このサイトは学部では早稲田で物理を, 修士では東大で数学を専攻し, 今も非アカデミックの立場で数学や物理と向き合っている一市民の奮闘の記録です. 運営者情報および運営理念についてはこちらをご覧ください.
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元のツイート主が鍵をかけてしまったようなのだが,
個人的に記録を残しておきたいこともあるのでメモしておく.
https://t.co/LRFSywDCrE東大数理の片岡先生、証明間違えたのか何なのか忘れたが講義が丸々一回ほぼ完全におかしくて次の講義で「申し訳ありません。前回の講義は…」みたいなことを言ったとか何とかいう逸話があると聞いている
— 相転移P(市民) (@phasetr) 2014, 10月 28
https://t.co/ENqmvndx4j 小林昭七先生だったかと思うが、淡中先生が講義で詰まった時、聞いている学生の方が早く正しい道筋に気づくことばかりだったそうで、いわゆる頭の回転と成し遂げる仕事の素晴らしさには特に関係はないのだと感嘆していた文章があった記憶
— 相転移P(市民) (@phasetr) 2014, 10月 28
https://t.co/AUTfCw1Xhn コンヌあたり、講義中教官に質問して、変なことを言ったら「いえ、それには反例があるので」とか言っていたらしいので、教官をどんどんぶん殴ってそしてぶん殴られてを繰り返せばいい。教えてもらおうという姿勢が駄目で学問に共に取り組む姿勢が大事
— 相転移P(市民) (@phasetr) 2014, 10月 28
私などは厚かましいので、市民であろうとも研究会や専門家向け講演会でも積極的に質問しまくるし、そういう積極性を出すようにと徹底的に仕込まれたのだがそういう教育、普通ではないのだろうか
— 相転移P(市民) (@phasetr) 2014, 10月 28
Connes の下り, Barry Simon だったかもしれない.
どちらにせよ神々の領域にいる人間であることは間違いない.
また他の方のコメントも素敵なのがあったので記録しておく.
失敗や間違いの原因を追求することと自分が責められていることを混同したり、間違いを認めると自尊心が傷つくと感じるタイプは学問には向かないのではないかと思う
— 非線形 (@_mod_p) 2014, 10月 28
間違いを認めて自尊心が傷つく人,決定的に,間違える(=挑戦する)経験が足りない.
— Takanori MAEHARA (@tmaehara) 2014, 10月 28
間違えまくるとそのうち,間違えることと自尊心に何の関係もないことに気づく.
— Takanori MAEHARA (@tmaehara) 2014, 10月 28
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