍]]は健在である。統一戦線としては、[[ジョージ4世 (イギリス王)|ジョージ4世]]の家柄・勲章、[[フリーメーソン]]加入、すべてが戦利品であった。フランス王が再びカトリックを強制することはないだろうし、もはや[[神聖ローマ帝国]]もなくなっていた。[[ベルギー]]を独立させ、[[阿片戦争]]に勝利し、統一戦線は鉄道・通信の独占に注力した。しかし統一戦線は事をやりすぎる癖があった。[[ルイ16世]]には忌まわしき[[フォンテーヌブローの勅令]]を破棄させれば十分であったが、[[フランス革命]]が[[ナポレオン]]を台頭させて神聖ローマだけでなく統一戦線まで脅かした。支援した[[プロイセン王国]]がロシアと組んで[[オスマン帝国]]を攻撃するのも都合がよかった。しかし[[普墺戦争]]で[[キール運河]]の利権をとられそうになったり、[[普仏戦争]]で南ドイツ連邦が水の泡となったり、[[オスマン債務管理局]]の利権を[[ドイツ帝国]]に奪われたりして、ベルギーの統一戦線は飼い犬に手を噛まれた気持ちになった。

「[[栄光ある孤立]]」と謳われた外交方針は[[エドワード7世 (イギリス王)|エドワード7世]]のときに放棄された。[[1902年]]には[[日本]]とも[[日英同盟]]を締結した。彼らはドイツを[[第一次世界大戦]]で敵対国として敗戦後の[[ヴァイマル共和政]]に対して多額の賠償金による債務奴隷にした。しかし、アメリカ合衆国に対する影響力でイギリスはドイツにひけをとった。1926年には[[バルフォア報告書]]が提出された。イギリスは[[ラザード]]を支配したが、[[太平洋]]は支配できなかった。[[ウィンザー朝]]の[[ジョージ5世 (イギリス王)|ジョージ5世]]による治世、[[デビッド・ロイド・ジョージ]]政権下の[[1922年]]に[[英愛条約]]が発効され、北部6州(北アイルランド;アルスター9州の中の6州)を除く26州がアイルランド自由国(現[[アイルランド|アイルランド共和国]])として独立し、[[1927年]]に現在の名称「'''グレートブリテン及び北アイルランド連合王国'''」へと改名した。なお、カントリーの一つであるスコットランドが独立すべきかどうかを問う住民投票が2014年9月に実施されたが独立は否決された<ref>{{cite web|url=http://www.cnn.co.jp/world/35023094.html|title=スコットランド独立の是非を問う住民投票実施へ 英国|author=CNN.co.jp|accessdate=2012-10-16}}</ref>。1925年受託者法([[:en:Trustee Act 1925|Trustee Act 1925]])の第61条は、裁判所に、公生かつ合理的に行動し、免責されるのが当然である受託者を、信託違反の責任から免除する権限を与えた<ref>Trustee Act, 1925. Article 61. "If it appears to the court that a trustee, whether appointed by the court or otherwise, is or may be personally liable for any breach of trust, whether the transaction alleged to be a breach of trust occurred before or after the commencement of this Act, but has acted honestly and reasonably, and ought fairly to be excused for the breach of trust and for ommitting to obtain the directions of the court in the matter in which he committed such breach, then the court may reliave him either wholly or partly from personal liability for the same."</ref><ref>1958年信託変更法([[:en:Variation of Trusts Act 1958|Variation of Trusts Act 1958]])は、信託を変更し、かつ受益者の利益のために信託財産を処理することを認可する広い権限を、裁判所に与えている。</ref>。この立法をなした[[イギリス議会]]は、[[世界恐慌]]が[[投資信託]]を通し大衆化した歴史にある程度の責任がある。イギリス投資信託全体の資産構成に占める下位証券の割合は、1933年で36.2%、1935年で42.0%、1938年で53.5%に上昇していった<ref>[[証券取引委員会]] ''Investment Trusts and Investment Companes'', Part 2, 連邦政府出版局 1939年 52頁;H.Burton and D.C.Corner, ''Investment and Unit Trusts in britain and America'', Elek Book, London, 1968, p.68.</ref>。

[[1939年]]の[[アドルフ・ヒトラー]]総統の[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ党]]率いる[[ナチス・ドイツ]]が[[ポーランド]]に侵攻し、[[フランス]]とともに宣戦布告を行い、[[バトル・オブ・ブリテン]]をはじめ[[西部戦線 (第二次世界大戦)|ヨーロッパ戦線]]では対独伊戦争、[[太平洋戦争|太平洋戦線]]では対日戦争を経験し、アメリカ合衆国の[[民主党 (アメリカ)|民主党]][[フランクリン・ルーズベルト]]大統領と[[大西洋憲章]]を共同で提唱した保守党の[[ウィンストン・チャーチル]]政権による[[挙国一致内閣]]の下に勝利を得た[[第二次世界大戦]]後、[[イギリス軍]]はドイツの[[ハンブルク]]や[[ハノーファー]]を占領し、旧[[西ドイツ]]の形成の一役を担った。アメリカ合衆国は旧南ドイツ連邦と[[オーストリア]]西部を占領した。アメリカ合衆国の占領地域は[[オランダ]]と歴史がつながっており、[[戦間期]]にまして欧州東西の資本が錯綜した。

イギリスは、[[1945年]]の[[冷戦]]開始以降にかけて政治経済その他多くの面でアメリカ合衆国に覇権を譲った。また、[[資本主義]]・[[自由主義]]陣営の[[西側諸国]]の一国として[[ソビエト連邦]]とは敵対しながら、政治面では[[労働党 (イギリス)|労働党]]の[[クレメント・アトリー]]政権が「'''[[ゆりかごから墓場まで]]'''」をスローガンに[[福祉国家]]を作り上げた。経済面ではイングランド銀行が[[ブレトンウッズ協定|ブレトンウッズ体制]]をめぐる駆け引きに競り負け、1960年代のポンド危機と1970年代のセカンダリー・バンキング危機に遭い、「[[英国病]]」とまで呼ばれる[[景気後退|不景気]]に苦しんだ。産業面では戦前から[[ゼネラル・エレクトリック]]に[[産業革命]]の威光を奪われていた。アトリー失脚後は、保守党へ政権交代となりチャーチルが首相に再任する。

第二次大戦中イギリスは帝国内で最大規模の人口を誇る[[イギリス領インド帝国|インド]]に対して、ヨーロッパ、太平洋で複数の戦線を維持し、又城内平和を維持するため戦後[[インド]]の地位に対して大幅な譲歩をせざるを得なかった。イギリス政府は1947年にインド独立法を承認し、[[印パ分離独立|インドとパキスタンの独立]]を、翌[[1948年]]にはセイロン([[スリランカ]])の独立を承認した。又大戦中に日本の支配下にあったビルマ、マレーでもイギリス支配下に復することに混乱が見られ、[[1948年]]に[[ビルマ]](ミャンマー)の[[1957年]]に[[マレーシア]]の独立を承認した。

[[1960年代]]に入るとフランス領西アフリカの独立要求を期に[[アフリカ]]諸国の独立運動が活発化し、[[1960年]]に[[ナイジェリア]]が、[[1962年]]に[[ウガンダ]]が、[[1963年]]に[[ケニア]]が、[[1964年]]に[[マラウイ]]と[[ザンビア]]がイギリスから独立を宣言した。又[[1961年]]に[[南アフリカ共和国|南アフリカ]]が、[[1966年]]に[[ローデシア]]が[[アパルトヘイト]]維持のためイギリスからの独立を宣言した。

[[1956年]]には[[エジプト]]が[[スエズ運河]]の国有化を宣言し、同地帯を占領したためイギリス、フランス、[[イスラエル]]との間で戦闘が勃発した。これが[[第二次中東戦争]](スエズ危機)である。英仏は国際世論の支持を得られなかったためスエズから撤退し、[[地中海]]と[[紅海]]を結ぶスエズ運河の利権を喪失した。またエジプトの行動に励まされて中東地域でも独立運動が刺激され、[[1971年]]に[[バーレーン]]、[[カタール]]、[[アラブ首長国連邦]]がイギリスから独立した。

残る最大のイギリス植民地は[[香港]]だけになったが、これも1984年にマーガレット・サッチャー首相と[[トウ小平|鄧小平]][[中華人民共和国]]中央軍事委員会主席の間で行われた英中首脳会談で新界の租借期限が切れる1997年に割譲地も含めて一斉に中国に返還されることになった。[[香港返還|香港を返還]]したことで、イギリスは主要な植民地のほぼ全てを喪失することになり、世界の7つの海を跨いだ[[イギリス帝国]]は消滅していった。

[[1964年]]には[[ハロルド・ウィルソン]]が首相に就任し、アトリー以来13年ぶりに労働党が政権に復帰する。[[1969年]]に[[イングランド]]、[[ウェールズ]]、 [[スコットランド]]、[[1973年]]に[[北アイルランド]]で死刑制度が一部例外を除き廃止された。また、ウィルソン労働党政権下で、[[妊娠中絶]]の合法化、[[死刑]]制度の廃止及び[[同性愛]]の非刑罰化([[ソドミー法]]の廃止)を含む社会的改革がなされ、通貨[[スターリング・ポンド|ポンド]]の平価切り下げや、日本の[[放送大学]]の模倣ともなった[[大学通信教育|通信制公立大学]]である[[オープン大学]]の設置などの政策が実施された。

1980年代に成立した[[保守党 (イギリス)|保守党]]の[[マーガレット・サッチャー]]政権は、[[新自由主義]]による[[構造改革]]([[ネオリベラリズム]]・[[サッチャリズム]]に基づく[[民営化]]・[[行政改革]]・[[規制緩和]])を急進させて([[小さな政府]]志向・[[自由主義国家論]])、多くの[[失業]]者を出した。地方経済は不振を極め、ロンドンを中心に[[金融]]産業などが成長した。

1990年代、政権は保守党の[[ジョン・メージャー]]から労働党の[[トニー・ブレア]]に交代し、イギリスは[[市場]]化一辺倒の[[政策]]を修正しつつかつての重厚な福祉国家にも逆戻りしない「[[第三の道]]」への路線に進むことになった。また、[[1998年]]人権法を制定し、[[死刑]]制度が完全に廃止された。この頃からイギリスは久しぶりの好況に沸き、「老大国」のイメージを払拭すべく「'''[[クール・ブリタニア]]'''」と呼ばれるイメージ戦略・[[文化政策]]に力が入れられるようになった。

2000年代〜2010年代、[[21世紀]]に突入し、労働党の[[ゴードン・ブラウン]]、保守党の[[デーヴィッド・キャメロン]]と政権が続く。

[[2014年]]からは、[[同性結婚]]が合法化された。

[[2016年]][[6月23日]]に[[イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票]]が実施されその結果、僅差をもって離脱賛成派が過半数を占めたため、[[イギリスの欧州連合離脱]](通称:ブレグジット、Brexit)が決定された。

これを受けて、キャメロン首相兼保守党党首が責任を取る形で辞任を表明し、[[テリーザ・メイ]]が、サッチャーに続く2人目のイギリスの女性首相兼保守党党首として2016年[[7月13日]]に就任した。メイ政権は、新たに[[欧州連合離脱省]]を設置した。

結果として、[[2020年]][[1月31日]]午後11時([[グリニッジ標準時|GMT]])にイギリスは[[欧州連合]](EU)から脱退した<ref>{{Cite web|url=https://mainichi.jp/articles/20200201/k00/00m/030/008000c|title=英国がEU離脱 加盟国の離脱は初|publisher=毎日新聞|date=2020-02-01|accessdate=2020-02-01}}</ref>。

==地理==
{{main|イギリスの地理}}
[[ファイル:Uk topo en.jpg|thumb|200px|イギリスの地形図]]
[[ファイル:BenNevis2005.jpg|thumb|[[ブリテン諸島]]最高峰の[[ベン・ネビス山]]]]
イギリスはグレートブリテン島のイングランド、ウェールズ、スコットランド、およびアイルランド島北東部の北アイルランドで構成されている。この2つの大きな島と、その周囲大小の島々を[[ブリテン諸島]]と呼ぶ。グレートブリテン島は中部から南部を占めるイングランド、北部のスコットランド、西部のウェールズに大別される。アイルランド島から北アイルランドを除いた地域はアイルランド共和国がある。

北アイルランドとアイルランド共和国の国境の他に、イギリスは[[大西洋]]に囲まれ、東に[[北海]]、南に[[イギリス海峡]]がある。[[アイリッシュ海]]は、グレートブリテン島とアイルランド島の間に位置する。イギリスの総面積は243,610km<sup>2</sup>であり、[[国の面積順リスト|世界第78位]]及び[[:en:List of European countries by area|ヨーロッパ第11位]]。

イングランドの大部分は<!--rolling lowland terrain-->岩の多い低地からなり、北西の山がちな地域([[湖水地方]]のカンブリア山脈)、北部(ペニンネスの湿地帯、ピーク・ディストリクトの[[石灰岩]]丘陵地帯、デールと呼ばれる渓谷、[[パーベック島]]、[[リンカンシャー]]の石灰岩質の丘陵地帯)から南イングランドの泥炭質のノース・ダウンズ、サウス・ダウンズ、チルターンにいたる。イングランドを流れる主な河川は、[[テムズ川]]、[[セヴァーン川]]、[[トレント川]]、[[ウーズ川]]である。主な都市はロンドン、[[バーミンガム]]、[[ヨーク (イングランド)|ヨーク]]、[[ニューカッスル・アポン・タイン]]など。イングランド南部の[[ドーバー (イギリス)|ドーヴァー]]には、[[英仏海峡トンネル]]があり、対岸のフランスと連絡する。イングランドには標高 1000m を超える地点はない。

ウェールズは山がちで、最高峰は標高 1,085m の[[スノードン山]]である。本土の北に[[アングルシー島]]がある。ウェールズの首都また最大の都市は[[カーディフ]]で、南ウェールズに位置する。

スコットランドは地理的に多様で、南部および東部は比較的標高が低く、ベン・ネビス山がある北部および西部は標高が高い。ベン・ネビス山はイギリスの最高地点で標高 1343 m である。スコットランドには数多くの半島、湾、ロッホと呼ばれる湖があり、グレート・ブリテン島最大の淡水湖である[[ネス湖|ロッホ・ネス]]もスコットランドに位置する。西部また北部の海域には、[[ヘブリディーズ諸島]]、[[オークニー諸島]]、[[シェトランド諸島]]を含む大小さまざまな島が分布する。スコットランドの主要都市は首都[[エディンバラ]]、[[グラスゴー]]、[[アバディーン]]である。

北アイルランドは、アイルランド島の北東部を占め、ほとんどは丘陵地である。中央部は平野で、ほぼ中央に位置する[[ネイ湖]]はイギリス諸島最大の湖である。主要都市は[[ベルファスト]]と[[ロンドンデリー|デリー]]。

現在イギリスは大小あわせて1098ほどの島々からなる。ほとんどは自然の島だが、いくつかは[[クランノグ]]といわれる、過去の時代に石と木を骨組みに作られ、しだいに廃棄物で大きくなっていった人工の島がある。

イギリスの大半はなだらかな丘陵地及び平原で占められており、国土のおよそ90%が可住地となっている。そのため、国土面積自体は[[日本]]のおよそ3分の2([[本州]]と[[四国]]を併せた程度)であるが、[[可住地面積]]は逆に日本の倍近くに及んでいる。イギリスは[[森林]]も少なく、日本が国土の3分の2が森林で覆われているのに対し、イギリスの[[森林率]]は11%ほどである<ref>{{Cite web |url=http://yoshio-kusano.sakura.ne.jp/nakayamakouen6newpage3.html |title=中山徹奈良女子大教授の記念講演6 どうやって森を再生するかイギリスの例 |publisher=日本共産党宝塚市議 草野義雄 |accessdate=2014-5-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140512220911/http://yoshio-kusano.sakura.ne.jp/nakayamakouen6newpage3.html |archivedate=2014年5月12日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref>。

その他、{{仮リンク|領土紛争の一覧|en|List of territorial disputes|label=紛争中}}の[[フォークランド諸島]]、[[ジブラルタル]]、[[イギリス領インド洋地域|インド洋地域]]を含む[[イギリスの海外領土|14の海外領土]]を有する<ref>{{cite web |url=http://www.fco.gov.uk/en/about-us/what-we-do/overseas-territories |title=Working with Overseas Territories |publisher=[[:en:Foreign and Commonwealth Office|Foreign and Commonwealth Office]] |accessdate=3 May 2011}}</ref>。[[ガーンジー]]、[[ジャージー]]、[[マン島]]はイギリスの一部ではなく、イギリスの君主をともに君主とし、[[イギリス政府]]が防衛及び国際的表示に対して責任を負う[[イギリスの王室属領|王室属領]]である<ref>{{cite web |url=http://www.direct.gov.uk/en/Governmentcitizensandrights/LivingintheUK/DG_10012517 |title=Key facts about the United Kingdom |accessdate=3 May 2011 |publisher=[[:en:Directgov|Directgov]] |quote=The full title of this country is 'the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland'. 'The UK' is made up of England, Scotland, Wales and Northern Ireland. 'Britain' is used informally, usually meaning the United Kingdom. 'Great Britain' is made up of England, Scotland and Wales. The Channel Islands and the Isle of Man are not part of the UK. |archiveurl=http://webarchive.nationalarchives.gov.uk/20121015000000/http:/www.direct.gov.uk/en/Governmentcitizensandrights/LivingintheUK/DG_10012517 |archivedate=2012年10月15日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref>。

===主要都市===
{{Main|イギリスの都市の一覧}}
イギリスは四つの非独立国であるイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドより構成される。それぞれの国は首都を持ち、ロンドン(イングランド)、エディンバラ(スコットランド)、カーディフ(ウェールズ)、ベルファスト(北アイルランド)がそれである。中でもイングランドの首都であるロンドンは、イギリス連合王国の首都としての機能も置かれている。

イングランドの[[首都]]ロンドンは、[[ヨーロッパ]]第2の規模の都市的地域及び[[ユーロスタット]]によれば[[欧州連合]]最大の約1,400万人の人口を有する[[:en:London commuter belt|都市圏]]であり、重要な[[世界都市]]及び[[金融センター]]である<ref name="appsso.eurostat.ec.europa.eu show">{{cite web |url=http://appsso.eurostat.ec.europa.eu/nui/show.do?dataset=met_pjanaggr3&lang=en |title=Metropolitan Area Populations |publisher=Eurostat |date=30 August 2012 |accessdate=4 May 2013}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/uk.html|title=The World Factbook|date=1 February 2014|work=[[Central Intelligence Agency]]|accessdate=23 February 2014}}</ref>。

ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの首都は各々カーディフ、エディンバラ、ベルファストである。
[[ファイル:Population density UK 2011 census.png|thumb|right|人口分布(2011年)]]

{| class="infobox" style="text-align:center; width:100%; margin-right:10px; font-size:100%"
! colspan="10" style="background:#e9e9e9; padding:0.3em; line-height:1.2em;"| '''イギリスの主要都市'''
|-
!rowspan=30|
[[ファイル:2019 Greenwich Peninsula & Canary Wharf.jpg|150px]]<br /><small>[[ロンドン]]</small><br />[[ファイル:Birmingham Skyline from Edgbaston Cricket Ground crop.jpg|150px]]<br /><small>[[バーミンガム]]</small><br />
! style="text-align:center; background:#f5f5f5;"| <small>#</small>
! style="text-align:left; background:#f5f5f5;"| 都市名
! style="text-align:left; background:#f5f5f5;"| [[イギリスの地方行政区画|行政区画]]
! style="text-align:center; background:#f5f5f5;"| 人口
! style="text-align:center; background:#f5f5f5;"| <small>#</small>
! style="text-align:left; background:#f5f5f5;"| 都市名
! style="text-align:left; background:#f5f5f5;"| [[イギリスの地方行政区画|行政区画]]
! style="text-align:center; background:#f5f5f5;"| 人口
!rowspan=21|
[[ファイル:Leeds CBD at night.jpg|150px]]<br /><small>[[リーズ]]</small><br />[[ファイル:Glasgow and the Clyde from the air (geograph 4665720).jpg|150px]]<br /><small>[[グラスゴー]]</small><br />
|-
| style="background:#f0f0f0"| 1 ||align=left | '''[[ロンドン]]''' || {{ENG}} || 8,908,081人 || 11 ||align=left | '''[[コヴェントリー]]''' || {{ENG}} || 366,785人
|-
| style="background:#f0f0f0"| 2 ||align=left | '''[[バーミンガム]]''' || {{ENG}} || 1,141,374人 || 12 ||align=left | '''[[カーディフ]]''' || {{Flagicon|WAL}}[[ウェールズ]] || 362,800人
|-
| style="background:#f0f0f0"| 3 ||align=left | '''[[リーズ]]''' || {{ENG}} || 789,194人 || 13 ||align=left | '''[[ベルファスト]]''' || {{Flagicon|北アイルランド}}[[北アイルランド]] || 340,200人
|-
| style="background:#f0f0f0"| 4 ||align=left | '''[[グラスゴー]]''' || {{SCO}} || 626,410人 || 14 ||align=left | '''[[レスター]]''' || {{ENG}} || 329,839人
|-
| style="background:#f0f0f0"| 5 ||align=left | '''[[シェフィールド]]''' || {{ENG}} || 582,506人 || 15 ||align=left | '''[[ノッティンガム]]''' || {{ENG}} || 321,500人
|-
| style="background:#f0f0f0"| 6 ||align=left | '''[[マンチェスター]]''' || {{ENG}} || 547,627人 || 16 ||align=left | '''[[ニューカッスル・アポン・タイン|ニューカッスル・アポン・タイン]]''' || {{ENG}} || 300,196人
|-
| style="background:#f0f0f0"| 7 ||align=left | '''[[ブラッドフォード (イングランド)|ブラッドフォード]]''' || {{ENG}} || 537,173人 || 17 ||align=left | '''[[プリマス]]''' || {{ENG}} ||  263,100人
|-
| style="background:#f0f0f0"| 8 ||align=left | '''[[リヴァプール]]''' || {{ENG}} || 494,814人 || 18 ||align=left | '''[[ウルヴァーハンプトン]]''' || {{ENG}} || 262,008人
|-
| style="background:#f0f0f0"| 9 ||align=left | '''[[エディンバラ]]''' || {{SCO}} || 488,050人 || 19 ||align=left | '''[[キングストン・アポン・ハル|キングストン・アポン・ハル]]''' || {{ENG}} || 260,645人
|-
| style="background:#f0f0f0"| 10 ||align=left | '''[[ブリストル]]''' || {{ENG}} || 463,400人 || 20 ||align=left | '''[[ストーク=オン=トレント|ストーク・オン・トレント]]''' || {{ENG}} || 255,833人
|}
{{Clear}}
4位以下の都市人口が僅差であり順位が変わりやすい。2006年以降はロンドン、バーミンガム、リーズ、グラスゴー、シェフィールドの順となっている。

===気候===
イギリスの[[気候]]は2つの要因によって基調が定まっている。まず、[[メキシコ湾流]]に由来する暖流の北大西洋海流の影響下にあるため、北緯50度から60度という高緯度にもかかわらず温暖であること、次に中緯度の偏西風の影響を強く受けることである。以上から[[西岸海洋性気候]] (Cfb) が卓越する。[[大陸性気候]]はまったく見られず、気温の年較差は小さい。

メキシコ湾流の影響は冬季に強く現れる。特に西部において気温の低下が抑制され、気温が西岸からの距離に依存するようになる。夏季においては緯度と気温の関連が強くなり、比較的東部が高温になる。水の蒸散量が多い夏季に東部が高温になることから、年間を通じて東部が比較的乾燥し、西部が湿潤となる。

降水量の傾向もメキシコ湾流の影響を受けている。東部においては、降水量は一年を通じて平均しており、かつ、一日当たりの降水量が少ない。冬季、特に風速が観測できない日には霧が発生しやすい。この傾向が強く当てはまる都市としてロンドンが挙げられる。西部においては降水量が2500mmを超えることがある。

首都ロンドンの年平均気温は12.8度、1月の平均気温は6.7度、7月の平均気温は19.5度<ref>[https://www.weatheronline.co.uk/weather/maps/city?FMM=1&FYY=2001&LMM=12&LYY=2017&WMO=03779&CONT=ukuk&REGION=0003&LAND=UK&ART=TEM&R=0&NOREGION=1&LEVEL=162&LANG=en&MOD=tab London Weather Center 2001年1月から2017年12月までの平均]</ref>、年平均降水量は750.6mmとなっている。

==政治==
[[ファイル:Palace of Westminster, London - Feb 2007.jpg|thumb|[[イギリスの議会|英国議会]]が議事堂として使用する[[ウェストミンスター宮殿]]]]
{{main|イギリスの政治|イギリスの憲法|英国法|英米法}}
[[政体]]は、イギリスの君主を[[元首]]に戴く[[立憲君主制]]であり、内閣が議会の信任に基づいて存在する[[議院内閣制]]を採用する<ref>[http://www.royal.gov.uk/MonarchUK/HowtheMonarchyworks/Whatisconstitutionalmonarchy.aspx The British Monarchy, ''What is constitutional monarchy?'']. Retrieved 17 July 2013</ref><ref>[https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/uk.html CIA, ''The World Factbook'']. Retrieved 17 July 2013</ref>。
===元首===
{{現在のイギリスの君主}}
1952年{{0}}2月{{0}}6日以降のイギリス女王(君主)は、[[ウィンザー朝]]第4代君主・[[エリザベス2世]]である。

===法===
[[イギリスの憲法]]は一つに成典化されていない[[不文憲法]]であり、[[制定法]](議会制定法だけでなく[[マグナ・カルタ]]のような国王と貴族の契約も含む)や[[判例法]]、歴史的文書及び[[慣習法]](憲法的習律と呼ばれる)などが憲法を構成している。これらは他の法律と同様に議会で修正可能なため、[[軟性憲法]]であると言える(ただし、伝統的に憲法を構成する法律については簡単に改正されることはない)。憲法を構成する慣習法の一つに「'''国王は君臨すれども統治せず'''」とあり、女王(国王)の権能は極めて儀礼的である。

このように、世界でも最も早い段階から立憲君主制と[[法の支配]]を採用し、また[[立法権]]優位の[[議会主権|議会主義]]が発達しており、[[議院内閣制]]([[ウェストミンスター・システム]])や[[政党制]]([[複数政党制]])など、現代の多くの国家が採用している[[民主主義]]の諸制度が発祥した国である。

===内政===
[[立法権]]は[[イギリスの議会|議会]]に、[[行政権]]は首相及び[[内閣 (イギリス)|内閣]]に、[[司法権]]は[[イギリス最高裁判所]]及び以下の下級[[裁判所]]によって行使される。

イギリスの議会は、上院([[貴族院 (イギリス)|貴族院]])と下院([[庶民院 (イギリス)|庶民院]])の[[二院制]]である。1911年に制定された[[議会法]](憲法の構成要素の一つ)により、「下院の優越」が定められている。議院内閣制に基づき、行政の長である首相は憲法的習律に従って下院第一党党首(下院議員)を国王が任命、閣僚は議会上下両院の議員から選出される。下院は単純[[小選挙区制]]による[[直接選挙]]([[普通選挙]])で選ばれるが、上院は非公選であり任命制である。近年、従来[[右派]]の保守党と[[左派]]の労働党により[[二大政党制]]化して来たが、近年では第三勢力の[[自由民主党 (イギリス)|自由民主党]](旧[[自由党 (イギリス)|自由党]]の継承政党)の勢力も拡大している。

ウェールズ、スコットランド、北アイルランドは各々異なる{{仮リンク|権限委譲 (イギリス)|en|Devolution in the United Kingdom|label=権限を委譲された}}政権を有しており<ref name="devoladmins">{{cite web|url=https://www.gov.uk/devolution-of-powers-to-scotland-wales-and-northern-ireland#devolved-administrations|title=Devolution of powers to Scotland, Wales, and Northern Ireland|publisher=United Kingdom Government|accessdate=17 April 2013|quote=In a similar way to how the government is formed from members from the two Houses of Parliament, members of the devolved legislatures nominate ministers from among themselves to comprise an executive, known as the devolved administrations...}}</ref><ref>{{cite news |url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/education/7859034.stm |title=Fall in UK university students |work=BBC News |date=29 January 2009}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.transport-research.info/web/countryprofiles/uk.cfm |title=Country Overviews:United Kingdom |publisher=Transport Research Knowledge Centre |accessdate=28 March 2010 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100404062853/http://www.transport-research.info/web/countryprofiles/uk.cfm |archivedate=2010年4月4日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref>、1996年に[[北アイルランド議会]]、1999年には[[スコットランド議会]]と[[ウェールズ議会]]が設置され、自治が始まった。スコットランドには主に[[スコットランド国民党]]による[[スコットランド独立運動]]が存在し、北アイルランドには20世紀から続く[[北アイルランド問題]]も存在する。
2016年{{0}}6月[[イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票|欧州連合からの離脱を問う国民投票]]で賛成多数となり、1973年のEEC加盟以来の大陸との一体化が幕を閉じた([[ブレグジット]])。これを受けてキャメロン首相からメイ首相へ交代した。現任の首相は[[ボリス・ジョンソン]]。

===地方行政区分===
[[ファイル:Scotland Parliament Holyrood.jpg|thumb|[[スコットランド議会]]議事堂]]
{{main|イギリスの地方行政区画}}

連合王国の地方行政制度は次の各地方によって異なっている。
*{{Flag|ENG}}
*{{Flag|SCO}}
*{{Flag|WAL}}
*[[北アイルランド]]
このほか、連合王国には含まれないものの、連合王国がその国際関係について責任を負う地域として、海外領土および[[王室属領]]が存在する。

===外交・軍事===
[[ファイル:Donald Trump and Theresa May (33998675310) (cropped).jpg|thumb|left|[[2017年]][[1月27日]]、就任直後の[[ドナルド・トランプ]]米大統領(右)と[[ホワイトハウス]]で会談する[[テリーザ・メイ]]元英首相(左)]]
{{Main|イギリスの国際関係|イギリス軍}}
イギリスは19世紀から20世紀前半までの間、世界最高位の[[大国]]であった<ref>{{cite book |title=The First Industrial Nation:the Economic History of Britain, 1700–1914 |publisher=Routledge |location=London |author=Mathias, P. |year=2001 |isbn=0-415-26672-6}}</ref><ref name="ferguson">{{cite book |last=Ferguson |first=Niall |year=2004 |title=Empire:The rise and demise of the British world order and the lessons for global power |publisher=Basic Books |location=New York |isbn=0-465-02328-2}}</ref>。現在も[[列強]]であり続け、経済、文化、軍事、科学、政治で国際的な[[勢力圏|影響力を有する]]<ref>{{cite news |url=http://www.theaustralian.com.au/news/opinion/cameron-has-chance-to-make-uk-great-again/story-e6frg6zo-1225866975992 |author=Sheridan, Greg |title=Cameron has chance to make UK great again |accessdate=23 May 2011 |work=The Australian |location=Sydney |date=15 May 2010}}</ref><ref>{{cite news |url=http://www.independent.co.uk/news/uk/home-news/britain-is-now-most-powerful-nation-on-earth-8326452.html |author=Dugan, Emily |title=Britain is now most powerful nation on earth |accessdate=18 November 2012 |work=The Independent |location=London |date=18 November 2012}}</ref><ref name="David M. McCourt">{{cite book|last=McCourt|first=David|title=Britain and World Power Since 1945:Constructing a Nation's Role in International Politics|publisher=University of Michigan Press|year=28 May 2014|location=United States of America|pages=|isbn=0472072218|url=http://books.google.ie/books?id=lwpOnwEACAAJ&dq=Britain+and+World+Power+Since+1945:+Constructing+a+Nation%27s+Role+in+International+Politics&hl=en&sa=X&ei=TCJkU8TOE6mS7Abw14HIBg&ved=0CDIQ6AEwAA}}</ref>。

[[戦間期]]の[[国際連盟]]時代と同様、1946年の第1回[[国際連合安全保障理事会]]以来、同国は同理事会[[国際連合安全保障理事会常任理事国|常任理事国]]であり、[[G7]][[主要国首脳会議|G8]]、[[G20]]、[[北大西洋条約機構|NATO]]、[[欧州評議会]]、[[経済協力開発機構|OECD]] 、[[世界貿易機関|WTO]]の加盟国となっている。そして、アメリカ合衆国と歴史的に「'''特別な関係'''(Special relationship)」を持つ。アメリカ合衆国とヨーロッパ以外にも、1920年代までは日本と[[日英同盟]]を結んでいた友好同盟国であったため、[[大正]]時代の[[大日本帝国海軍]](現在の[[海上自衛隊]])は[[イギリス海軍]]の伝統に多大な影響を受けながら発展した。イギリスと密接な同盟国は、[[イギリス連邦|連邦国]]と他の[[英語圏]]の国家を含む。イギリスの世界的な存在と影響は、各国との相補関係と軍事力を通して拡大されている。それは、世界中で約80の軍事基地の設置と軍の配備を維持していることにも現れている<ref>{{cite web|url=http://www.globalpowereurope.eu/|title=Global Power Europe|publisher=Globalpowereurope.eu|language=英語|accessdate=2008-10-17}}</ref>。2011年の軍事支出は627億ドルと一定水準を保っている。

[[ファイル:Soldiers Trooping the Colour, 16th June 2007.jpg|thumb|軍旗分列行進式における[[近衛兵 (イギリス)|近衛兵]]]]
イギリスの[[軍隊]]は「イギリス軍」<ref>{{lang-en-short|British Armed Forces}}</ref>または「陛下の軍」<ref>{{lang-en-short|His/Her Majesty's Armed Forces}}</ref>として知られている。しかし、公式の場では「アームド・フォーシーズ・オブ・ザ・クラウン」<!-- 慣例がないため未翻訳 --><ref>{{lang-en-short|Armed Forces of the Crown}}</ref>と呼ばれる<ref>{{Cite web|url=http://www.raf.mod.uk/legalservices/p3chp29.htm|title=Armed Forces Act 1976, Arrangement of Sections|publisher=raf.mod.uk|language=英語|accessdate=2009-02-22|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090221072352/http://www.raf.mod.uk/legalservices/p3chp29.htm|archivedate=2009年2月21日|deadlinkdate=2018年3月}}</ref>(クラウンは冠、王冠の意)。全軍の最高司令官はイギリスの君主であるが、それはあくまで名目上に過ぎず、首相が事実上の指揮権を有している。軍の日常的な管理は[[国防省 (イギリス)|国防省]]に設置されている[[国防委員会]]によって行われている。

イギリスの軍隊は各国の軍隊に比べて広範囲にわたる活動を行い、世界的な[[戦力投射]]能力を有する軍事大国の1つに数えられ、国防省によると[[軍事費]]は世界2位である。2008年現在、軍事費はGDPの2.5%を占めている<ref>{{Cite web|url=http://www.mod.uk/DefenceInternet/AboutDefence/Organisation/KeyFactsAboutDefence/DefenceSpending.htm|title=Defence Spending|publisher={{lang|en|Ministry of Defence}}|language=英語|accessdate=2008-01-06 }}</ref>。イギリス軍はイギリス本国と海外の領土を防衛しつつ、世界的なイギリスの将来的国益を保護し、国際的な平和維持活動の支援を任ぜられている。

2005年の時点で[[イギリス陸軍|陸軍]]は102,440名、[[イギリス空軍|空軍]]は49,210名、海軍([[イギリス海兵隊|海兵隊]]を含む)は36,320名の兵員から構成されており、イギリス軍の190,000名が現役軍人として80か国以上の国に展開、配置されている<ref>{{lang-en-short|Ministry of Defence}}「{{PDFlink|[http://www.mod.uk/NR/rdonlyres/6FBA7459-7407-4B85-AA47-7063F1F22461/0/modara_0405_s1_resources.pdf Annual Reports and Accounts 2004-05]|1.60&nbsp;MB}}」2006-05-14 閲覧。{{En icon}}</ref>。

イギリスは[[核兵器]]の保有を認められている5カ国の1つであり、{{仮リンク|国別軍事費の一覧|en|List of countries by military expenditures|label=軍事費は世界第5位又は第6位}}である<ref name="SIPRI">{{cite web |url=http://books.sipri.org/product_info?c_product_id=476 |title=The 15 countries with the highest military expenditure in 2013 (table) |publisher=[[:en:Stockholm International Peace Research Institute|Stockholm International Peace Research Institute]] |format=PDF |accessdate=4 May 2014 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150104033821/http://books.sipri.org/product_info?c_product_id=476 |archivedate=2015年1月4日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref><ref name="iiss.org">[http://www.iiss.org/en/about%20us/press%20room/press%20releases/press%20releases/archive/2014-dd03/february-0abc/military-balance-2014-press-statement-52d7 The Military Balance 2014:Top 15 Defence Budgets 2013] (IISS)</ref>。[[核弾頭]]搭載の[[トライデント (ミサイル)|トライデント II]] [[潜水艦発射弾道ミサイル]] (SLBM) を運用している。イギリス海軍は、トライデント IIを搭載した[[原子力潜水艦]]4隻で[[核抑止]]力の任務に担っている。
{{See also|イギリスの大量破壊兵器}}

イギリス軍の幅広い活動能力にも関わらず、最近の国事的な国防政策でも協同作戦時に最も過酷な任務を引き受けることを想定している<ref>{{lang|en|Office for National Statistics}}、{{lang|en|UK 2005:The Official Yearbook of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland}}、p. 89 {{En icon}}</ref>。イギリス軍が単独で戦った最後の戦争は[[フォークランド紛争]]で、全面的な戦闘が丸々3か月続いた。現在は[[ボスニア紛争]]、[[コソボ紛争]]、[[アフガニスタン紛争 (2001年-)|アフガニスタン侵攻]]、[[イラク戦争]]など、アメリカ軍やNATO諸国との[[連合作戦]]が慣例となっている。イギリス海軍の軽歩兵部隊であるイギリス海兵隊は、[[上陸戦|水陸両用作戦]]の任務が基本であるが、イギリス政府の外交政策を支援するため、軽歩兵部隊の特性を生かして海外へ即座に展開できる機動力を持つ。

==経済==
{{main|イギリスの経済}}
[[国際通貨基金|IMF]]によると、2015年のイギリスの[[国内総生産|GDP]]は2兆8584億ドルであり、世界5位、欧州では[[ドイツ]]に次ぐ2位である<ref name="GDP1">[https://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2016/02/weodata/weorept.aspx?sy=2015&ey=2015&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=112&s=NGDPD%2CNGDPDPC&grp=0&a=&pr.x=28&pr.y=7 World Economic Outlook Database, October 2016] IMF 2016年11月{{0}}3日閲覧。</ref>。同年の一人当たりのGDPは4万3902ドルである<ref name="GDP1"/>。[[人間開発指数]]は[[人間開発指数による国順リスト|世界第14位]]で「非常に高い」に分類される。

[[ファイル:City of London skyline from London City Hall - Oct 2008.jpg|thumb|250px|ロンドンは2016年に発表された「世界の都市総合力ランキング」において、世界1位と評価された<ref>[http://www.mori-m-foundation.or.jp/ius/gpci/ 世界の都市総合力ランキング(GPCI) 2016] 森記念財団都市戦略研究所 2016年10月31日閲覧。</ref>]]
首都ロンドンは2016年時点で[[ニューヨーク]]を上回る世界一の金融センターと評価されている<ref>[http://www.longfinance.net/global-financial-centres-index-20/1037-gfci-20.html Global Financial Centres Index 20] Z/yen 2016年11月{{0}}3日閲覧。</ref>。ロンドンの[[シティ・オブ・ロンドン|シティ]]には、世界屈指の[[証券取引所]]である[[ロンドン証券取引所]]がある。イギリスの[[外国為替市場]]の1日平均取引額はアメリカを上回り、世界最大である<ref>[http://www.bis.org/publ/rpfx16.htm Triennial Central Bank Survey of foreign exchange and OTC derivatives markets in 2016] 国際決済銀行(BIS) 2016年11月{{0}}3日閲覧。</ref>。[[富裕層|富裕層人口]]も非常に多く、金融資産100万ドル以上を持つ富裕世帯は約41万世帯と推計されており、アメリカ、日本、[[中華人民共和国|中国]]に次ぐ第4位である<ref name="Rich">[http://www.bcg.com/expertise_impact/publications/PublicationDetails.aspx?id=tcm:12-107081 BCG Global Wealth 2012]</ref>。また、金融資産1億ドル以上を持つ超富裕世帯は1,125世帯と推計されており、アメリカに次ぐ第2位である<ref name="Rich"/>。

[[18世紀]]の産業革命以降、近代において[[世界経済]]をリードする[[工業国]]で、[[造船]]や[[航空機]]製造などの[[工業|重工業]]から金融業や[[エンターテインメント|エンターテイメント]]産業に至るまで、様々な産業が盛んである。歴史的に造船業は特筆に値し、[[複式機関#船舶用複式蒸気機関の例|三段膨張機関]]が登場してから第一次世界大戦勃発までは世界の船の三分のニを生産した<ref>柏戸傳、「[https://hdl.handle.net/11266/1231 大戦間期日・英造船業の企業金融]」『立正経営論集』 2005年 37巻 2号, 立正大学経営学会</ref>。

しかしながら、19世紀後半からはアメリカ合衆国、ドイツ帝国の工業化により世界的優位は失われた。イギリスを含む世界金融資本がイギリス製造業への投資より、ドイツ・アメリカおよび植民地への投資を選好したためである。イギリス製造業はしだいにドイツ・フランスやアメリカ合衆国に立ち後れるようになってゆく。20世紀に入るころより国力は衰え始め、二度の世界大戦はイギリス経済に大きな負担を与えた。各地の植民地をほとんど独立させた1960年代後半には経済力はいっそう衰退した。

戦後の経済政策の基調は市場と国営セクター双方を活用する[[混合経済]]体制となり、左派の労働党は「[[ゆりかごから墓場まで]]」と呼ばれる公共福祉の改善に力を入れ、保守党も基本的にこれに近い政策を踏襲、1960年代には世界有数の[[福祉国家論|福祉国家]]になった。しかし、[[オイルショック]]を契機とした不況になんら実用的な手立てを打たなかったために、継続的な不況に陥り、企業の倒産やストが相次いだ。20世紀初頭から沈滞を続けたイギリス経済は深刻に行き詰まり、「[[英国病]]」とまで呼ばれた。

1979年に登場したサッチャー政権下で国営企業の民営化や各種規制の緩和が進められ、1980年代後半には海外からの直接投資や証券投資が拡大した。この過程で製造業や[[鉱業]]部門の労働者が大量解雇され、深刻な失業問題が発生。基幹産業の一つである[[自動車]]産業の殆どが外国企業の傘下に下ったが、外国からの投資の拡大を、しだいに自国の産業の活性化や雇用の増大に繋げて行き、その後の経済復調のきっかけにして行った([[ウィンブルドン現象]])。

その後、1997年に登場したブレア政権における経済政策の成功などにより、経済は復調し、アメリカや他のヨーロッパの国に先駆けて好景気を享受するようになったが、その反面でロンドンを除く地方は経済発展から取り残され、[[貧富の差]]の拡大や不動産価格の上昇などの問題が噴出してきている。

さらに、2008年にはアメリカ合衆国の[[サブプライムローン]]問題の影響をまともに受けて金融不安が増大した上に、資源、食料の高騰の直撃を受け、[[アリスター・ダーリング]][[財務大臣 (イギリス)|財務大臣]]が「過去60年間で恐らく最悪の下降局面に直面している」と非常に悲観的な見通しを明らかにしている<ref>{{Cite web|date=2008-08-30|url=http://sankei.jp.msn.com/economy/business/080830/biz0808301850007-n1.htm|work=産経新聞|title=「英経済、過去60年間で最悪の下降局面」英財務相|accessdate=2008-08-30 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080902012013/http://www.sankei.jp.msn.com/economy/business/080830/biz0808301850007-n1.htm |archivedate=2008-09-02}}</ref>。2012年{{0}}2月時点で失業率は8%を超えるまでに悪化した状態にあったが、その後は回復の兆しを見せている。

===鉱業===
[[ファイル:Oil platform in the North SeaPros.jpg|thumb|[[北海油田]]]]
イギリスの鉱業は産業革命を支えた[[石炭]]が著名である。300年以上にわたる採炭の歴史があり、石炭産業の歴史がどの国よりも長い。2002年時点においても3193万トンを採掘しているものの、ほぼ同量の石炭を輸入している。[[北海油田]]からの[[原油]]採掘量は1億1000万トンに及び、これは世界シェアの3.2%に達する。最も重要なエネルギー資源は[[天然ガス]]であり、世界シェアの4.3%(第4位)を占める。有機鉱物以外では、世界第8位となる[[塩化カリウム|カリ塩]] (KCl) 、同10位となる[[塩]] (NaCl) がある。金属鉱物には恵まれていない。最大の[[鉛]]鉱でも1000トンである。

===農業===
最も早く工業化された国であり、現在でも高度に工業化されている。農業の重要性は低下し続けており、GDPに占める農業の割合は2%を下回った。しかしながら、世界シェア10位以内に位置する農産物が8品目ある。穀物では[[オオムギ]](586万トン、世界シェア10位、以下2004年時点)、工芸作物では[[亜麻]](2万6000トン、5位)、[[テンサイ]](790万トン、9位)、[[アブラナ|ナタネ]](173万トン、5位)、[[ホップ]](2600トン、6位)である。家畜、畜産品では、[[ヒツジ]](3550万頭、7位)、[[ウール|羊毛]](6万5000トン、5位)、[[牛乳]](1480万トン、9位)が主力。

===貿易===
イギリスは産業革命成立後、自由貿易によって多大な利益を享受してきた。ただし、21世紀初頭においては貿易の比重は低下している。2004年時点の貿易依存度、すなわち国内総生産に対する輸出入額の割合は、ヨーロッパ諸国内で比較すると[[イタリア]]と並んでもっとも低い。すなわち、輸出16.1%、輸入21.3%である。

[[国際連合]]のInternational Trade Statistics Yearbook 2003によると、品目別では輸出、輸入とも工業製品が8割弱を占める。輸出では電気機械(15.2%、2003年)、機械類、自動車、医薬品、原油、輸入では電気機械 (16.3%)、自動車、機械類、衣類、医薬品の順になっている。

貿易相手国の地域構成は輸出、輸入ともヨーロッパ最大の工業国ドイツと似ている。輸出入とも対EUの比率が5割強。輸出においてはEUが53.4%(2003年)、次いでアメリカ合衆国15.0%、アジア12.1%、輸入においてはEU52.3%、アジア15.1%、アメリカ合衆国9.9%である。

国別では、主な輸出相手国はアメリカ合衆国(15.0%、2003年)、ドイツ (10.4%)、フランス (9.4%)、オランダ (5.8%)、アイルランド (6.5%)。輸入相手国はドイツ (13.5%)、アメリカ合衆国 (9.9%)、フランス (8.3%)、オランダ (6.4%)、中華人民共和国 (5.1%) である。
===不動産===
イギリスの不動産は人口の約1%の約25,000人の貴族や大企業などがイングランドの土地の48%を保有しており、未申告は貴族が家族間で秘密裏に管理していた土地と考えられている。
{|
|-
|法人企業
|style="text-align:right"|18
|<!-- 最上段 --><div style="width:180px;height:16px;background:#9999ff"></div>
|-
|銀行の経営者・寡頭政治家
|style="text-align:right"|17
|<!-- 2段目 --><div style="width:170px;height:16px;background:#9999ff"></div>
|-
|公的機関
|style="text-align:right"|8.5
|<!-- 3段目 --><div style="width:85px;height:16px;background:#9999ff"></div>
|-
|住宅保有者
|style="text-align:right"|5
|<!-- 4段目 --><div style="width:50px;height:16px;background:#9999ff"></div>
|-
|慈悲団体
|style="text-align:right"|2
|<!-- 5段目 --><div style="width:20px;height:16px;background:#9999ff"></div>
|-
|王室
|style="text-align:right"|1,4
|<!-- 6段目 --><div style="width:14px;height:16px;background:#9999ff"></div>
|-
|イングランド教会
|style="text-align:right"|0.5
|<!-- 7段目 --><div style="width:5px;height:16px;background:#9999ff"></div>
|-
|未申告
|style="text-align:right"|17
|<!-- 最下段 --><div style="width:178px;height:16px;background:#9999ff"></div>
|}

===エネルギー政策===
{{main|{{仮リンク|イギリスのエネルギー|en|Energy in the United Kingdom}}}}

イギリスの原子力発電に対する中華人民共和国の投資と技術協力を積極的に推進することで、エネルギー政策と経済力の強化に取り組んでいる<ref>[http://mainichi.jp/select/news/20151022k0000m030079000c.html 習主席:英首相と7兆円商談合意…人民元建てで国債発行へ] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20151023155717/http://mainichi.jp/select/news/20151022k0000m030079000c.html |date=2015年10月23日 }}毎日新聞 2015年10月21日</ref>。2016年には、中国からの投資による原子炉の建造を承認した<ref>https://www.gov.uk/government/news/multimillion-boost-to-uk-economy-as-china-and-uk-government-sign-civil-nuclear-agreement-and-sign-agreement-to-deepen-cooperation-on-climate-change</ref>。

===通貨===
スターリング・ポンド (GBP) が使用されている。補助単位は[[ペニー]]で、1971年より1ポンドは100ペンスである。かつてポンドは[[アメリカ合衆国ドル|USドル]]が世界的に決済通貨として使われるようになる以前、イギリス帝国の経済力を背景に国際的な決済通貨として使用された。イギリスの欧州連合加盟に伴い、ヨーロッパ共通通貨であるユーロにイギリスが参加するか否かが焦点となったが、イギリス国内に反対が多く、[[欧州連合の経済通貨統合|通貨統合]]は見送られた。イングランド銀行が連合王国の[[中央銀行]]であるが、スコットランドと北アイルランドでは地元の商業銀行も独自の紙幣を発行している。イングランド銀行の紙幣にはエリザベス女王が刷られており、連合王国内で共通に通用する。スコットランド紙幣、北アイルランド紙幣ともに連合王国内で通用するが、受け取りを拒否されることもある。
2016年{{0}}6月24日、1993年に加盟した欧州連合(EU)の脱退が、国民投票によって正式に決定した。

===企業===
{{main|イギリスの企業一覧}}

====通信====
{{Main|{{仮リンク|イギリスの情報通信|en|Telecommunications in the United Kingdom}}}}
イギリスでは、ヒースロー空港などにある自動販売機で[[SIMカード]]が購入できる。[[プリペイド|プリペイド式]]となっており、スーパーなどで、通話・通信料をチャージして使う。

おもな通信業者
*[[ボーダフォン]] イギリス
*[[EE (企業)|EE]] ドイツ系の[[T-Mobile]]とフランス系(元イギリス)の[[Orange_(通信会社)|Orange]]([[:en:Orange (UK)|en]])の合弁で現在は[[BTグループ]]傘下
*[[O2]] スペイン・[[テレフォニカ]]傘下
*3(Three) 香港・[[ハチソン・ワンポア]]

==交通==
{{main|{{仮リンク|イギリスの交通|en|Transport in the United Kingdom}}}}

===道路===
{{main|{{仮リンク|イギリスの道路|en|Roads in the United Kingdom}}}}

自動車は[[対面交通|左側通行]]である。また、インド・オーストラリア・[[香港]]・[[シンガポール]]など、旧イギリス植民地の多くが左側通行を採用している。

===鉄道===
{{main|イギリスの鉄道}}
[[ファイル:Eurostar at St Pancras Jan 2008.jpg|thumb|国際列車[[ユーロスター]]の発着駅である[[セント・パンクラス駅]]]]
近代鉄道の発祥の地であり国内には鉄道網が張り巡らされ、ロンドンなどの都市には14路線ある[[地下鉄]](チューブトレイン)網が整備されている。しかし1960年代以降は設備の老朽化のために事故が多発し、さらに運行の遅延が常習化するなど問題が多発している。

小規模の民間地方鉄道の運営する地方路線の集まりとして誕生したイギリスの鉄道は、19世紀から[[20世紀]]前期にかけて、競合他社の買収などを通じて比較的大規模な少数の会社が残った。1921年にはついに[[ロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道]]、[[ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道]]、[[グレート・ウェスタン鉄道]]、[[サザン鉄道 (イギリス)|サザン鉄道]]の4大鉄道会社にまとまり、これらは1948年に国有化されて[[イギリス国鉄]] (BR) となった。しかし[[1994年|1994]]~[[1997年|97年]]にBRは、旅客輸送・貨物輸送と、線路や駅などの施設を一括管理する部門に分割されて民営化された。

1994年開業したイギリス、フランス両国所有の英仏海峡トンネルは、イングランドのフォークストンからフランスのカレーまで、イギリス海峡の海底130mを長さ50.5kmで走る3本の並行したトンネルからなる。1本は貨物専用で、残り2本は乗客・車・貨物の輸送に使われる。このトンネルを使ってセント・パンクラス駅からはヨーロッパ大陸との間を結ぶ[[ユーロスター]]が運行され、[[パリ]]や[[ブリュッセル]]、[[リール (フランス)|リール]]などのヨーロッパ内の主要都市との間を結んでいる。

===海運===
周囲を海に囲まれている上、世界中に植民地を持っていたことから古くからの海運立国であり、[[P&O]]や[[キュナード・ライン]]など多くの海運会社がある。また、歴史上有名な「[[タイタニック (客船)|タイタニック号]]」や「[[クイーン・エリザベス2]]」、「[[クイーン・メリー2]]」などの著名な客船を運航している。

===航空===
{{main|{{仮リンク|イギリスの航空|en|Air transport in the United Kingdom}}}}

[[ファイル:Heathrow Terminal 5C Iwelumo-1.jpg|thumb|[[:en:London Heathrow Terminal 5|London Heathrow Terminal 5]]. [[ロンドン・ヒースロー空港]]は[[:en:World's busiest airports by international passenger traffic|国際線利用客数]]では世界随一である。]][[ファイル:Airbus A380-841 G-XLEB British Airways (10424102995).jpg|thumb|ブリティッシュ・エアウェイズ (イギリス最大の航空会社)]]


民間航空が古くから発達し、特に国際線の拡張は世界に広がる植民地間をつなぐために重要視されてきた。

現在は、[[ブリティッシュ・エアウェイズ]]や[[ヴァージン・アトランティック航空]]や[[イージージェット]]などの航空会社がある。中でもブリティッシュ・エアウェイズは、[[英国海外航空]]と[[英国欧州航空]]の2つの国営会社が合併して設立され、1987年に民営化された世界でも最大規模の航空会社で2009年にはスペインの[[イベリア航空]]と統合合意し、2011年に[[インターナショナル・エアラインズ・グループ]]を設立した。

航空機製造業も[[BAEシステムズ]]やエンジン製造の[[ロールス・ロイス・ホールディングス]]があり、1976年にはフランスとともに、[[コンコルド]]機を開発して世界初の[[超音速旅客機|超音速旅客]]輸送サービスを開始。しかし、老朽化とコスト高などにより2003年11月26日をもって運航終了となり、コンコルドは空から姿を消した。

主な空港として、ロンドンのヒースロー空港、[[ロンドン・ガトウィック空港|ガトウィック]]、[[ロンドン・スタンステッド空港|スタンステッド]]のほか、[[ロンドン・ルートン空港|ルートン]]、[[マンチェスター空港|マンチェスター]]、[[グラスゴー空港|グラスゴー]]などが挙げられる。

日本との間には2016年サマースケジュールでは、ヒースロー空港と[[成田国際空港|成田空港]]の間にブリティッシュ・エアウェイズのみ1日1便直行便を運航し、[[東京国際空港|羽田空港]]の間にも、ブリティッシュ・エアウェイズ、[[日本航空]]、[[全日本空輸]]がそれぞれ1日1便直行便を運航している。かつてはヴァージン・アトランティック航空が就航していたが2015年に撤退している。

==科学技術==
{{Main|{{仮リンク|イギリスの科学技術|en|Science and technology in the United Kingdom}}}}

17世紀の科学革命はイングランドとスコットランドが、18世紀の産業革命はイギリスが世界の中心であった。重要な発展に貢献した科学者と技術者を多数輩出している。[[アイザック・ニュートン]]、[[チャールズ・ダーウィン]]、電磁波の[[ジェームズ・クラーク・マクスウェル]]、そして最近では宇宙関係の[[スティーブン・ホーキング]]。科学上の重要な発見者には水素の[[ヘンリー・キャヴェンディッシュ]]、[[ペニシリン]]の[[アレクサンダー・フレミング]]、[[デオキシリボ核酸|DNA]]の[[フランシス・クリック]]がいる。工学面では[[グラハム・ベル]]など。科学の研究・応用は大学の重要な使命であり続け、2004年から5年間にイギリスが発表した科学論文は世界の7%を占める。学術雑誌[[ネイチャー]]や医学雑誌[[ランセット]]は世界的に著名である。

==国民==
{{main|イギリス人|{{仮リンク|イギリスの人口統計|en|Demography of the United Kingdom}}}}
{{See also|{{仮リンク|イギリスの民族|en|Ethnic groups in the United Kingdom}}}}
[[ファイル:UKpop.svg|thumb|right|イギリスの[[人口ピラミッド]]]]
イギリスの人口は2015年時点で推計6,471万人であり[[国の人口順リスト|世界第22位]]である。

「イギリス民族」という民族は存在しない。主な民族はイングランドを中心に居住する[[ゲルマン人|ゲルマン民族]]系のイングランド人([[アングロ・サクソン人]])、[[ケルト人|ケルト]]系のスコットランド人、アイルランド人、ウェールズ人だが、旧植民地出身のインド系([[印僑]])、[[アフリカ系]]、カリブ系、[[アラブ系]]や[[華僑]]なども多く住む[[多民族国家]]である。

イギリスの国籍法では、旧植民地関連の者も含め、自国民を次の六つの区分に分けている。
*GBR:British Citizen - イギリス市民
*:本国人
*BOTC:[[:en:British Overseas Territories citizen|British Overseas Territories citizen]] - [[イギリス海外領土市民]]
*:イギリスの海外領土出身者
*BOC:[[:en:British Overseas Citizen|British Overseas Citizen]] - [[イギリス海外市民]]
*:ギリシャ西岸の諸島・インド・パキスタン・マレーシアなどの旧植民地出身者のうち特殊な歴史的経緯のある者
*GBS:[[:en:British Subject|British Subject]] - [[イギリス臣民]]
*:アイルランド(北部以外)・ジブラルタルなどイギリス海外領土市民やイギリス海外市民とは別の経緯のある地域の住民で一定要件に該当する者
*BNO:[[:en:British National (Overseas)|British National (Overseas)]] - [[イギリス国民(海外)]]※「BN(O)」とも書く。
*:英国国籍で、香港の[[永住権|住民権]]も持つ人。
*BPP:[[:en:British Protected Person|British Protected Person]] - [[イギリス保護民]]

いずれの身分に属するかによって、国内での様々な取扱いで差異を生ずることがあるほか、パスポートにその区分が明示されるため、海外渡航の際も相手国により取扱いが異なることがある。例えば、日本に入国する場合、British citizen(本国人)とBritish National (Overseas)(英国籍香港人)は短期訪問目的なら[[査証]](ビザ)不要となるが、残りの四つは数日の[[観光]]訪日であってもビザが必要となる。

===言語===
{{main|{{仮リンク|イギリスの言語|en|Languages of the United Kingdom}}}}
[[ファイル:Anglospeak.svg|thumb|250px|世界の[[英語圏]]地域。濃い青色は英語が[[公用語]]または事実上の公用語になっている地域。薄い青色は英語が公用語であるが主要な言語ではない地域。]]
事実上の公用語は英語(イギリス英語)でありもっとも広く使用されているが、イングランドの主に[[コーンウォール]]でコーンウォール語、ウェールズの主に北部と中部でウェールズ語、スコットランドの主に[[ローランド地方]]でスコットランド語、ヘブリディーズ諸島の一部でスコットランド・ゲール語、北アイルランドの一部で[[:en:Ulster Scots dialects|アルスター・スコットランド語]]とアイルランド語が話されており、それぞれの構成国で公用語になっている。

特に、ウェールズでは1993年にウェールズ語が公用語になり、英語と同等の法的な地位を得た。2001年現在、ウェールズ人口の約20%がウェールズ語を使用し、その割合は僅かではあるが増加傾向にある。公文書や道路標識などはすべてウェールズ語と英語とで併記される。また、16歳までの義務教育においてウェールズ語は必修科目であり、ウェールズ語を主要な教育言語として使用し、英語は第二言語として扱う学校も多く存在する。

===宗教===
{{See also|イギリスの宗教}}
10年に一度行われるイギリス政府の国勢調査によれば、2001年、[[キリスト教徒]]が71.7%、[[イスラム教徒]]が3.0%、[[ヒンドゥー教]]徒が1.0%。
2011年、キリスト教徒59.3%、イスラム教徒4.8%、ヒンドゥー教徒が1.5%<ref>{{Cite report |publisher=Office for National Statistics |title=Religion in England and Wales 2011 |date=2012-12-11 |url=https://www.ons.gov.uk/peoplepopulationandcommunity/culturalidentity/religion/articles/religioninenglandandwales2011/2012-12-11 }}</ref>。

キリスト教の内訳は、[[英国国教会]]が62%、[[カトリック]]が13%、[[長老派]]が6%、[[メソジスト]]が3%程度と推定されている<ref>『The Changing Religious Landscape of Europe』 Hans Knippenberg</ref>。

===婚姻===
婚姻の際には、夫婦同姓・複合姓・[[夫婦別姓]]のいずれも選択可能である。また[[同性結婚]]も可能である<ref>「英国・イングランドとウェールズ、同性婚を初の合法化」朝日新聞、2014年{{0}}3月29日</ref>。また、在日英国大使館においても、同性結婚登録を行うことが可能である<ref>「在日本英国大使館・領事館で同性婚登録が可能に」 週刊金曜日 2014年{{0}}6月13日</ref><ref>https://www.gov.uk/government/news/introduction-of-same-sex-marriage-at-british-consulates-overseas.ja</ref>。

===移住===
{{main|{{仮リンク|現代イギリスにおける移民|en|Modern immigration to the United Kingdom}}|{{仮リンク|イギリスにおける外国人出生者|en|Foreign-born population of the United Kingdom}}}}
{{節スタブ}}
===教育===
{{main|イギリスの教育}}
イギリスの学校教育は地域や公立・私立の別により異なるが、5歳より小学校教育が開始される。

===医療===
{{Main|イギリスの医療}}
[[ファイル:Royal Aberdeen Children's Hospital.jpg|thumb|right|The Royal Aberdeen Children's Hospital。NHSスコットランドの小児病院]]
イギリスの医療は各地域それぞれの[[地方分権]]型であり、公的医療とプライベート診療が存在する。公的医療は[[国民保健サービス]](NHS)によりすべてのイギリス人に提供され、医学的必要性が認められる治療は大部分は自己負担なしであり、費用は一般税収を原資としている([[公費負担医療]])。NHSにはイギリス国家予算の25.2%が投じられている<ref name="ohe">{{Cite report |publisher=Office of Health Economics |title=OHE Guide to UK Health and Health Care Statistics |date=2013-08 |url=https://www.ohe.org/publications/ohe-guide-uk-health-and-health-care-statistics }}</ref>。

国全体にかかわる規制は、{{仮リンク|総合医療評議会|en|General Medical Council}}や{{仮リンク|看護助産評議会|en|Nursing and Midwifery Council}}や、また[[ロイヤル・カレッジ]]などの外部機関が行っている。しかし政策や現業の責務は、各地方行政区である4つの女王陛下の政府、北アイルランド政府、スコットランド政府、ウェールズ政府がそれぞれになっている。それぞれの運営するNHSは、各々の政策や優先度を持ち、施政に違いをもたらしている<ref>{{cite news |url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/health/7586147.stm |title='Huge contrasts' in devolved NHS |work=BBC News |date=28 August 2008}}</ref><ref>{{cite news |url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/health/7149423.stm |title=NHS now four different systems |work=BBC News |date=2 January 2008 |first=Nick |last=Triggle}}</ref>。

英国はGDPの8.5%を医療に支出しており、これはOECD平均と比べて-0.5%、EU平均と比べて-1%の値であった<ref>{{cite report|title=OECD Health Data 2009&nbsp;– How Does the United Kingdom Compare |publisher=OECD}}</ref>。1979年に保健支出が急増したことにより、その値はEU平均に近くなってきている<ref>{{Cite journal|url=http://www.healthp.org/node/71|title=The NHS from Thatcher to Blair |first=Peter |last=Fisher |work=NHS Consultants Association |publisher=International Association of Health Policy |quote=The Budget ... was even more generous to the NHS than had been expected amounting to an annual rise of 7.4% above the rate of inflation for the next 5 years. This would take us to 9.4% of GDP spent on health ie around EU average.}}</ref>。WHOは2000年に英国の医療制度を欧州で15位、世界で18位と評している<ref name="Who2000">{{Cite book |editor-last=Haden |editor-first=Angela |editor2-last=Campanini |editor2-first=Barbara |title=The world health report 2000&nbsp;– Health systems:improving performance |year=2000 |location=Geneva |publisher=World Health Organisation |url=http://www.who.int/whr/2000/en/whr00_en.pdf |isbn=92-4-156198-X |accessdate=5 July 2011}}</ref><ref>{{Cite journal |url=http://pages.stern.nyu.edu/~wgreene/Statistics/WHO-COMP-Study-30.pdf |title=Measuring overall health system performance for 191 countries |author=[[World Health Organization]] |publisher=New York University |accessdate=5 July 2011}}</ref>。

==文化==
{{Main|[[:en:Culture of the United Kingdom]]}}

===食文化===
{{Main|イギリス料理}}
[[フィッシュ・アンド・チップス]]や[[ローストビーフ]]、[[ウナギのゼリー寄せ]]などが有名である。{{節スタブ}}

===文学===
[[ファイル:CHANDOS3.jpg|thumb|150px|[[ウィリアム・シェイクスピア]]]]
{{Main|イギリス文学}}
多くの傑作を後世に残した[[ウィリアム・シェイクスピア]]は、[[イギリス・ルネサンス演劇]]を代表する空前絶後の詩人、および劇作家と言われる。初期のイギリス文学者としては[[ジェフリー・オブ・モンマス]]や[[ジェフリー・チョーサー]]、[[トマス・マロリー]]が著名。18世紀になると[[サミュエル・リチャードソン]]が登場する。彼の作品には3つの小説の基本条件、すなわち「フィクション性および物語性、人間同士の関係(愛情・結婚など)、個人の性格や心理」といった条件が満たされていたことから、彼は「近代小説の父」と呼ばれている。

19世紀の初めになると[[ウィリアム・ブレイク]]、[[ウィリアム・ワーズワース]]ら[[ロマン主義]]の詩人が活躍した。19世紀には小説分野において革新が見られ、[[ジェーン・オースティン]]、[[ブロンテ姉妹]]、[[チャールズ・ディケンズ]]、[[トーマス・ハーディ]]らが活躍した。19世紀末には、[[耽美主義]]の[[オスカー・ワイルド]]、現代の[[推理小説]]の生みの親[[アーサー・コナン・ドイル]]が登場。

20世紀に突入すると、「[[サイエンス・フィクション|SF]]の父」[[ハーバート・ジョージ・ウェルズ]]、[[モダニズム]]を探求した[[デーヴィッド・ハーバート・ローレンス]]、[[ヴァージニア・ウルフ]]、預言者[[ジョージ・オーウェル]]、「ミステリーの女王」[[アガサ・クリスティ]]などが出てくる。そして近年、[[ハリー・ポッターシリーズ]]の[[J・K・ローリング]]がかつての[[J・R・R・トールキン]]のような人気を世界中で湧かせている。

===哲学===
{{Main|{{仮リンク|イギリスの哲学|en|British philosophy}}}}
{{節スタブ}}
*[[イギリス経験論]]
*[[イギリス理想主義]]

===音楽===
{{Main|イギリスの音楽}}
<!-- 音楽の欄はジャンルも影響力もバラバラの人名が並んでいるため、出典に基づいた整理が必要 -->
[[クラシック音楽]]における特筆すべきイギリス人作曲家として、「ブリタニア音楽の父」[[ウィリアム・バード]]、[[ヘンリー・パーセル]]、[[エドワード・エルガー]]、[[アーサー・サリヴァン]]、[[レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ]]、[[ベンジャミン・ブリテン]]がいる。特に欧州大陸で古典派、ロマン派が隆盛をきわめた18世紀後半から19世紀にかけて有力な作曲家が乏しかった時期もあったが、旺盛な経済力を背景に演奏市場としては隆盛を続け、ロンドンはクラシック音楽の都の一つとして現在残る。ドイツのオーケストラが地方中都市の団体でも四管フル編成を原則としているのに対し、ロンドン5大オーケストラは長年[[BBC交響楽団]]を除き(現在は[[ロンドン交響楽団]]も)総員70名台の中規模編成を貫き、大曲演奏に際してはフリー奏者を臨時補充するなどの形であったにも関わらず、それなりの世界的声価を維持してきた。一時はメンバーの共有も見られ、映画音楽の仕事が多いことが批判されることもあるものの、持ち前の合理主義によって、少なくとも英語圏では随一のクラシック演奏都市であり続けている。オペラはロンドンに[[ロイヤル・オペラ・ハウス|コヴェントガーデン王立歌劇場]]と、[[イングリッシュ・ナショナルオペラ]]を擁し、後者は世界手も珍しい英訳上演主義の団体である。

====ポピュラー音楽====
[[ファイル:The Fabs.JPG|thumb|200px|[[ビートルズ]]]]
{{Main|ロック (音楽)|{{仮リンク|ブリティッシュロック|en|British rock}}}}
[[ポピュラー音楽]](特にロックミュージック)において、イギリスは先鋭文化の発信地として世界的に有名である。1960、70年代になると[[ロック (音楽)|ロック]]が誕生し、中でも[[ビートルズ]]や[[ローリング・ストーンズ]]といった[[ロックンロール]]の影響色濃いバンドが、その表現の先駆者として活躍した。やがて[[キング・クリムゾン]]や[[ピンク・フロイド]]などの[[プログレッシブ・ロック]]や、[[クイーン (バンド)|クイーン]]、[[クリーム (バンド)|クリーム]]、[[レッド・ツェッペリン]]、[[ディープ・パープル]]、[[ブラック・サバス]]などの[[R&B]]や[[ハードロック]]がロックの更新に貢献。1970年代後半の[[パンク・ロック]]の勃興においては、アメリカ・ニューヨークからの文化を取り入れ、ロンドンを中心に[[セックス・ピストルズ]]、[[ザ・クラッシュ]]らが国民的なムーブメントを起こす。

パンク・ロック以降はインディー・ロックを中心に[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]などといった新たな潮流が生まれ、[[テクノポップ]]・ドラッグミュージック文化の発達と共に[[ニュー・オーダー]]、[[ザ・ストーン・ローゼズ]]、[[グリッド]]などが、メインストリームでは[[デュラン・デュラン]]、[[デペッシュ・モード]]らの著名なバンドが生まれた。90年代は[[ブリットポップ]]や[[エレクトロニカ]]がイギリスから世界中に広まり人気を博し、[[オアシス (バンド)|オアシス]]、[[ブラー]]、[[レディオヘッド]]、[[プロディジー]]、[[マッシヴ・アタック]]などは特に目覚ましい。[[シューゲイザー]]、[[トリップホップ]]、[[ビッグビート]]などといった多くの革新的音楽ジャンルも登場した。近年では[[エイミー・ワインハウス]]、[[マクフライ]]、[[コールドプレイ]]、[[スパイス・ガールズ]]らがポップシーンに名を馳せた。

イギリスではロックやポップなどのポピュラー音楽が、国内だけでなく世界へ大きな市場を持つ主要な[[外貨]]獲得興業となっており、トニー・ブレア政権下などではクール・ブリタニアでロックミュージックに対する国策支援などが行われたりなど、その重要度は高い。アメリカ合衆国と共にカルチャーの本山として世界的な影響力を保ち続け、他国のポピュラー音楽産業の潮流への先駆性は、近年もいささかも揺るがない。

===映画===
{{Main|イギリスの映画}}
{{節スタブ}}

===コメディ===
イギリス人はユーモアのセンスが高いと言われている。また、コメディアンの多くは高学歴である。
*[[ローワン・アトキンソン]]
*[[チャールズ・チャップリン]]
*[[ピーター・セラーズ]]
*[[モンティ・パイソン]]
*[[リック・ウェイクマン]] (但し、本職は[[ミュージシャン]])

===国花===
[[国花]]はそれぞれの地域が持っている。
*イングランドは[[バラ]]
*ウェールズは[[ラッパスイセン]]([[スイセン]]の1種)。[[リーキ]]もより歴史のあるシンボルだが、リーキは花ではない。
*北アイルランドは[[シャムロック]]
*スコットランドは[[アザミ]]

===世界遺産===
イギリス国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された文化遺産が21件、自然遺産が5件ある。詳細は、[[イギリスの世界遺産]]を参照。
<gallery>
PalaceOfWestminsterAtNight.jpg|ウェストミンスター宮殿
Westminster Abbey - West Door.jpg|[[ウェストミンスター寺院]]
Edinburgh Cockburn St dsc06789.jpg|[[エディンバラ旧市街|エディンバラの旧市街]]・[[エディンバラ新市街|新市街]]
Canterbury Cathedral - Portal Nave Cross-spire.jpeg|[[カンタベリー大聖堂]]
Kew Gardens Palm House, London - July 2009.jpg|[[キューガーデン|キュー王立植物園]]
2005-06-27 - United Kingdom - England - London - Greenwich.jpg|[[グリニッジ|マリタイム・グリニッジ]]
Stonehenge2007 07 30.jpg|[[ストーンヘンジ]]
Yard2.jpg|[[ダラム城]]
Durham Kathedrale Nahaufnahme.jpg|[[ダラム大聖堂]]
Roman Baths in Bath Spa, England - July 2006.jpg|[[バース市街]]
Fountains Abbey view02 2005-08-27.jpg|[[ファウンテンズ修道院]]跡を含む[[スタッドリー王立公園]]
Blenheim Palace IMG 3673.JPG|[[ブレナム宮殿]]
Liverpool Pier Head by night.jpg|[[海商都市リヴァプール]]
Hadrian's Wall view near Greenhead.jpg|[[ローマ帝国の国境線]] ([[ハドリアヌスの長城]])
London Tower (1).JPG|[[ロンドン塔]]
</gallery>

===祝祭日===
祝祭日は、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの各政府により異なる場合がある。銀行など多くの企業が休みとなることから、国民の祝祭日をバンク・ホリデー({{interlang|en|Bank holiday}})(銀行休業日)と呼ぶ。
{|class="wikitable"
!日付!!日本語表記!!現地語表記!!備考
|-
|1月{{0}}1日||[[元日]]||{{lang|en|New Year's Day}}||
|-
|1月{{0}}2日||元日翌日||-||スコットランドのみ
|-
|3月17日||[[聖パトリックの祝日|聖パトリックの日]]||{{lang|en|St. Patrick's Day}}||北アイルランドのみ
|-
|3月 - 4月||[[聖金曜日]]||{{lang|en|Good Friday}}||移動祝日
|-
|3月 - 4月||[[復活祭]]月曜日||{{lang|en|Easter Monday}}||移動祝日
|-
|5月第1月曜日||[[五月祭]]||{{lang|en|Early May Bank Holiday}}||移動祝日
|-
|5月最終月曜日||五月祭終り||{{lang|en|Spring Bank Holiday}}||移動祝日
|-
|7月12日||[[ボイン川の戦い]]記念日||{{lang|en|Battle of the Boyne (Orangemen's Day)}}||北アイルランドのみ
|-
|8月第1月曜日||夏季銀行休業日||{{lang|en|Summer Bank Holiday}}||移動祝日、スコットランドのみ
|-
|8月最終月曜日||夏季銀行休業日||{{lang|en|Summer Bank Holiday}}||移動祝日、スコットランドを除く
|-
|12月25日||[[クリスマス]]||{{lang|en|Christmas Day}}||
|-
|12月26日||[[ボクシング・デー]]||{{lang|en|Boxing Day}}||
|}
*聖金曜日を除く移動祝日は原則的に月曜日に設定されている。
*ボクシング・デー後の2日も銀行休業日であったが2005年を最後に廃止されている。

===スポーツ===
{{main|{{仮リンク|イギリスのスポーツ|en|Sport in the United Kingdom}}}}
[[ファイル:Wembley Stadium, illuminated.jpg|thumb|220px|[[ウェンブリー・スタジアム]]]]
イギリスは[[サッカー]]、[[ラグビー]]、[[クリケット]]、[[ゴルフ]]、[[ボクシング]]など多くの競技が発祥もしくは近代スポーツとして整備された地域であり、国技としても定着している。年間観客動員数は4000万人以上を集めるサッカーが他を大きく凌いでおり、[[競馬]]の600万人、ユニオンラグビーの300万、クリケット200万がそれに続く。

このうち団体球技(サッカー、ラグビー、クリケット)は発祥地域の伝統的な配慮から国際競技団体ではイギリス単体ではなく、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド(ラグビーに関してはアイルランドにまとめている)の4地域それぞれの加盟を認めているが、サッカーが公式なプログラムとして行われている[[近代オリンピック]]では単一国家としての出場が大原則であるため、長年出場していなかった。しかし2012年の開催が内定した[[ロンドンオリンピック (2012年)|ロンドン五輪]]では4協会が一体となった統一イギリス代表としてエントリーした。またイギリスの首都であるロンドンで[[夏季オリンピック]]を行ったのは、1948年以来64年ぶりである。ただし[[野球]]においては早くから[[野球イギリス代表|英国代表]]として、[[欧州野球選手権]]や[[ワールド・ベースボール・クラシック|WBC]]などに統一ナショナルチームを送り出している。

====サッカー====
{{main|{{仮リンク|イギリスのサッカー|en|Football in England}}}}
数多くのスポーツを誕生させたイギリスでも取り分け人気なのがサッカーである。イギリスでサッカーは「'''フットボール'''」と呼び、近代的なルールを確立したことから「'''近代サッカーの母国'''」と呼ばれ、それぞれの地域に独自のサッカー協会がある。イギリス国内でそれぞれ独立した形でサッカーリーグを展開しており、中でもイングランドの[[プレミアリーグ]]は世界的に人気である。[[フットボール・アソシエーション|イングランドサッカー協会]] (FA) などを含むイギリス国内の地域協会は全て、[[国際サッカー連盟]] (FIFA) よりも早くに発足しており、FIFA加盟国では唯一特例で国内の地域単位での加盟を認められている(以降、FIFAは海外領土など一定の自治が行われている地域協会を認可している)。その為、FIFAや[[欧州サッカー連盟]](UEFA)が主宰する各種国際大会([[FIFAワールドカップ]]・[[UEFA欧州選手権]]・[[UEFAチャンピオンズリーグ]]・[[UEFAカップ]]・[[FIFA U-20ワールドカップ]]や[[UEFA U-21欧州選手権]]などの年代別国際大会)には地域協会単位でのクラブチームやナショナルチームを参加させており、さらには7人いるFIFA副会長の一人はこの英本土4協会から選ばれる、サッカーのルールや重要事項に関しては、FIFAと英本土4協会で構成する[[国際サッカー評議会]]が決定するなど特権的な地位が与えられている。また、サッカー選手や監督がプロ競技における傑出した実績によって一代限りの騎士や勲爵士となることがある([[デビッド・ベッカム]]、[[スティーヴン・ジェラード]]や[[ボビー・ロブソン]]、[[アレックス・ファーガソン]]など)。

また、サッカーはもともとラグビーと同じく中流階級の師弟が通う[[パブリックスクール]]で近代競技として成立したが、その過程は労働者階級の娯楽として発展していった。ただ、当時のイギリスの継続的な不況からくる労働者階級の人口の割合と、それ以外の階級者も観戦していたということを注意しなければならない。労働者階級がラグビーよりもサッカーを好んでいたとされる理由として、[[フーリガン]]というあまり好ましくない暴力的なファンの存在が挙げられることもある。ただ、相次ぐフーリガン絡みの事件や事故を重く見た政府は1980年代にフーリガン規制法を制定し、スタジアムの大幅な安全基準の見直しなどを行った。各スタジアムの試合運営スタッフがスタジアムの至る所に監視カメラを設置し、特定のサポーター(フーリガン)に対する厳重な監視や入場制限を行っている。そのような取り組みの結果、スタジアムではそれまで頻発していたフーリガン絡みの事件や事故の件数が大幅に減少した。
*2007-2008シーズンにおけるイングランドサッカー入場者数<ref>2008年12月10日付けの日本経済新聞</ref>
**プレミアリーグ 1370万8875人
**[[フットボールリーグ・チャンピオンシップ|チャンピオンシップ]] 939万7036人
**[[フットボールリーグ1]] 441万2023人
**[[フットボールリーグ2]] 239万6278人
**[[FAカップ]] 201万1320人
**[[フットボールリーグカップ|リーグカップ]] 133万2841人
**[[UEFAチャンピオンズ・リーグ|CL]] 122万0127人
**UEFAカップ 46万2002人
**総動員数 3494万人

====クリケット====
クリケットは全面芝のフィールドでプレイされ、試合中には[[ティー]]タイムもある。その優雅な雰囲気から、別名「紳士のスポーツ」といわれる。イギリスでは[[上流階級]]がたしなむスポーツとされており、[[イートン]]などの名門校の体育ではクリケットは必修種目とされている。16世紀にイングランド南部で初めてプレーされた。18世紀末までには、イングランドの国民的スポーツへと発展した。大英帝国の拡大によってクリケットは海外でプレーされるようになり、19世紀中頃までには初の国際試合が開催された。イングランドは[[国際クリケット評議会]](ICC)のフルメンバーである。[[クリケット・ワールドカップ]]は[[FIFAワールドカップ]]と[[夏季オリンピック]]に次いで世界で3番目に視聴者数の多いスポーツイベントであり<ref>[https://www.theguardian.com/sport/blog/2015/feb/12/cricket-world-cup-icc-50-overs More money, more viewers and fewer runs in prospect for intriguing World Cup More money, more viewers and fewer runs in prospect for intriguing World Cup] The Guardian 2019年7月15日閲覧。</ref>、自国開催の[[2019 クリケット・ワールドカップ|2019年]]大会では[[クリケットイングランド代表|イングランド代表]]が初優勝した<ref>[https://www.theguardian.com/sport/live/2019/jul/14/new-zealand-v-england-cricket-world-cup-final-2019-live England beat New Zealand in thrilling Cricket World Cup final – as it happened!] The Guardian 2019年7月18日閲覧。</ref>。女子イングランド代表は[[女子クリケット・ワールドカップ|ワールドカップ]]で4度の優勝経験を誇る。ロンドンにある[[ローズ・クリケット・グラウンド]]はクリケットの聖地と呼ばれ、ワールドカップの決勝戦などが催された。国内リーグは[[カウンティ・チャンピオンシップ]]があり、イングランド所在の17クラブ及びウェールズ所在の1クラブ、合計18クラブにより編成される。

====競馬====
{{main|イギリスの競馬}}
近代競馬発祥の地でもある。18世紀ゴルフに次いでスポーツ組織として[[ジョッキークラブ]]が組織され、同時期に[[サラブレッド]]も成立した。どちらかと言えば[[平地競走]]よりも[[障害競走]]の方が盛んな国であり、"Favourite 100 Horses"(好きな馬100選)では[[アークル]]を初め障害馬が上位を独占した。障害の[[チェルトナムフェスティバル]]や[[グランドナショナルミーティング]]は15~25万人もの観客動員数がある。特に最大の競走であるG3[[グランドナショナル]]の売り上げは700億円近くになり、2007年現在世界で最も馬券を売り上げる競走になっている。平地競走は、[[ダービーステークス|イギリスダービー]]、[[イギリス王室|王室]]開催の[[ロイヤルアスコット開催]]が知られ、こちらも14~25万人の観客を集める。ダービーは、この競走を冠した競走が競馬を行っている国には必ずと言っていい程存在しており世界で最も知られた競走といって良いだろう。エリザベス女王も競馬ファンとして知られており、自身何頭も競走馬を所有している。

イギリスでは、日本などと違い競馬など特定の競技だけでなく全てのスポーツがギャンブルの対象となるが、売り上げはやはり競馬とサッカーが多い。競馬は1970年代を頂点に人気を失いつつあったが、後に急速に観客動員数が持ち直す傾向にある。売上高も2兆円を超え、人口当りの売り上げは香港を除けばオーストラリアに次ぐ。しかし、売り上げの多く(2003年で97.1%)が主催者側と関係のない[[ブックメーカー]]に占められるという構造的な課題がある。なお、イギリス人はどんな小さな植民地にも大抵の場合は競馬場を建設したため、独立後も旧イギリス領は競馬が盛んな国が多い。また、[[馬術]]も盛んであり、馬術のバドミントンは3日間で15万人以上の観客動員数がある。

====モータースポーツ====
イギリスは、[[モータースポーツ]]発祥の地としても知られる。[[フォーミュラ1]](F1)では多数のチャンピオンドライバーを生み出している。最近では、2009年世界チャンピオンに[[ジェンソン・バトン]]、そして2008、2014、2015、2017、2018、2019年世界チャンピオンに6度[[ルイス・ハミルトン]]が輝き、あと1回世界チャンピオンになれば、[[ミハエル・シューマッハ]]のもつ7度の記録と並ぶことになる。

過去には[[チーム・ロータス|ロータス]]や[[ティレル]]、現在も[[マクラーレン]]、[[ウィリアムズF1|ウィリアムズ]]といった数多くの名門レーシングチームが本拠を置き、車両の設計製造において常に最先端を行く。

イベントにも歴史があり、1926年に初開催された[[イギリスグランプリ]]は最も古いグランプリレースのひとつである。1950年に始まったF1グランプリはイギリスグランプリを第1戦とした。また[[世界ラリー選手権]]の一戦として組み込まれているラリー・グレート・ブリテン(1933年初開催)も同シリーズの中でもっとも古いイベントの一つである。

====野球====
{{main|ナショナルリーグ (イギリスの野球)}}
知名度は低いが、1890年に[[ブリティッシュ・ベースボール・リーグ]]という野球リーグが誕生している。[[IBAFワールドカップ]]の[[ジョン・ムーアズ・トロフィー|第1回大会]]では、アメリカ合衆国との二カ国対抗戦という形ではあったが、5回戦制のこの大会を4勝1敗で勝ち、最初の優勝国となっている。2012年{{0}}9月には、[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック|第3回WBC]]予選に出場している。

==== カーリング ====
あまり知られてはいないが、イギリスはカーリングの強豪国でもある。<ref>「[http://www.curling.or.jp/newinfo/newrankings.html 世界ランク男女]」</ref>

==== 自転車競技 ====
国内での人気はサッカーなどには劣るが、[[ロードレース (自転車競技)|ロードレース]]や[[トラックレース]]では世界でも[[フランス]]、[[スペイン]]、[[イタリア]]と肩を並べる強豪国である。ロードレースでは2012年に[[ブラッドリー・ウィギンス]]が[[ツール・ド・フランス2012|ツール・ド・フランス]]を英国人として初めて制覇し、[[クリス・フルーム]]が2013年、2015年-2017年と同大会で総合優勝し、また2017年には[[ブエルタ・ア・エスパーニャ2017|ブエルタ・ア・エスパーニャ]]を、2018年には[[ジロ・デ・イタリア2018|ジロ・デ・イタリア]]を制覇し、[[グランツール]]と呼ばれる世界三大大会を年を跨いで連続制覇した史上3人目の選手となるなど近年目覚ましい活躍を見せている。トラックレースでもウィギンスや[[ゲラント・トーマス]]、[[エド・クランシー]]らが[[世界選手権自転車競技大会|世界選手権]]や[[オリンピック]]で数々のメダルを獲得している。

==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|2}}

==関連項目==
*[[イギリス関係記事の一覧]]

==外部リンク==
{{ウィキポータルリンク|イギリス}}
{{Sisterlinks|commons=United Kingdom|commonscat=United Kingdom|s=Category:イギリス|n=Category:イギリス|voy=United Kingdom}}
;本国政府
*[https://www.royal.uk/ 英国王室(The British Monarchy)] {{en icon}}
**{{Facebook|TheBritishMonarchy|The British Monarchy}} {{en icon}}
**{{Twitter|BritishMonarchy|BritishMonarchy}} {{en icon}}
**{{flickr|photos/britishmonarchy/|The British Monarchy}} {{en icon}}
**{{YouTube|user=TheRoyalChannel|The British Monarchy}} {{en icon}}
*[https://www.gov.uk/ 英国政府(GOV.UK)] {{en icon}}
*[https://www.gov.uk/government/organisations/prime-ministers-office-10-downing-street 英国首相府(Prime Minister's Office, 10 Downing Street)] {{en icon}}
**{{Facebook|10downingstreet|10 Downing Street}} {{en icon}}
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**{{Twitter|@Number10press|No.10 Press Office}} {{en icon}}
**{{flickr|photos/number10gov|Number 10}} {{en icon}}
**{{Pinterest|number10gov|UK Prime Minister}} {{en icon}}
**{{YouTube|user=Number10gov|Number10gov|films and features from Downing Street and the British Prime Minister}} {{en icon}}
**{{YouTube|user=DowningSt|Downing Street|archive footage from Downing Street and past British Prime Ministers}} {{en icon}}
*[https://www.gov.uk/government/world/japan.ja UK and Japan (UK and the world - GOV.UK)] {{ja icon}}{{en icon}}
**[https://www.gov.uk/government/world/organisations/british-embassy-tokyo.ja 駐日英国大使館(GOV.UK)] {{ja icon}}{{en icon}}
***{{Facebook|ukinjapan|British Embassy Tokyo}} {{ja icon}}{{en icon}}※使用言語は個々の投稿による
***{{Twitter|UKinJapan|BritishEmbassy英国大使館}} {{ja icon}}{{en icon}}※使用言語は個々の投稿による
***{{flickr|photos/uk-in-japan|UK in Japan- FCO}} {{en icon}}
***{{YouTube|user=UKinJapan|UKinJapan|British Embassy in Japan}} {{en icon}}
*[https://www.gov.uk/government/organisations/uk-visas-and-immigration UK Visas and Immigration (GOV.UK)] {{en icon}}
**[https://www.vfsglobal.co.uk/ja-jp 英国ビザ申請センター] - VFS Global Japan (上記「UK Visas and Immigration」日本地区取扱代行サイト) {{ja icon}}{{en icon}}
;日本政府内
*[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/uk/ 日本外務省 - 英国] {{ja icon}}
*[https://www.uk.emb-japan.go.jp/ 在英国日本国大使館] {{ja icon}}
;観光
*[https://www.visitbritain.com/jp/ja 英国政府観光庁(日本語版サイト)] {{ja icon}}
**{{Facebook|LoveGreatBritain|Love GREAT Britain}} {{en icon}}
;その他
*[https://www.jetro.go.jp/world/europe/uk/ JETRO - 英国] {{ja icon}}
*{{CIA World Factbook link|uk|United Kingdom}} {{en icon}}
*{{dmoz|Regional/Europe/United_Kingdom}} {{en icon}}
*{{wikiatlas|United Kingdom}} {{en icon}}
*{{Osmrelation|62149}}

{{Normdaten}}
{{イギリス関連の項目}}
{{ヨーロッパ}}
{{国連安全保障理事会理事国}}
{{G8}}
{{OECD}}
{{イギリス連邦}}
{{EU|1973年 - 2020年}}
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[[Category:イギリス|*]]
[[Category:イギリス連邦加盟国]]
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[[Category:海洋国家]]
[[Category:現存する君主国]]
[[Category:島国]]
[[Category:1801年に成立した国家・領域]]

21. カテゴリ名を含む行を抽出

記事中でカテゴリ名を宣言している行を抽出せよ.

  • ^はデフォルトでは文字列全体の先頭にのみマッチ
  • 今回はすべての行をチェックしたい
  • MULTILINEオプションで ^ を各行の先頭にマッチさせる
import re

pattern = r'^(.*\[\[Category:.*\]\].*)$'
result = '\n'.join(re.findall(pattern, text_uk, re.MULTILINE))
print(result)
[[Category:イギリス|*]]
[[Category:イギリス連邦加盟国]]
[[Category:英連邦王国|*]]
[[Category:G8加盟国]]
[[Category:欧州連合加盟国|元]]
[[Category:海洋国家]]
[[Category:現存する君主国]]
[[Category:島国]]
[[Category:1801年に成立した国家・領域]]

22. カテゴリ名の抽出

記事のカテゴリ名を(行単位ではなく名前で)抽出せよ.

  • 一部のカテゴリ名に含まれる「カテゴリ名|記号」の|以降を拾わないようにするしたい。
  • カッコ内の正規表現にマッチはするが拾ってはこない ?:... を使う
pattern = r'^.*\[\[Category:(.*?)(?:\|.*)?\]\].*$'
result = '\n'.join(re.findall(pattern, text_uk, re.MULTILINE))
print(result)
イギリス
イギリス連邦加盟国
英連邦王国
G8加盟国
欧州連合加盟国
海洋国家
現存する君主国
島国
1801年に成立した国家・領域

IT 一般論

  • シンプルなシステムからの成長
  • ハード構成の基礎:CPU・メモリ・HDD、キャッシュ
  • データ構造とアルゴリズム
    • 連結リストと配列:どんな特性があるか?
    • スタックとキュー:いつどこで使うか?どう実装するか?
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そもそもなぜ IT 一般論の話をしだしたか

  • データ構造の話をするため
  • メモリの話をしないとリストと配列(とベクター)の違いが説明できない
    • 一言でいうと、リストと配列はメモリ上にどうデータを置くかが違う
    • データの置き方によってデータアクセスの仕方が変わり、「何が得意か」が変わる
      • リスト:要素の追加・削除に都合がいいが、ランダムアクセスと値の更新処理に弱い
      • 配列:要素の追加・削除は不便だが、ランダムアクセスと値の更新処理に強い
      • ベクター:要素の追加・削除に比較的強く、ランダムアクセスと値の更新処理も強い
    • 単純にベクターだけ使っていればいいわけでもない:メモリ効率という観点
  • メモリ単独の話をしても多分わからない
  • 統計学がらみの話は割とすぐにパフォーマンス(速度)の話になる
    • いわゆるビッグデータというやつで、大量のデータを何回も計算しないといけない
    • 計算を速くしないとやっていられない
    • GPU 使うなり何なり割とすぐにハード面の話が出てくる

シンプルなシステムからの成長

  • 適当な Web システムを考える。
  • 具体的にはショッピングサイトなどをイメージすればいい。
    • 何を考えても大きくは変わらない話をする。
  • サーバー構成やインフラ設計という言葉で調べると色々出てくる
  • サーバー構成の画像:Google 画像検索

大事で面倒な話:「サーバー」とは何か?

  • 何でもいいが、とりあえず一つ参考ページ
  • 物理的なモノとソフトウェア両方ある
  • 1 つの物理的なサーバーの中に複数のソフトウェアとしてのサーバーが入っていることがある
    • 小規模システムならよくある
  • 仮想化・コンテナみたいな話をしだすともっと面倒なことになる
  • 今回も多少は詳細化するが、まずは「一度は聞いたことがある」レベルにするのが目的。

基本構成

  • ソフトウェアとしてのサーバーが 3 つ
  • Web サーバー:Apache・Nginx:単純に HTML を返すサーバー
  • アプリケーションサーバー:いわゆる「アプリケーション」。プログラマーがプログラムを書く部分で、ログインユーザーごとに処理が分かれるとか。最終的に Web サーバーがクライアントに返す HTML の形でデータをまとめる。もちろんここでデータベースのアクセスもある。
  • データベースサーバー:顧客情報や製品情報を持っている。

一番単純

  • 物理サーバーは 1 つ
  • ソフトウェアとしての Web サーバー・アプリケーションサーバー・データベースサーバーが載っている。
  • 開発者が開発するときは実際にこういう状況で開発している(こともある)

状況に応じていろいろ分かれる

  • 例えば実際にシステムにかかる負荷によって変わる
  • データベースの負荷が高い
    • 物理サーバーを追加してデータベースサーバーをそちらに載せ替える。
  • Web のリクエストがさばききれないとき
    • Web サーバーを切り分けた上で 2 台にわける
    • アプリケーションサーバー・データベースサーバーは 1 つの物理サーバーに載せる。

他の状況

  • データベースの読み込み負荷が高い:Memcache や Redis のようなキャッシュサーバーを(物理サーバーごと)追加する。
  • セキュリティが気になってきた:Web サーバーの前にセキュリティ用のファイアーウォール
  • セキュリティが絡むとサーバー構成がまた複雑になる。
    • 上記画像参考
    • 直接外とやり取りするところに外部向けファイアーウォール
    • DMZ の中で外部とやり取りするサーバーが置かれる:いわゆるアプリケーションサーバー
    • アプリケーションサーバーと「内部」がやり取りするところにまたファイアウォールを置く
      • 「内部」というのは顧客データベースなどの社外に公開しないサーバー
      • ファイアウォールを二重に置くことで、絶対に触ってはいけないところに対して二重の防御を敷く
      • 外部公開しているサーバーがクラックされても内部にアクセスできないようにする
      • 内部から危険な情報を外に出せないようにする

ハードウェア構成の基礎

  • CPU、キャッシュ(キャッシュメモリ)、メモリ、HDD・SSD、キーボード・マウスくらいまでの大まかな話

コンピューター構成の5大要素

  • 参考
  • 制御装置:各装置を制御。担当は CPU
    • 人間でいうと脳やせき髄
  • 演算装置:データを処理。担当は CPU
    • 人間でいうと脳
  • 記憶装置:データを保存。担当はメモリ・ハードディスク・SSD
    • 人間でいうと脳(短期記憶)、「机」、「本棚」
    • それぞれの「記憶装置」に意味がある
    • 短期記憶は容量が小さいが高速に計算に回せる
    • 机は本が置けて、データを本棚に取りに行く手間は省ける分だけ速い
    • 本棚は取りに行くのは大変だが、たくさんモノが置ける
  • 入力装置:データを受けつける。担当はキーボード・マウスなど
  • 出力装置:データや処理の結果を外に出す。ディスプレイ・プリンタ等

CPU からキャッシュ

  • 参考の図
  • CPU もコアという概念がある
    • 最近の分散コンピューティングで重要な要素
    • 「コロナの解析のためにあなたのマシンパワーを貸してください」
    • 「ブロックチェーン・ビットコインの計算をさせていた」
  • 参考ページ
    • レジスターやら何やら細かく見ていくといろいろある

複数のキャッシュレベル

「それぞれのキャッシュには役割があるから」

「キャッシュは容量が大きいほどデータ転送速度が遅く、記憶密度が高く、省電力という性質を持つため、必要性に応じて異なる種類のキャッシュを使い分けるのが有利だから」

補足:キャッシュ

  • キャッシュはいろいろなところにある
    • webシステムでのメモリデータベース(メモリキャッシュ)
    • データベースを使うときのデータベースサーバーでのメモリキャッシュ(Redis などのメモリデータベースのキャッシュとはまた違う)
    • ブラウザのキャッシュ:一度読み込んだwebサイトのデータを取っておいて次に読み込むときのロードを速くする
  • ブラウザのキャッシュについては、「ブラウザが重くなった時」などで調べると「キャッシュを削除しよう」みたいな話が出てくる。
    • cf. このページ
      • 「GoogleのWebブラウザ「Chrome(クローム)」が重いときに考えられる原因には、キャッシュや履歴などの問題が考えられます。」

データ構造とアルゴリズム

  • 鶏と卵で、同時に考えるべきテーマ:何かをするためにはどうデータを持ってどんな処理をすれば効率がいいか?
    • 効率にもいろいろある
    • 単純な処理速度・メモリ消費量・計算量

(連結)リストと配列

  • 何が違うのか?
  • メモリ上の配置やデータの「つなぎ方」
  • 状況によって使い分ける

リストの特徴

  • 要素数は変わることが前提
  • データを(先頭に)追加するのは簡単
  • データの削除も比較的簡単
  • 先頭から 1 つずつ順に処理するならそれなり
  • 検索やデータの書き換えが遅い:連結構造をたどる必要がある

配列の特徴

  • 要素数は固定
  • データの追加・削除が重め
  • データの参照・書き換えが速い:アドレスが連続なので先頭さえわかれば「そこから何番先」と直指定できる
  • 「リストで遅ければ配列で書き直す」みたいなことはよくある

ベクター(参考

  • 「要素数可変の配列」
  • リストのように要素追加・削除が比較的低コストで、要素の参照・書き換えも配列のように速い
  • 何が問題か:要素の追加が楽なように余計なメモリ領域を確保する
  • ハードウェア組み込みプログラムのように、メモリがカツカツの状況では使えない
    • 「メモリがカツカツ」という意味が理解できるか?

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